第76話 「契約の力」
取引を終え、俺たちはセレスティア商会へ戻ってきた。
扉を開けると、すぐにラウラが駆け寄ってきた。
「ひめっ!ティタニア様! お怪我などは……?」
「心配性ね、ラウラ」
「ティタニア様……」
「大丈夫よ。本当に。ただ――面白かったわ」
ティタニアは、そう言って魔法薬で桃色に変色した髪を跳ね上げる。
その一言に、ラウラは少しだけ安堵の息を漏らした。
「ラウラ、そんなことよりあなたの仕事をしっかりやりなさい」
「はい、わかりました。ティタニア様」
ラウラはそう言って事務仕事に戻っていった。
俺たちは二階の取引部へ上がる。
フィリアとエルヴィナが外出しており、部屋には、俺とアイラ、ティタニアの三人だけ。
静かな空気の中、ティタニアが椅子に腰を下ろし、両手を膝に置いて呟いた。
「……アイラの取引魔法、尋常じゃないわね」
「え?」
「起動の速さよ。普通なら、起動から発現までに一瞬の溜めが必要になるはず。でもアイラの魔法にはそれがない。まるで――流れるように、魔力が形を変えていくの」
アイラは照れくさそうに笑った。
「わたし、そんなことないですよ。ただ、少し練習してるだけで……」
「少し、ね」
ティタニアは小さく首を傾げると、俺の方を見た。
「それに……見ているうちに、少し違和感を覚えたの。魔力の流れそのものが、自然じゃないのよ。外部から補われてるような感覚」
その言葉に、俺は心の中で小さく息を呑んだ。
さすが王族の魔法士――感覚が鋭い。
――契約者である以上、隠す理由はない。
俺は少し考えたあと、口を開いた。
「……ティタニア、その感覚は正しい」
「え?」
少し間を置き、ティタニアを見据える。
「俺には、少し変わった能力がある。俺は、魔法を使えない。だが……魔力を買うことができる」
ティタニアが目を細めた。
言葉の意味をすぐに理解したようだった。
「……お金で、魔力を?」
「ああ。トークンコアからお金で魔力を買う感覚だ。アルカナプレートを通して、ディムを魔力に変換できるんだ」
アイラが静かに頷く。
「わたしは、トークンコアの契約でアルさんと魔力的に“つながってる”んです。アルさんが買った魔力を、使わせてもらってます。わたしの魔力炉はもう使い物にならないですから」
ティタニアは沈黙したまま、ゆっくりと視線を落とした。
しばらくして、低い声でつぶやく。
「……つまり、アイラの魔力は、あなたの“資金”に依存しているということね」
「そういうことになる。そしてトークンコア曰く、ティタニアにもアイラと同様の魔力回路を刻んだそうだ」
俺はアルカナプレートを起動し、表示を切り替えた。
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残高:3,592,765ディム
【アイラシア・ルミナス】
魔力購入枠:3,592,765ディム(最大値3,592,765ディム)
魔法1回当たりの出力上限:2,048ディム(最大値8,096ディム)
【ティタニア・アズーリア】
魔力購入枠:0ディム(最大値3,534,033ディム)
魔法1回当たりの出力上限:256ディム(最大値1,024ディム)
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「ティタニアの枠も、すでに設定されてる。試してみるか?」
「……いいの?」
「ああ、契約者だからな。実際に確かめた方が早い」
俺は、アルカナプレートを操作してティタニアの魔力購入枠を設定する。
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
残高:3,592,765ディム
【アイラシア・ルミナス】
魔力購入枠:3,582,765ディム(最大値3,592,765ディム)
魔法1回当たりの出力上限:2,048ディム(最大値8,096ディム)
【ティタニア・アズーリア】
魔力購入枠:10,000ディム(最大値3,592,765ディム)
魔法1回当たりの出力上限:256ディム(最大値1,024ディム)
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ティタニアは立ち上がると、掌をゆっくりと前に出した。
淡い光の粒が空気に溶けるように集まり、指先に青白い魔力の輪を作る。
その瞬間――部屋の空気が一変した。
光は瞬く間に形を変え、小さな氷の槍を生み出す。
残高がわずかに減る。
-13ディム。
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
残高:3,592,752ディム
【アイラシア・ルミナス】
魔力購入枠:3,582,765ディム(最大値3,592,752ディム)
魔法1回当たりの出力上限:2,048ディム(最大値8,096ディム)
【ティタニア・アズーリア】
魔力購入枠:9,987ディム(最大値3,592,752ディム)
魔法1回当たりの出力上限:256ディム(最大値1,024ディム)
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「……これが、ディムを魔力に変えた力……」
ティタニアは氷の槍を見つめながら、小さく息を漏らした。
魔力を解放すると、槍は霧散した。
ティタニアはゆっくりと手を下ろし、俺の方を向いた。
「……なるほど。魔力石を補助で使った時の感覚に近いわね」
その目の奥に、一瞬だけ鋭さが宿る。
野心か、それとも純粋な探究心か――判別はつかない。
「上限がない、ってことよね。あなたの契約者は、資金がある限り、無限に魔力を補える」
「理屈の上ではな。ただ、大量の魔力を流した場合の人体への影響は未知数だ」
実際は、トークンコアが魔法士ごとに最大値を設けている。その範囲内なら安全とみていいだろう。
「未知数、ね……」
ティタニアはその言葉を反芻するように呟いた。
「……この力が、あれば」
その先を言いかけて、言葉を飲み込んだように見えた。
「……ティタニア?」
俺が呼びかけると、ティタニアはすぐに微笑んだ。
「いいえ、なんでもないわ。少し、考えていただけ」
その声は柔らかかった。
アイラが控えめに口を開く。
「ティタニアさん……少し休まれたほうがいいですよ。初めての経験の後って、知らないうちに疲れが出るんです」
「そうね。ありがとう、アイラ」
ティタニアは優しく笑みを浮かべた。
その横顔を見ながら、俺はアルカナプレートを閉じた。
「アルさん、今日はこれでおしまいにしますか?」
アイラの声に、俺は小さく頷いた。
「そうだな。今日のところはここまでにしておこう」
窓の外では、夕暮れの光が街を黄金色に染めていた。
俺は荷物を手に取る。
「少し、外出してくる」
「どこへ行くんですか?」
「打ち合わせだ。ミラが手配してくれた。リアディス経済新聞の記者たちと会うことになっている」
「記者さん……ですか?」
「ああ。セリナと、もう一人ダリルって男だ」
アイラが不安げに眉を寄せる。
「危ない話じゃないですよね?」
「まさか。ただ、少し話しておくべきことがある」
ティタニアが静かに言葉を挟む。
「……気をつけてね、アルヴィオ」
「わかってる。すぐ戻る」
そう言って、俺は夕陽の差す部屋を後にした。




