第34話 「奴隷オークション」
~憲章暦997年2月1日(風の日)~
午後、リアディス南区。
表通りの喧騒の裏に広がる街区に、ひときわ重厚な門構えの建物がある。高い塀に囲まれ、扉の前には槍を構えた衛兵が二人、沈黙のままに立っている。
俺とアイラは、その門の前で足を止めた。思わず息をのむほどの威圧感。表向きには競売会館と名乗っているが、実態は奴隷を売買する場所だ。そこに踏み入ること自体が、ある種の覚悟を要求される。
「行こう、アイラ」
俺がそう言うと、アイラはうなずいた。その表情には、緊張の色が見える。細い指先がかすかに震えているのが見えた。
扉の向こうは別世界だった。
豪奢な絨毯が床を覆い、天井からは魔光石を埋め込んだシャンデリアが鈍く輝いている。香が焚かれ、空気には甘ったるい匂いが漂っていた。だが、その華やかさの裏に、張り詰めた緊張と歪んだ欲望が渦巻いているのを感じる。
建物内は広く、左右に応接間のようなラウンジが設けられ、すでに数十名の招待客らしき者たちが座っていた。赤いワインや異国の果実が運ばれ、まるで舞踏会のような空間。だがその中心には、檻があった。
まばゆい照明に照らされ、鉄格子の中には沈黙を保ったままの人影が並ぶ。受付に並ぶ列の中には、仮面やフードで素顔を隠した者も多い。
貴族、商人、裏社会の顔役たちが、この空間では平等に一人の顧客だ。互いに目を合わせることなく、ただ金と情報だけが静かに飛び交う。俺は、戦いを前にアルカナプレートの残額を確認する。
――101万ディム。
レイラさんに借入金を返済したあとも取引を行って用意した軍資金の総額だ。リーリアを取り戻すには十分な金額だろう。そう思いたい。
受付で身元と資金の確認を済ませ、入札用の小型プレートを渡される。
その瞬間から、俺たちは「参加者」になった。俺の胸に微かな熱が灯る。いや、それは興奮ではない。ただの緊張と、嫌悪感だった。
案内された座席は二階の見下ろし席だった。絨毯の敷かれたバルコニーのような席からは、ステージ全体を一望できる。
正面のステージには檻がいくつも並び、内部には目を伏せたままの人影が座っていた。始まってもいないのに、息苦しさが胸を締め付ける。
「この場所、慣れませんね……」
アイラが小さくつぶやく。
俺は返す言葉を探したが、何も出てこなかった。ただ、静かにうなずく。
その瞬間、会場の照明が一段階落とされ、中央の壇上に進行役が姿を現した。光沢のあるスーツを着こなし、仮面で顔を隠した男。軽やかな口調と誇張された動きで、場内を盛り上げる。
「みなさま、本日の競売にお越しいただき感謝いたします! 本日も上質な品々をご用意しております。最初の出品は――こちらでございます!」
鐘が一つ鳴ると、壇上の側面から引き出されてきたのは、まだ若い少女だった。
檻の扉が開かれ、係員の手によって壇上に連れ出される。
少女だ。年齢は十代半ばか。痩せた体、うつむく顔。その姿に、周囲の視線が集まる。中には興奮を抑えきれずに身を乗り出す者もいる。
「農村出身、健康状態良好。魔力適正はございませんが、素直で従順、教育はこれから次第。さあ、入札を!」
ぱん、と拍子木が鳴ると、次々と札が上がる。
開始価格は1万ディム、そこから瞬く間に2万、3万と上がっていく。
金額が吊り上がるたび、ステージの空気は熱を帯び、落札者席もざわつく。
喝采や口笛が飛び交い、まるで劇場だ。異様なのは、それが誰の人生かを顧みる様子もなく、ただ値段だけが飛び交っていることだった。
俺は、それら全てを無言で見つめていた。心の奥で冷たい何かがじわじわと広がっていくのを感じながら。
オークションの感覚をつかむ必要がある。参加者の傾向、値段の上がり方、それらを見極める。
資金はある。だが、ここで油断するわけにはいかない。リーリアを競り落とすには、必ず最善のタイミングが必要だ。
アイラが隣で小さく息をつく。俺は横目でアイラを見る。アイラの瞳も真剣そのものだ。
次の出品者、そしてその次。競りは続く。中には壮年の男性もいれば、妙に物静かな少女もいた。彼らの背景にある物語は語られない。値札と共に扱われ、落札されていく。
「前半最後の出品者のご案内だ」
進行役の声が響く。俺の指先が無意識に固まった。
――まだ、リーリアは出てこない。
俺は深く息を吐き、頭を冷やす。緊張は最高潮だが、ここからが本番だ。鼓動の高まりを抑え、額の汗を袖で拭った。
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
【資産合計】1,013,432ディム
【負債合計】0ディム
【純資産】1,013,432ディム
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆




