第89話 「フィリアとの契約Ⅱ」
声の主――トークンコアの意思だ。
白い空間の中心に、淡い光の粒子が集まる。明確な形を持たず、しかし確かな存在感を放つ声。
「……なんでフィリアまで巻き込んだんだよ」
「必要があったんだよ、今回は」
声が少しだけ真面目になる。
「必要……?」
「そう。まあ落ち着いて話を聞いてよ。まずは──」
そう言ってフィリアの方に気配を向ける。
「やっほー! フィリアちゃん。ようこそ、トークンコアへ」
「なっ……!? あなた、いったい何者ですの!?」
「わたし? トークンコアの意思、ってところかな。アルヴィオ君とは三度目だね。厳密には四度目かな?」
「四度目……?」
フィリアが振り向く。
俺は肩をすくめた。
「まあ、そんなところだ」
「『そんなところだ』って何ですの!? 何が起きてますの!?」
フィリアの叫びを遮るように、トークンコアの声が続けた。
「うん、説明はしてあげるけど、まずはこっちも言いたいことがあってね。時間もないから先言うね」
光が揺らめき、俺たちの周囲に穏やかな波紋が広がる。
「ロピカルハに行くんだろ?」
「知ってんのかよ……」
「君たちのことは、よく見てるからね」
どこまで監視してんだ、この世界の銀行システムは。
「……ロピカルハに何かあるのか?」
俺が尋ねると、トークンコアはため息をつくような光の揺らめきを見せた。
「ごく一部だけど見えない場所があるんだよ」
「見えない……?」
「そう。アルカナプレートの使えない場所。結論を簡単に言うと──アイラちゃんは、そこでは魔法を使えない」
クロエの話を思い出しながら思考を巡らしているとフィリアが疑問をぶつける。
「アイラが……魔法を使えない? どういうことですの?」
フィリアの疑問にトークンコアの意思は答える。
「フィリアちゃんも知ってると思うけど、アイラちゃんの魔法は全部、アルヴィオ君の買った魔力で発動している。そしてアルヴィオ君は、アルカナプレートを通してトークンコアから魔力を買っている」
フィリアの理解を待つだけの間を置いて話が続けられる。
「それでね、私の見えない場所では、アルカナプレートとの魔力のリンクが途切れちゃうんだよ」
トークンコアの光が静かに揺れた。
「だから──」
「そこではアイラは魔法が使えない、ということですわね……」
フィリアが理解し、目を見開く。
「そういうこと。だからね、フィリアちゃん」
トークンコアの光が、まるで微笑むように揺れた。
「そういうところではアルヴィオ君とアイラちゃんのこと、守ってあげてほしいんだ」
トークンコアの声音は穏やかだ。
そんな言い方をされて、フィリアが黙っていられるわけがない。
「もちろんですわ!!」
即答。迷いゼロだ。
「わたくしがついておりますの! アルヴィオもアイラも、任せてくださいまし!」
フィリアは誇らしげに胸を張った。
トークンコアの光が、愉快そうに揺れる。
「うん、安心した。フィリアちゃんなら頼りになるよ。──でね、実はもう一つお願いがあるんだ」
「もう一つ……ですの?」
フィリアが眉を上げる。
嫌な予感しかしない。
「ロピカルハのね、とあるダンジョンの奥に装置があるんだよ」
「……ダンジョンね」
「うん。長いこと止まっててね。動かないままだと困ることがあってさ」
「なるほどですわ。その装置を──動かせばよろしいのですわね?」
フィリアの返事は気軽だった。
「いやフィリア、それ簡単な話じゃ──」
「任せてくださいまし!!」
なんで即答したんだよ。
「えへへ。助かるよ。フィリアちゃんなら、そう言うと思ってた」
トークンコアの光が楽しそうに跳ねる。
「ただし……一応言っておくけどね?」
光の揺らめきが、わずかに色を変えた。
「ダンジョン自体は、アバタオ島にある有名なダンジョンだから迷わないと思うよ。ただ奥には、普通の人はまず辿り着けない。魔法障壁も、古代式のロックも残ってるからね。だからフィリアちゃんが必要なんだよ」
「わたくしにお任せあれですわ!」
フィリアは、堂々とした笑みを浮かべる。
「……いや、だから勝手に受けんなっての」
「だってアルヴィオ。困っている人を見たら助けるのが淑女というものですわ」
「いや、相手は人じゃなくて謎のアーティファクトなんだが……」
「大差ありませんわ!」
その一般論じゃありえない力業を堂々と言えるの、本当にフィリアらしい。
トークンコアの光は満足げに揺れた。
「じゃあ二人とも──期待してるよ。特にフィリアちゃん」
「任せてくださいまし!!」
やる気満々のフィリアの声が白い空間に響く。
「では──契約を完了するよ。戻っていいよ、二人とも」
光が強くなり、視界が歪む。
意識が現実へと引き戻された。
同時に──
「せ、成功しました……!」
リアナの震えた声が響く。
フィリアの腕に淡い光の紋章が浮かんでいた。
リアナは恐る恐る、フィリアの名前を呼ぶ。
「フィ……フィリア・アリスタル……様……?」
フィリアは微笑み、優雅に頷いた。
「ええ、そうですわ」
「やっぱりア、アリスタル公爵家の!?」
「普段はフィナという通称を使っていますの。お気になさらずに」
「き、気にならないわけが……っ……!」
リアナは、震える手で魔導書を閉じる。
「……リアナ、本当にごめんな。例のごとく内密にたのむ」
「はい……わかってますよ……そのかわりですからね!」
今回ばかりは、リアナの言うことを聞いてあげよう……
「わかったよ」
「ではアルヴィオ。取引に参りましょう!」
フィリアはまっすぐ扉の方へ歩いていく。
俺は深く息を吐いた。
「また……だよな……」
毎回この契約は何か起きる。
どうして普通に終わらないんだろう。
フィリアの背中を追いながら、俺は苦笑した。
こうして、取引魔法士フィリアの一日が始まったのだった。




