第35話 「リーリア・ノーヴェ」
薄明かりに包まれた会場の中心、分厚い鉄格子に囲まれた檻が、ギギ、と鈍い音を立てて開いた。
出てきたのは、見覚えのある――いや、決して忘れられない少女の姿だった。
――リーリア。
白いワンピースを着せられていた。
胸元には繊細なレースが施され、腰には薄い青色のリボンが結ばれている。細部に至るまで、意図的に美しさを際立たせるような加工が施されていた。髪は丁寧にとかされ、つややかな光沢を放ち、額の横には小さな花飾りまで添えられていた。
肌には粉をはたかれたのか、滑らかで陶器のような印象さえ受ける。
唇には薄く紅が引かれ、頬はかすかに赤みを帯びていた。
そして首元には、小さな銀の飾りがついたチョーカーまで巻かれており、その姿はまるで舞台の上の人形のようだった。光を浴びて反射する銀の光が、リーリアの無垢さとは似つかない艶やかな輝きを放っていた。
ただ一つ変わらないあのまっすぐな緑に輝く瞳が、気丈に前を向いていた。
だが、視線は宙をさまよいながら、なにかを探しているようだ。その瞳に、俺は強く胸を締めつけられる。喉が詰まり、口がうまく開かない。思わず前のめりになりかけた身体を、拳を握って制した。
周囲の観客たちの視線が一斉に集まり、空気がまた一段と緊張を孕む。
「次の出品です!」
オークショニアの声が、軽快に、しかしどこか誇らしげに響いた。
「年齢十六。名前、リーリア・ノーヴェ。……魔力適正…あり」
彼の手には、魔力適性を示す証明書らしき巻紙が掲げられている。
その瞬間、場内の空気が一変した。
まるで静寂が破られたかのように、ざわめきが四方から湧き上がる。
「今、魔力適正って言ったか?」
「こんな時期に希少適正持ち? どこの家の娘だ? どこかの没落した貴族か」
「おい、記録に残ってたか?」
「いや、見たことない名前だ。ノーヴェって……地方の名じゃないか?」
「それにしても、ずいぶん整った顔立ちだな」
「見た目も申し分ないし、これは競り合いになるぞ……」
低くざわつく会話の波は、次第に熱を帯び、買い手たちの視線が一斉に前方へと集中していく。
その中で、俺の心臓は締め付けられる。
そんなはずない。リーリアが魔力適正……?
いや、違う。俺の知る限りリーリアは、魔力の反応を示したことはないはずだ。
様々な可能性が頭によぎる。
――あれは、見せかけだ。売る側が仕込んだ、演出のひとつに違いない。
――適性確認の魔具に、何か細工をされた?
――あるいは、魔力を帯びた装飾品を身につけさせて一時的な反応を演出している?
――まさか、高く売るために。
血の気が引く感覚と、逆に煮えたぎるような怒りが、同時にこみ上げてくる。
歯を食いしばり、拳を握りしめた。
――冷静になれ。ここで感情に飲まれたら負けだ。
競り人が、まるで愉快な劇場のナレーターのように楽しげに言葉を続けた。
「開始価格、2万ディムから!」
「3万!」
「3万5千!」
――早い。
瞬く間に吊り上がる入札。
俺の頭が追いつかない。
いや、追いつかせろ。
計算だ。
ここで止まっている場合じゃない。予定予算、残高、相場感、想定されるライバルたちの財力と癖。全てを、脳内で同時に走らせる。
「5万2千!」
「6万!」
金額が跳ね上がるたびに、空気が熱を帯びていく。
俺の額には、じっとりと汗がにじみ、背中をつたう冷たい感触が不快にまとわりつく。
「……アルさん」
となりで、アイラの声がした。
小さく、でも確かに俺の背中に届く声。それは、ざわめきと欲望に満ちたこの空間の中で、唯一、俺の感情を受け止めてくれるものだった。
「大丈夫です」
アイラの言葉は、不思議とすっと染み込んできた。
重たい霧に包まれていた意識が、少しずつ晴れていくような感覚。
そうだ。俺は、リーリアを助けるためにここまで来た。あの朝、テオの涙に背中を押されて。混乱をかいくぐり、ここまでディムを稼いできた。
計算でも、損得でもない。
目の前に立っているのは、俺の幼馴染だ。
もう一度、前を向いた。
「8万5千!」
俺の声が、オークション会場に響いた。
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【資産合計】1,013,432ディム
【負債合計】0ディム
【純資産】1,013,432ディム
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