第80話 「ヘッドライン」
瞬間、取引所のざわめきが止まった。
『速報:フレイジア球根、食用可能な加工手法を確立。――アリスタル学術院所属のイオナ・セイラン女史が発表』
その一文が表示された刹那、空間全体が凍りついたように静まり返った。
「……なんだって?」
「フレイジアが……食べられる?」
誰かがつぶやく。
次の瞬間には、投資家たちの間に信じられないというざわめきが広がっていた。
俺はスクリーンを見上げたまま、息をひとつ吐いた。
「――きたか」
口の中で小さくそう呟く。
あのときの記憶が甦る。
リアディスに来たばかりの頃。
イオナが耳元で囁いた秘密の一文。
『フレイジア球根はね……おいしく食べられるんだよ』
あの時の言葉が、今、現実のニュースとして世界を動かそうとしている。
<アルさん……これ>
<ああ。間違いない>
リアディス経済新聞――あの二人が、うまくやってくれた。
タイミングは完璧だった。
だが、市場はすぐには反応しなかった。
投資家たちは顔を見合わせ、理解できないといった様子だ。
「食べられる? だからなんだ?」
「フレイジアって、魔法植物だろ?」
「食えるようになったって……どうせまずいに決まっている」
「小麦とは別物だ」
誰も動こうとはしなかった。
それも当然だ。
フレイジア球根が「食べられる」と言われても、今すぐ相場にどう関係するのか理解できる者は少ない。
魔力植物が食材になるなど、常識外の話だったからだ。
<……反応が鈍いですね>
アイラの念話が届く。
<ああ。最初はそうなる。だが――>
俺は、アルカナプレート取り出し、小麦の値動きを確認する。
<さらに売る。全力だ>
<えっ!? 今ですか?>
<今だ。群衆が戸惑ってるうちに“印象”を刻む。ニュースの意味を市場が理解する前に、流れを作る>
<わかりました。行きます。10万でいいですか?>
<たのむ、アイラ>
淡い光が広がり、売りの魔法陣が発動する。
チャートがわずかに震える。
「おい……誰だ、売ってるのは」
叫び声が上がる。
それでも俺はアイラに指示を送り続ける。
――11.44ディム。
――11.41ディム。
――11.37ディム。
微細な値の揺れが、やがて波となって伝わる。
市場全体がわずかにざわつき始めた。
<アルさん、少し下がりました。でも、まだ買い支えが強いです>
<当然だ。まだ見えていない>
<見えていない……?>
ティタニアが問う。声には興奮と警戒が入り混じっていた。
<フレイジアが食べられるということは、小麦の代替が現れたということだ。しかもフレイジアは、在庫が大量に余ってる>
<なるほど……でも、みんなそこまでは考えていませんね>
アイラも会話に加わる。
<つまり、食べ物が増えるってことね。供給が増えれば、価値は落ちる……単純な理屈だわ>
ティタニアが息を吐く。
<だからこそ、俺が動く>
<アイラさらに追加だ>
俺は、アイラに言って追加の売りを入れた。
――11.19ディム。
同時に、強烈な買い注文が叩き込まれた。
「下がるわけがねえ! フレイジアなんて魔法植物だぞ!」
「代替にならない! 小麦は小麦だ!」
投資家たちは必死に魔法陣を展開し、価格を支える。
板の上では、売りと買いがぶつかり合う。
トークンコアには、無数のオーダーフォームが流れていく。
リックが駆け寄ってくる。
「アル! あいつら本気で買い支えてるぞ! また強烈な反発が来る!」
「……いいさ」
「いいって……!」
「午後まで持たせればいい。昼で状況は変わる」
リックが目を丸くした。
「昼……? 何か仕掛けているのか?」
「まあ見てろ」
俺はそうだけ言って、再び視線をプレートに戻した。
やがて取引所の鐘が鳴り、午前の取引が終了する。




