Intermission 22 「ソブリンウェルスファンド」
管理室へ案内されると、煌びやかな魔導灯が天井から吊るされ、壁一面には魔導スクリーンが設置されていた。
魔導スクリーンには、北アルカ大陸の交易路、アルカ海沿岸の流通圏が表示されていた。
「……見事なものだな」
ルキウスが小さく呟く。
「これらの魔導スクリーンは、トークンコアとリクエストリンクを通して同調しておりまして、帝国内の主要資産の流れや価格を一目で把握できます。陛下のご関心のある対外運用についても、こちらで確認いただけます」
バシルは杖を軽く叩く。スクリーンの表面に、淡い光が走った。
魔力線が絡み合い、帝国の財政を支える複雑な経路と価格情報が浮かび上がる。
ルキウスは無言で見つめた。
まるで、帝国そのものの血管が目の前に広がっているようだった。
ヴァルタールが低い声で問う。
「総裁、出資構成について、改めて陛下にご説明を」
「はっ」
バシルは姿勢を正した。
「本機構の出資は、帝国政府が三割。帝室が三割。そして民間の商人連合が残る四割を拠出しております。帝室のご裁可を仰ぎながらも、商人らの機動力を活かした構造にございます。運用資産は、商人連合からの借り入れも含めて200億ディムを超える規模となっております」
「商人連合、か」
ルキウスが視線を動かすと、ヴァルタールが静かに言葉を継いだ。
「陛下、民間とはいえ、あの者たちは――我らの同胞がほとんどです。陛下の理想に共鳴し、帝国の再生を願う者たちです」
「同胞、か」
ルキウスの瞳がわずかに細まる。
灰牙の蛇――その名をここで出すことはなかったが、ヴァルタールの言葉の意味は明白だった。
「表に出せぬ資金ほど、戦を長く支えますゆえ」
ヴァルタールの声は静かだった。
その言葉に、バシルが小さく笑みを漏らす。
「実際、陛下の即位後、我らの運用益は飛躍的に伸びております。我らの見通しに沿って、三か月前から小麦相場に投資を行っておりました。戦争が長引けば、穀物価格は確実に上昇する。その利益が、帝国の兵へと還流する仕組みです。」
「……投機で、戦を支えるというのか」
ルキウスの声が低く響いた。
「投機ではなく、戦略でございます。陛下の采配があればこそ、我らも生きる。魔力も信用も、最終的には勝者の手に集まるものでございます。実際、その資金で魔力石を先物の形で大量に確保しています。戦の継続には欠かせないものですから」
「だが、この動きレオリアの連中に気取られると一気に瓦解するのではないか?」
「ご安心ください」
バシルは両手を広げ、誇らしげに魔導スクリーンを示した。
盤面に映し出された光の線は、帝国のあらゆる財の流れを模していた。
「ご覧の通り、資金は複数のルートを通して運用されております。表向きは民間商会の共同投資。誰にも嗅ぎつけられることはございません」
バシルの声には自信と陶酔が混ざっていた。
「資金の流れを隠すため、複数の取引仲介業者を経由しております。いずれも、我らの同胞の手が入っております。彼らは、レオリア人の業者として活動しております故……」
「……レオリアに、か」
その名が出た瞬間、ルキウスの目が細く光った。
国境の向こう、敵国の心臓部にまで根を張っているというのか。
ルキウスがゆっくりと視線を向けた。
バシルは恭しく頭を下げる。
「戦場の剣も、市場の術式も、陛下の剣の延長にございます。経済こそが、もう一つの戦場にございます」
その言葉に、ヴァルタールが小さく頷いた。
「陛下、商人たちの支援は強固です。彼らは忠誠の証として、帝国の未来に投じております。我らの同胞は、陛下の理想を信じております」
ルキウスは立ち上がり、窓の外を見た。
帝都アズラフィアの街並みが広がる。曇天の合間からわずかに差す光が、塔の尖端を照らしていた。
「……戦争とは、かくも多くの影を抱くものか」
「影があるからこそ、光は映えます。陛下の名のもとに、この国は再び栄えるでしょう」
バシルの声は熱を帯びていた。だが、ルキウスの横顔には影が落ちていた。
「民の飢えを癒すための金が、民の血で回るとはな……」
小さく呟く。
その言葉を、誰も返さなかった。
ヴァルタールはただ、皇帝の背を見つめていた。若き帝は、理想を掲げながらも、闇の経済の中を歩いている。その姿に、ヴァルタールは一種の哀れみを覚えた。
皇帝が再び口を開く。
「……ヴァルタール、覚えておけ。私は富を求めて立つのではない。民を飢えさせぬために、剣を取るのだ」
「畏まりました、陛下」
その声に、忠臣は深く頭を垂れた。だがその瞳の奥では、別の光がちらついていた。
忠誠か、それとも――
ルキウスは最後に、魔導スクリーンを振り返る。複雑な線が、光を放っていた。それは帝国の生命線であり、同時に毒のような光でもあった。
戦いは続く。
剣と魔法と、そして金――三つの力が交錯する時代。
アズーリア帝国、束の間の勝利の裏で、誰も知らぬ取引が動き出していた。




