Intermission 0 「オープニングベル」
憲章暦992年1月、レオリア王国、商都リアディス――。
中心部にそびえるリアディス取引所で新たな商品の取引が始まった。
フレイジアという花の球根である。
アルカ大陸の東の果て、サンクタム山脈に自生しているその美しい花には、地中の魔素を浄化する力があった。レオリア王国の魔法植物学者イオナ・セイランは、この特性を発見し、広く発表した。
この発表は、瞬く間に世界中の投資家から注目を集めることとなった。
投資家からの要望を受けたリアディス取引所は、フレイジア球根の取引を開始することを決定する。
フレイジア球根の取引開始価格は、300ディム。
取引開始後しばらくは、緩やかな価格の上昇だった。
ところが、992年5月、レオリア王国の北西に位置する隣国――ティランマール共和国が、フレイジアの魔素浄化能力を使って魔素の濃度が濃い深緑地方の開拓を行うと発表した。
この発表により、球根の価格は急騰し、年末には1500ディムに達した。
フレイジアは、農地改良や都市開発など、多岐にわたる用途が期待される魔法植物であった。関連する研究や発表が、次々と行われた。その都度、投資家たちは期待感を強めていった。
リアディス取引所ではフレイジア球根の取引がさらに活発になっていった。投資家たちは、将来の価格上昇を期待して競うように球根を買い集めた。街全体がこの熱狂に巻き込まれ、商談や交渉が昼夜を問わず続く。
リアディスの街では、商店やレストランも好況を謳歌し、成功を夢見る新たな投資家たちが集まり、市場はさらなる盛り上がりを見せた。
翌年、993年1月には、フレイジア球根の価格が3,000ディムに跳ね上がり、市場はさらに熱気を帯びた。
4月には5,500ディム――。
5月には18,500ディム――。
6月には27,000ディムと急上昇を続け、投資家たちはますます熱狂した。
7月、フレイジア球根の価格は39,230ディムで最高値を迎えた。
しかし、この熱狂は長く続かなかった。
価格は上昇せず、高値圏でのもみ合いが続いた。そして――10月、突如として価格は下落を始めた。翌月には25,500ディムにまで価格は下がっていた。
多くの投資家は、一時的な下落だと楽観していたが、その後も価格は下落の一途だった。年末にかけて価格の下落は止まらず、4,500ディムにまで暴落した。
この急激な下落により、多くの投資家が莫大な損失を被った。リアディスの経済は冷え込み、取引所の活況は一転して荒廃と静寂に包まれた。取引所の広場には、失意の投資家たちが立ち尽くし、新聞を手に茫然と空を見上げる者や、地面に崩れ落ちて頭を抱える者も多くいた。
バブル崩壊の影響は広範囲に及び、多くの店が閉店を余儀なくされ、リアディスの街は活気を失った。失業者が溢れ、生活に困窮する人々が増え、街全体が不安と混乱に包まれた。
994年3月には、フレイジア球根の価格はついに130ディムにまで下落し、ピーク時の300分の1となった。
この前後は、「フレイジア不況」として歴史に刻まれることとなる。
リアディス取引所は、再建と信頼回復の努力を続けた。だが、バブルの熱狂と崩壊を経験した人々の記憶は消えず、経済の未来に対する不安と懐疑心が残った。
フレイジアバブルの崩壊は、リアディスだけでなく世界各地に影響を与えた。
北東の隣国――アズーリア帝国は、バブル崩壊の影響を最も深刻に受けた国の一つだ。
多くの貴族や商人が、フレイジアに関連した事業に莫大な資金を投じていたが、バブル崩壊によってその価値が消滅した。帝国内の様々な都市で暴動や略奪が発生し、治安が悪化した。
首都――アズラフィアでは、多くの失業者が路上で生活するようになった。
当初、アズーリア帝国の貴族たちは、国民からの徴税を強化することでこの危機に対処した。しかし、これがさらなる貧困と混乱の火種となり、地方での反乱が頻発するようになった。地方の経済はさらに疲弊し、借金のかたに奴隷として売りに出される人々も多くいたという。
困窮した国民たちの不満が、鬱屈していた。
一方、ファロン洋に浮かぶ南国の島国――ロピカルハ王国は、フレイジアバブルの影響を最も早く克服した国の一つだ。
スパイスの交易に依存していたロピカルハ王国の商人たちは、フレイジアバブル崩壊の煽りを受けて資金不足に悩まされた。だが、王国政府の迅速な支援によりスパイス生産の再建と産業の多角化を進めた。
王太子ファルハン・カルハの指導の下、様々な計画を打ち出し、王国の経済は奇跡的な回復を見せた。
アズーリア帝国とロピカルハ王国の対照的な結果は、為政者の考えや行動が経済にいかに大きな影響を及ぼすかを示す好例として語り継がれた。




