第22話 「情報屋」
~憲章暦997年1月10日(闇の日)~
午前の取引を終えて、中庭に置かれたテーブルで、俺とアイラは昼食をとっていた。
アイラ特製のサンドと果実をかじりながら、今日の午前中の取引内容について話し合っていた。
「やっぱり、午前の取引は全体的に値動きが重かったですね」
「まあ、年初の熱狂も一段落したってところだろ。焦らず待つのも相場のうちだ」
そう言いながら、俺は食後の水を口に含む。周囲では他の投資家らしき連中も同じように、束の間の休息を楽しんでいた。
穏やかな時間。だが、そんな空気に割り込むように、誰かの足音が近づいてくるのが聞こえた。
「やあ、君たち。ここにいたのか」
その声は、まるで古い知り合いに話しかけるような砕けた調子だった。
振り返ると、そこには、狼耳を持つ黒髪の女性が立っていた。赤い瞳は冷えた鋼のように鋭く、その体には動きやすそうな黒い装束がぴたりと張り付いている。
「……あんた、誰だ?」
警戒心を隠すことなく俺が問うと、女は口の端を上げて答えた。
「おっと、失礼。私は、ミラ・ノアール、フリーの情報屋さ。レイラから君のことを聞いてね。ちょっと興味が湧いたのさ」
「レイラさんの?」
アイラが少し安心したように声を漏らす。
「そう。レイラの姉御とは、けっこう付き合いが長くてね」
――情報屋。
確かに聞いたことはある。取引魔法士や投資家に対して、相場に影響する情報を念話で伝える裏方だ。
公式の魔導スクリーンだけじゃ、情報の流れに乗り遅れる。
だから、そういう連中から生きた情報を得るのがこの世界のやり方でもある。
だが、怪しいのもまた事実だった。
「それで、なんの用だ? 情報屋ってのは、まさか昼食中の客にも情報を売りつけに来るのか?」
皮肉混じりに言ってみせると、ミラは肩をすくめた。
「冷たいね。でも、今日はお試しだ。信用ってのは、まず実績からでしょ? だから、ひとつだけ、タダで教えてあげる。未来のお客さん」
「今日の午後。相場、動くよ」
「根拠は?」
「さすがの目だ。聞きたいかい?」
ミラはニヤリと笑うと、声のトーンをわずかに下げた。
「今日の午後、ティランマール共和国が、アズーリアへの穀物輸出を停止するって話がある」
「……穀物? なんでそんな動きが?」
ティランマールは、専守防衛の国是を掲げ、基本的には自国の安全保障にしか動かない国だ。それが、強国アズーリアに対して穀物を禁輸する? あの帝国の拡張主義的な姿勢を考えれば、情勢の悪化を招いてもおかしくない。
「アズーリアは今、干ばつと内政混乱で食糧自給率が下がってる。だから、ティランマールからの輸入に頼ってたわけだ。でもね――今日の午後、そのルートが断たれる」
「それって、正式な声明が出るってことか?」
「さあね。もしかしたら声明って形にはならないかも。だけど、裏で動いてるってのは確かだよ」
「信じるも、無視するも君たち次第。……ま、午後の相場で答え合わせってやつさ。この話も知っている人は知っているものだからね」
そう言って、ミラは立ち上がった。立ち去る間際、鋭い目で俺たちを一瞥する。
「じゃ、またね」
黒い影は音もなくその場を離れ、通路の向こうへと姿を消していった。
俺とアイラは、しばし言葉を失ったままその場にいた。
「アルさん、どうしますか?」
「確かめてみよう。午後の取引で、あの情報が本物かどうか」
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午後の取引が始まる10分前、俺たちは再びトークンコアの中央広場へと戻ってきた。
魔導スクリーンには、各国の相場状況と速報が常に映し出されていたが――今のところ、特に目立った動きはなかった。
「さっきの話、本当だったんでしょうか?」
「ああ。でも信じるかどうかは、自分で判断するしかない」
この世界で確かな情報などというものは存在しない。特に取引に関わる情報は、意図的に流されたものもあれば、結果として市場を誘導するためのブラフであることもある。
だが――
もし本当にティランマール共和国がアズーリア帝国への穀物輸出を停止するというのなら、関連銘柄は確実に動く。
俺たちは、ミラの言葉を確かめるために、早々に観察対象を絞っていた。
【トークンコア登録番号08002】深緑商会同盟
【トークンコア登録番号06310】アニス開拓
【トークンコア登録番号06203】エスボ傭兵団
【トークンコア登録番号07202】ラフティエルフ連合
俺は各銘柄の特性を頭の中で整理する。
深緑商会同盟――ティランマールの穀物輸出に依存する商会。輸出制限はネガティブ要因。
アニス開拓――ティランマール北部で農地開拓を進める企業。輸出制限の原因がティランマール側の食糧事情のひっ迫にあるなら、ポジティブと捉えられる可能性。
エスボ傭兵団――ティランマール最大の傭兵組織。輸出規制でアズーリア帝国との緊張が高まればポジティブ。
ラフティエルフ連合――ティランマールの大手冒険者クラン。今回の状況には直接関係しない可能性が高い。恐らくはニュートラル。
午後の取引開始まで、あとわずか。
<アイラ、準備はいいか?>
俺は空中に浮かぶアイラを見上げて声をかけた。
<はい、アルさん。対象の銘柄は今のところ静かです>
アイラの声が念話で返ってくる。
カンカンカンカン!
取引開始のベルが響く。
そのあともしばらくは、どの銘柄にも動きはなかった。
だが、取引時間も中盤に差し掛かったころアイラから念話が飛んできた。
<アルさん、エスボ傭兵団の動きが少し変な感じがします>
――買いが……増えてきてる。
明らかにエスボ傭兵団の買い気配がじわじわと膨らみ始めていた。午前中には見られなかった不自然な買い圧。
初日のサンクタム同盟を思い出す。
――同じだ。
そう判断した俺は、エスボ傭兵団の買いを決める。
<アイラ、エスボ傭兵団買いだ>
<ほんとにいいんですか?>
<まだ、上げ幅としては小さい。仮に間違った情報だったとしてもダメージは小さいはずだ>
<63.5ディムで2000株の買いを入れてくれ>
<わかりました>
アイラから、オーダーフォームの光が放たれる。
<買い注文成立しました!>
俺はアルカナプレートで購入価格を確認する。
購入完了。
そして、それから一分も経たないうちに――
上空のスクリーンに、速報枠が表示される。
『ティランマール共和国、アズーリア帝国への穀物輸出を当面停止すると発表――国内農産物の需給安定のため』
――来た。
<アイラ、追撃だ!エスボ傭兵団を1000株を成行で買い>
<はい!>
<出来ました!64.1ディムで1000株です!>
アイラが素早く魔法陣を描き、注文を発注する。すぐに買付成立の通知が届いた。
エスボ傭兵団はさらに上がっていく。
<アイラ!65から67ディムまで0.2刻みで200株ずつの指値行けるか>
<行きます!>
アイラの魔法陣が再び輝き、トークンコアへ光が飛ぶ。10本以上の光が同時に飛んでいく光景は圧巻だ。
激しい変動の中で指値のうち7本の約定が成立する。
<アイラ、これまでの平均約定価格と約定株数を教えてくれ>
<およそ64.56ディムで4400株です>
<わかった。このポジションで引っ張れるだけ引っ張ろう>
――67.5ディム。
――69.7ディム。
70ディムを超えると上昇がさらに加速する。
――71.9ディム。
俺は思わず笑みをこぼす。
自分の笑みに気づいた俺はここが売り時だと判断する。
<アイラ、72ディムから0.1ディムごとに400株の売り指値を入れてくれ>
<わかりました!>
そう返事をしたアイラは、流れるようにオーダーフォームを同時に展開する。
<アルさん、2800株は売れましたが残りはまだ約定してません>
<わかった。残りは成行で構わない。訂正を頼む>
<訂正ですね>
<残り1600株、72.3ディムですべてできました!>
利益を確認する。
――34,060ディム。
1日としては、過去最高の利益だ。
取引の終わり告げる鐘が鳴る。
地上に降りたアイラが、こちらに駆け寄ってくる。
「すごいです!アルさん!本当に情報通りでした」
「ああ。……まさか、あの情報がここまで正確だとはな」
俺の中には疑問が渦巻いていた。
ミラ・ノアール――あの女は、いったいどこからこの情報を仕入れてきた?
ティランマールとアズーリアの関係は、国際的にも微妙な緊張を孕んでいる。国境問題に絡む政策情報なんて、そう簡単に手に入るものじゃない。
いや、そもそも。
ミラの目的はなんだったのか?
俺たちに試すような真似をしたのは、ただの気まぐれか。それとも、何か意図があるのか。
「アルさん……さっきの、あの情報屋さんのこと、少し……怖くないですか?」
アイラがぽつりと呟く。
「……ああ、確かにな。目的が、わからない」
だが、今の俺たちは、ミラの情報で利益を得た。その事実は否定できない。
レイラの知り合いとは言え、俺たちが信頼に足るかどうかを見極めるには早すぎるはずだ。
それなのにタダで情報を渡した……いや、違う。
「……見極められてるのは、こっちの方か」
「え?」
俺の呟きに、アイラが不思議そうに首を傾げる。
それに、最後の言葉。
――知っている人は知っている
これは、マーケットの真実だ。情報の非対称性こそが、世界を動かす。そしてその情報の出所が、どんな意図でこちらに手を差し伸べたのかを知ることも、また投資家の仕事だ。
――やはり、試されているな。ミラにも、レイラにも…
次に再びミラが現れたときは、何かが大きく変わる時かもしれない。
そんな、予感を抱きながら帰路についた。
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【資産合計】275,821ディム
【負債合計】78,543ディム
【純資産】197,278ディム
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