第32話 「ジャンプ」
~憲章暦997年1月21日(水の日)~
俺はトークンコアの光を背に、アイラと並んで立っていた。
今日は、新たにレイラから調達した資金もある。準備万端だ。
「いけるか?」
「はい。行きます!」
アイラの体が、ふわりと浮かび上がる。セットポジションについたアイラから念話が入る。
<魔導プログラム、起動します>
魔法を起動するアイラの声が聞こえる。アイラの金色の瞳が青白く輝く。その瞬間、アイラの前に浮かび上がる術式。無駄のない滑らかな動きで、複数の魔法陣が瞬時に構築された。
あらかじめターゲットにした銘柄について常時起動している。まるで生き物のように術式が情報を吸い上げ、動的に変化していく。プログラムが脈動するたびに、トークンコアの中心から淡い光が漏れ、連携していることを証明するかのようだった。
そんな時、フレイジア球根の気配が大きく変動した。価格板の数値がぐらつき、買いと売りの気配が瞬間ごとに入れ替わる。魔法場の空気が緊張し、空間そのものがざわめくようだった。
<今だ——買い>
俺の声が出るよりも早く、プログラムが反応した。アイラの前に展開されたオーダーフォームが瞬時に書き換えられ、買い注文が光とともに走る。トークンコアからかすかに浮かぶ共鳴音——その直後、小さな約定の鈴音が耳に届く。まるで一連の動作が、呼吸のリズムに溶け込むようだった。
さらに、売りの術式へと自動的に切り替わる。
プログラムが即座に市場の微細な変動を感知し、利幅を最大化するよう調整を加える。オーダーフォームは滑らかに書き換えられ、注文が走る。次の約定音が響いたときには、わずかだが確かな利益が手元に加算されていた。
一連の動作は、まさに流れる水のようだった。
息をつく暇もなく、次の変動に備えて術式は再展開を始めている。
<やった……>
アイラがそっと呟く。けれど、その声にはこれまでにない確信がこもっていた。
魔導プログラムは、想定をはるかに超える精度で機能していた。まるで、俺の思考がそのまま術式に投影されているかのようだった。
俺は手元のアルカナプレートをタッチし、ディム残高のウィンドウを確認する。
開始からわずか2時間、残高の増加量は40,000ディムを超えていた。
この成果が、単なる幸運でないことを、俺もアイラも知っていた。
フレイジア球根の価格は魔導植物研究会の新発表を受けて乱高下しており、従来の手動売買では到底捉えきれないスピードだった。その価格変動はまるで嵐のようで、数秒の遅れが致命的な損失に繋がる。
――魔導プログラム売買。
それは、アイラという稀有な魔法士の力、俺の前世の知識が交わることで可能になった奇跡だった。
午後、今日の利益は、70,000ディムのラインを突破。隣でリアナが目を丸くして、こちらを見ていた。
「す、すごい……本当にこれ、一日で稼いだ額なんですか……?」
「ああ。まだ終わってない。アイラのお陰だ」
リアナは呆然とした顔でアイラを見ていた。
こちらに気づいたアイラは、少し照れくさそうに微笑みながらも、その手を止めなかった。その横顔に、かつて見せていた陰りはもうなかった。
かつて廃棄姫と呼ばれていた少女は、今やこのリアディスの中枢で戦っている。この成果を、ただの偶然と片づけることはできない。
アイラが夜遅くまで練習し、魔導式の展開速度と精度を磨いてきた結果でもある。俺はその努力をずっと見てきた。
俺は手帳を開き、数字を確認する。
レイラから借りていた資金は、合計で160,000ディム。成功報酬を含めても185,000程度だ。
――見えてきた。
「これで、ようやく……」
心に浮かぶのは、リーリアの姿だった。
リーリアが今どこにいるのか、それすら分からない。だが、手が届く場所に近づいている実感だけはあった。
ふと、背後から複数の視線を感じた。振り返ると、他の取引魔法士や商人たちが、俺たちの展開する術式を遠巻きに見ていた。羨望と驚嘆、そして一部には警戒の色も混ざっていた。
<アルさん、次の波が来ます>
アイラの声で思考を中断する。表示された価格板には、新たな買いの圧力。
<よし、売り抜けろ。プログラム、対応を>
<はいっ!>
アイラの声とともに、術式が再び光を放った。次の売買が成功すれば、今日の利益はさらに増えるだろう。
俺たちは、間違いなく次の段階に進んでいる。
もう迷いはなかった。目の前の数字にとらわれすぎることなく、その先の“救い”を確実に掴むために。
全ては、リーリアを取り戻すために。そして、アイラとともに、もっと遠くへ行くために。
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【資産合計】464,214ディム
【負債合計】187,383ディム
【純資産】276,831ディム
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