第1話 主人公はもう、死んでいる。
腐れ縁のエロゲシナリオライター、寺島朝日が交通事故で死んだと聞いた日の夜、俺は浴びるほどに酒を飲んだ。
朝日は本当にどうしようもない人間で、救いようのない変態で、狂気じみてさえいたが、それでも、俺の数少ない友人だったのだ――。
◆◆◆
「……すでに知っている人もいるかもしれませんが、皆さんにとても大切なお知らせがあります。昨日、クラスメイトの古橋夕さんが亡くなりました」
担任教師は慎重に言葉を選ぶようにしながら語っていく。
教室の空気は肌感でわかるほど、あからさまに沈んでいた。
「交通事故だったと聞いています。本当に突然のことで、私もまだ気持ちの整理がついていません。悲しい気持ち、信じられないという気持ち、さまざまな感情があると思います」
ただのエロゲ好きなアラサー陰キャサラリーマンだったはずの俺もクラスの一員として話を聞いている。
「無理に気丈に振る舞う必要はありません。泣きたい時には泣いて、そうやって、みんなで乗り越えていきましょうね」
申し訳ないが教師のありがたいお話はまったく頭に入ってこない。
俺の頭の中はずっと、「なぜ?」に支配されていた。
どうしてこんなことになっている?
あの日、朝日が死んで、酒を飲みすぎた俺はそのまま寝落ちして、それから——。
「もし、何かお話したいことがあったらお友達でも、先生でも、カウンセラーの先生でも——」
「ねえせんせー。藤咲さんも今日いないけど、どうかしたんですかー?」
女子生徒の1人があっけらかんと口を挟む。
「え? あ、ああ、彼女は……その、ね。……登校した際には、みんなで温かく迎えてあげてくださいね」
「ふーん。まぁ、大体察してるけどねー」
藤咲——そう、藤咲兎羽だ。
それはこの世界におけるヒロインの名前である。
知っていた。知らないわけがない。
藤咲兎羽は某エロゲアワードで大賞を受賞した大人気美少女ゲーム『永遠の小夜曲』のメインヒロイン。
俺がこの世界で目覚めた時、視界にはまず藤咲兎羽が映った。同時に、主人公である古橋夕の姿も。
ああ、なんて仲睦まじまいカップルだろう。これは純愛を愛するエロゲーマーである俺にとって、理想であり、夢の景色。
だけど次の瞬間、季節外れの雪にスリップした大型トラックが2人の元へ突っ込んで来た。夕は当然だと言わんばかりに兎羽を庇って、自らの身体を投げ出し、犠牲にする。
泣き叫ぶ兎羽と、大怪我を負って血傷だらけの夕。それが、この世界における最初の記憶。
俺は今、エロゲの世界にいる。
「うぷっ…………」
突如、胃の奥底から爛れた熱いものが込み上げてきた。
「す、すま、せん、と、トイレ……っ」
口元を押さえながら教室を駆け出す。トイレの場所なんて知らなかったが、適当に走ったらすぐに見つけることができて幸運だった。余裕も皆無で必死こいて個室に入り込む。
「——————————ッッッッ」
口から吐き出せるもの全てを吐き出す。
おかしいんだよ、ぜんぶ。
どうして古橋夕が死ぬんだよ。
『永遠の小夜曲』はコテコテのキャラ萌えゲーだ。純愛を極めた愛すべき作品だ。こんな救いのない展開は存在しない。あるはずがない。
その上、そのあり得ない世界に存在する俺は、一体なんなんだよ。
「……久住奏多」
それがこの世界の俺の名前。
手洗い場で口をゆすいだ俺の眼前の鏡には、見慣れない優男の顔が映っている。
藤咲兎羽にすげなく振られてしまうだけのチャラ男脇役で、敗北者だ。それが、俺。
「なぁ朝日……どういうことだよ、これ。なんの冗談なんだよ、なぁ……!」
今は亡き親友へ、語りかける。
「俺にどうしろってんだ……?」
やっぱりあいつは、あんな物語を描きたくなかったんだろうか。
主人公の死という、こんな最悪のシナリオを望んでいたのだろうか。
『永遠のセレナーデ』のシナリオを描いたのは、寺島朝日だった。
「クソ……ッ」
たとえ主人公がいなくとも、現実となったこの物語に終わりはない。奈落の底まで転がり続ける最悪のシナリオが、始まろうとしていた。