第11話 「契約」
俺とアイラは、魔法士ギルドでの契約を終えて取引所へと向かっていた。
「取引魔法士の登録を終えたら、アルカナプレートの登録も必要だそうです」
アイラが、手続きの説明書を読み上げながら、時折ちらりと俺を見る。表情にはどこか不安が残っているが、先ほどの契約時よりはだいぶ落ち着いているようだった。
「そうだな。まずは登録を済ませよう」
そうこうしているうちに取引所の入口までやってきた。取引所の入口をくぐり、再びあの騒がしさと熱気に包まれたホールに足を踏み入れる。相変わらず、多くの魔法士と投資家が行き交い、魔導スクリーンには、市場の最新情報が忙しく映し出されている。
アイラの方を見ると、すこし怯えた様子で回りを見渡している。
「アイラ、行くぞ」
「あっ、はいっ」
俺とアイラは受付に向かい、手続きを進めることにした。対応したのは黒髪の女性だ。
「取引魔法士の登録ですね。手続きの準備をしますので少々お待ちください」
そう言って、黒髪の受付嬢はバックヤードへと姿を消す。戻ってきた受付嬢の手には、見慣れない魔道具が握られていた。
「こちらにどうぞ」
受付嬢は、そういって俺たちを取引所の奥へと案内した。薄暗い階段を下りていくと重厚な扉が俺たちを迎えた。黒鉄に金の縁取りが施されたその扉は、まるで宝物殿の入り口のような威厳を放っていた。
「この先が、契約室です」
受付嬢はそう言うと、先ほどの魔道具を取り出した。表面には複雑な術式が彫り込まれており、見慣れぬ符号が淡い光を放っていた。
「これは……鍵か?」
「はい。この鍵がなければ、この扉は開きません」
「よいしょ!」
受付嬢がそう言ってその魔道具を扉の中央にあるくぼみに嵌め込むと、術式が一斉に輝き出し、鈍い音を立てながら扉がゆっくりと左右に開いていった。
静寂の向こうに広がったのは、幻想的な空間だった。高い天井には満天の星のような光が浮かび、床には半透明の魔法陣がいくつも刻まれていた。
「……ここは?」
思わず問いかけると、受付嬢が優しく答える。
「取引広場の地下にある契約の間です。ここは、トークンコアから発せられる魔力場の影響が強いため、契約魔術の儀式に最適とされております」
なるほど……この空間全体が、トークンコアの影響下にあるというわけか。
「では、儀式を始めましょう。契約者は右の陣に、魔法士は左へお願いします」
部屋の中心には、円形に配置された魔方陣が二つ。相対するように設置されている。そこへ立つようにと受付嬢に促され、俺とアイラは互いの顔を見てから頷き合い、所定の位置に立った。
「緊張してるのか?」
「……は、はい。こんな儀式、初めてで……」
受付嬢は手慣れた様子で手続きを進める。
「おふたりの名前、そして心を込めた誓いが、この儀式の核となります」
「それでは、アルヴィオ・アディス様、契約者としてご自身のアルカナプレートをご用意ください」
俺は懐からアルカナプレートを取り出し、中央の台座に据える。その瞬間、部屋全体にほのかな震動が走る。まるで、空間そのものが目覚めたかのようだった。
受付嬢が続ける。
「アルヴィオ・アディス。アイラシア・ルミナス。ここに、相互の信頼と意思をもって、トークンコアの加護を受けし契約を結ぶことを誓いますか?」
「……誓う」
「わ、わたしも……誓います」
「それでは、アルヴィオ・アディス、アイラシア・ルミナス、それぞれの血を、アルカナプレートにお示しください」
差し出された銀針が、指先に触れた。ほんのわずかな痛みが走り、にじんだ血がアルカナプレートに染み込んでいく。
続いて、アイラもそっと自分の指先を傷つけ、赤い滴を落とした。
アイラの血がアルカナプレートに触れた瞬間――空間が一変した。
星空のような天井に魔法陣が浮かび上がり、二人の身体を中心に螺旋を描きながら光が収束していく。現実感が薄れ、魔法だけが世界を支配しているような感覚。
――そのとき、かすかに、耳の奥で声が聞こえた。
『……見ぃつけた!』
女の声だった。だが、アイラは気にしたそぶりはなく、まるで何も聞こえていないようだった。
――気のせい……か?
振り払うようにその思念を打ち消す。
目の前では、空間を包む光が静かに収束していく。
最後に、二つの名前が魔法陣の中心に刻まれた。
――『アルヴィオ・アディス』
――『アイラシア・ルミナス』
その文字がまばゆく輝き、空気中に消えた瞬間――
「……契約、完了です」
受付嬢の声が、空間を現実へと引き戻す。アイラは少し驚いたような表情を浮かべる。
「……なんだか、少し温かい感じがします」
アイラがそう呟いた。
「これで正式に取引魔法士として登録が完了しました。おめでとうございます」
「取引魔法士と契約者の間には魔力的なパスが形成されています。特にトークンコアの近くでは、念話が可能になります」
受付嬢の説明に、俺とアイラは顔を見合わせた。
念話――つまり、言葉を発せずとも意思疎通が可能になるということか。
「試してみるか」
俺はアイラを見つめ、意識を集中させた。
<――アイラ、聞こえるか?>
<――えっ!? 聞こえます……! すごいです、アルさん!>
直接脳に響くような不思議な感覚だった。これは確かに便利だ。市場が混雑する場面でも、瞬時に連携が取れる。
「手続きは完了しました。お二人には私、リアナが今後の担当受付としてお手伝いさせていただきます」
「よろしく頼む」
「よろしくお願いします」
アイラは小さく頭を下げる。リアナが深々と頭を下げ、俺たちは再び部屋の入り口へと戻った。
だが、俺の目は、反対側の扉に向いていた。
儀式の間中、開かれることのなかったその扉には、刻まれた魔法陣が淡く光を帯びている。
「なあ、リアナ。この奥って、何があるんだ?」
俺の問いに、リアナはほんのわずかに口元を引き締めた。
「あちらは……トークンコアの真下にあたる区域です。詳細は、私どもにも知らされておりません。ただ、職員の間では古くから伝えられる噂があります」
「噂?」
「ええ。ここだけの話ですが、トークンコアの真下には、古代の遺構……ダンジョンが広がっているのではないかと言われてます」
アイラが小さく息を呑んだ。
ダンジョン――魔素の濃度が極めて高い危険地帯。だが、同時に莫大な魔力(=富)と財宝が眠る可能性を秘めた場所でもある。
取引所に上場する冒険者クランやパーティーの多くが世界中のダンジョンに挑んでいる。ダンジョンの発見はその地域の経済を大きく変えるニュースだ。
――そんなものが、公にされずにここにある?
不思議な話だった。トークンコア――この世界の経済と魔法の中心とも言える存在。その真下に、未知の領域が広がっている。
俺は再び、扉の文様を見つめた。
この奥にあるものは、果たして財宝か、それとも破滅の種か。だが今はまだ、その扉を開ける理由も資格も、俺たちにはない。
「行きましょうか、アルさん」
アイラの声に振り返ると、控えめな笑みを浮かべていた。俺はうなずき、扉に背を向けた。




