Intermission 21 「勝利の代償」
~憲章暦997年4月17日(風の日)~
厚く曇った空の下、黒漆の馬車がゆっくりと帝都アズラフィアの大通りを進む。
先頭を行く近衛騎士たちが掲げる旗には、双頭の黒龍――アズーリア帝室の紋章が揺れていた。
馬車の中、若き皇帝ルキウス・アズーリアは、窓越しに街並みを静かに見つめる。
三日前、アズーリア軍はティラナ島攻略に向けた要衝――モスタール島の要塞を陥落させた。市民は歓喜し、商店の軒先ではアズーリア国旗が揺れる。街全体が勝利の余韻に包まれていた。
やがて馬車は、郊外の高台に建つ巨大な施設の前で止まった。
そこは、帝国の魔導技術工廠――超大型魔力結晶の精錬施設である。
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白煙を上げる煙突が、曇天をさらに曖昧に染めている。
巨大な門をくぐると、金属の匂いと焦げたような匂いが混じり合った空気が肌にまとわりつく。
「ここが、超大型魔力結晶――グラン・クリスタリアの精錬所でございます」
迎えに出たのは、初老の男だった。
ハイト男爵。元は弱小貴族出身だが、今や帝国の魔導産業の一翼を担う大商人である。
「陛下におかれましては、御足労いただき光栄にございます。ぜひともご覧ください。これこそ、アズーリアの未来を支える魔法技術でございます」
案内された工房の中では、数十人の魔導技師と魔法士たちが、幾層もの魔法陣を展開しながら作業を進めていた。
炉心では、真紅に溶けた魔力石が煮え立ち、白光を放っている。魔力を封じ込めるための術式が幾重にも展開され、その中に球体状の結晶がゆっくりと形成されていく。
「これが……超大型魔力結晶か」
ルキウスが呟く。直径三メートルを超える蒼い結晶。脈動するように内側から光が滲み出し、まるで呼吸しているかのようだった。
「この一基で、中規模都市がひと月に消費する量の魔力石を精錬しております。魔導収束砲や魔導船の炉心に使われる最上級の結晶です」
ハイトの声は誇らしげだった。
「コストは……?」
ヴァルタールが淡々と問う。
ハイトは一瞬だけ口ごもり、そして微笑みを浮かべた。
「一基当たり、1億ディムほどでございますな。……ですが陛下、たった六基であの難攻不落と言われたモスタール要塞を陥落させたと考えれば安いものです」
「1億……」
ルキウスは低く呟き、結晶に手をかざした。
淡い光が指先を照らす。そこに映るのは、確かに帝国の力の象徴――しかし同時に、狂気の代償でもあった。
「……この輝きの裏に、何人の民がいる?」
「は?」
「1億ディムあれば、一万人の民が一年を飢えることがないだろう。だが、我らはその一年を燃やして兵器を作っているということだ」
ハイトは答えを失い、ヴァルタールが静かに口を開いた。
「陛下、戦とはそういうものでございます。民は陛下の勝利に歓喜し、その代償を誇りとして受け入れるでしょう」
ルキウスは視線を結晶から外さなかった。
その眼差しは、どこか冷ややかだった。
「……誇りか。ならば、我はその誇りに値する王でなければならぬな」
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工廠での視察を終えた一行は、帝都の東側――金融機関が立ち並ぶエリアへと向かった。
そこにあるのが、『帝国戦略投資機構』。
表向きは国家資産運用のための公社だが、内実は戦争資金を動かす巨大な投資機関である。
馬車の窓越しに、曇り空が流れていく。
クーデターから一か月。
即位直後の戦果は、民衆の不安を払いのける劇薬となった。
だが、帝国の財政は限界に近い。兵を養い、新兵器を維持するための莫大な魔力結晶と金。それを支えているのが、今から向かう投資機構である。
馬車が停まり、扉が開く。
白い大理石の外壁に、青金の紋章が掲げられていた。
『帝国戦略投資機構』。
その建物は、まるで神殿のように荘厳だった。
「陛下におかれましては、ご多忙の折、恐れ多い限りにございます。モスタールの勝報、まずはお祝い申し上げます」
出迎えたのは、機構の総裁――バシル・レンゲル。
「うむ。戦はまだ道半ばだ。貴様らの働きにも期待している」
ルキウスが言葉を返すと、バシルは深々と頭を下げた。




