7.上司と部下
転移門を出ればロゼ公爵家の馬車が止まっていて、グレイにエスコートされ乗り込む。滑らかに進み出した馬車は振動を軽減する魔法、もしくは技術が組み込まれているのか、快適だ。
「わざわざ馬車まで……私が来ないと言ったらどうしたのです?」
「そのときは寂しく一人で帰ったよ」
「お金がもったいない」
「ルビィが倹約家だったのは意外だね」
「必要なときは使いますよ。私とて貴族ですから。まあ、湯水の如く使っていた過去があるので信じ難いかもしれませんが」
「話には聞いていたけど……俺は今のルビィしか知らないから、過去の君の方が信じられないかな」
殺す側と殺される側であったはずなのに、そんなことは微塵も感じさせない会話が馬車の中で続いていく。時折グレイが探るような視線を向けてはいるが、気づいているルビィは素知らぬ顔で口を開くのみ。やがて諦めたのか苦笑したグレイは、会話を楽しむことにしたようだ。
「あそこが王立学校だよ。俺も通ってる」
「大きすぎませんか?」
「魔法科と騎士科があるからね」
「ああ、練習すると言うことはきっと暴発なんかもあるんでしょうし広さは必要ですね。グレイ様は通っているんですよね?」
「うん。俺は騎士科だね」
「私はどちらで入ることになるんでしょう」
「どっちでもいいんじゃない? 俺としては同じだと嬉しいけど、魔法が得意だったら制御を覚える方が大事なときもあるし。稀ではあるけど、魔法科と騎士科であればどっちにも属することができるよ」
「なら、非常に面倒ではありますが魔力次第で両方ですね」
士官科や、淑女科、貴族科に薬学科などかなりのコースがある学校だが、魔法科は条件を満たした場合強制的に入学する必要が出てくる。そのため、魔法科ともう1つ、合計2つまでは所属できるのだ。その説明にすぐさま2つ受けると申し出たルビィに、グレイは目を瞬かせた。
通常、貴族女性は学校に縛られることを嫌うのだ。そうは言っても、結婚相手を探したり、顔を広めたりとやるべきことは多いため必ず通うのだが。それでも、よほどの理由がない限りは淑女科に通い、貴族のマナーや茶会のマナーなど貴族女性としてのルールを学ぶ。その傍でいい殿方を探すのだ。
面倒だと言いつつも両方にすると言った意図が正確にわかるわけではないが、きっと今回の結婚も関係してくるのだろう。そう結論づけたグレイは微笑む。
「ルビィは普通じゃないね」
「褒め言葉として受け取っておきます」
貶したつもりもなかったので、傷付かず平然と返してきたルビィにグレイはまた好感を持った。ちなみに、最初に彼がルビィに惹かれたのは、殺そうとやってきた男の前で平然と「寝てもいいですか?」と聞いてきたときだ。
頭がおかしいと思わないところで、この男も大概おかしいのだとよくわかる。
「それで、今はどこに向かっているんです?」
「ああ、公爵家の経営するカフェだよ。軽くではあるがそこで昼食でもどうかと思って」
「まだお昼なんですね」
転移門の有能さに唸ると同時に、あの価格を思い出したルビィは遠い目をする。その様を見て、グレイは喉の奥で軽く笑った。
ちょうど正午頃にカフェに到着し、グレイに手を引かれて馬車を降りたルビィは個室へと案内された。先触れを出していたためにスムーズではあったのだが、馬車から店内に入る短い時間で向けられた視線の数に彼女は疲れ果てていた。
グレイの人気を、甘く見ていたのだ。
「疲れた?」
「逆によく疲れませんね。あんな見せ物のように見られて」
「今日はルビィがいてくれたおかげでずいぶん楽だったよ」
「なるほど、私には女よけの役割もあるのと」
「うーん。なんて言ったら君は俺の愛を信じてくれるのかな」
「そもそも今の言葉に愛などありましたか? それに、出会ってからこれまでの間に愛が芽生える要素なんてなかったと思いますが」
優雅にではあるが、椅子に腰掛けたルビィは明らかに疲弊していた。視線の中にはルビィに好意を向けるようなものもあったのだが、彼女は気づいていない。グレイも、教えるつもりはないようだ。
「よほど疲れたようだし、メニューは俺が適当に頼もうか? 苦手なものは?」
「ありがとうございます。今はあっさりしたものがありがたいですね」
「了解」
希望通り濃くない味の料理を選んだグレイは、得意でないものが混ざっていた可能性を考え自分のものもあっさり系にする。ルビィから言い出すことはないだろうが、料理が運ばれてきたときの表情である程度判断してどちらかを選ぶつもりだった。
結果、運ばれてきた二種類のパスタにルビィは顔色ひとつ変えることなく、お礼を言って受け取ると優雅な所作で食事を始めた。前世の彼女にとって、食事はただの栄養補給でしかなかった。美味しいものを食べるというささやかな趣味はあったが、忙しいときは気にしていられない。よって、食べらればなんでもよかったのである。
「ルビィには苦手なものはないの?」
「濃すぎなければなんでも」
「なんでも?」
「口に入れば全部おんなじですし。悩むという過程がすでに面倒くさくて疲れます」
「うわぁ。貴族令嬢としてどうなのそれ」
「美味しいと思うことはもちろんありますよ。苦手なものという問いだったのでそう答えただけです」
「ふうん? じゃあ好きなものは?」
「濃いものよりは薄味が。デザートも甘すぎないものの方が好みですね」
「へぇ? 覚えておくよ」
「グレイ様はあるのですか? 好みが」
面倒くさがりなルビィであるが、会話などを面倒だと思うことはあまりない。探り合いや、遠回しな言い方が億劫なだけだ。この質問をしたのも、会話をつなげるためだった。婚約者であるが、その前にグレイをこの世界でのとりあえずの主人だと理解しているルビィにとって、彼に気分よくいてもらうことは大事だ。にしては不の感情も全面に出しているが。
少なくとも、主人の好みを知っておくことは大事だろうと判断しての質問だったのだが、グレイは思いのほか嬉しそうに目尻を下げる。
「そうだね。俺もルビィと近いかな。だけど、苦いものは少し苦手」
「苦いもの。ピメントとかでしょうか」
「そうだね。何かに混ざってれば食べられなくもないけど、好んで食べたいとは思わないかな」
緑色で、中は種がある部分以外空洞。生のままでも食べられるピメントは、苦味が強い野菜だ。子供が苦手とする野菜ナンバーワンと言っても過言ではない。
「多分、大人になれば変わってくると思いますよ」
「今苦手なものを好きになれる気はしないけど」
「大人より、子供の方が味覚は敏感なんです。話を聞く限りグレイ様は苦手でもきちんと食べているようなので、次第に苦味にも慣れて、大人になる頃には普通に食べられるようになっているのではないでしょうか」
「それは初めて聞いたよ。でも確かに、父上も幼い頃はピメントが苦手だったと聞いたことがある」
「私も詳しいわけではありませんが」
話題提供のために前世の記憶から引っ張り出してきたものだったが、存外グレイは興味を持ってくれたようだ。塩味や甘味、うま味は生きていくために必要な栄養素として認識するため子供は好んで食し、苦味は毒、酸味は腐敗したものとして認識されるために苦手な子供が多いと聞いたことがあると続ければ、グレイは納得顔で頷いた。
「子供は味で危険を察知してると」
「どこまで本当かはわかりませんけどね。良薬口に苦しとも言いますし」
「でも、確かに腐敗したものは酸っぱい味や匂いがするものが多い。確実に違うとは言い切れないな」
パスタを食べ終わり、店員を呼べば運ばれてきたのはあたたかい紅茶と、小さいケーキが乗った小さな皿が何段も収められたスタンドだった。こんなに食べられないが、余ったものは持ち帰ることも可能で、不要であれば店員が食すため無駄にはならない。
この一気買いも、貴族の責務である。
「さて、食事も終わったことですし、どうやって辺境伯を落とすかのお話を伺いたいのですが」
「直球だね」
「遠回りな会話は好きではないので」
「好きではないけどできる?」
「基本的にはどんなときでも直球で行きます。面倒臭いので」
「はは。なんか、君らしいね」
一口で食べられるケーキを半分に切ってから口に運び、笑うグレイに視線を向ける。笑いがおさまったあとケーキを丸ごと1つ口に放り込んだグレイは、行儀良く咀嚼が終わってから口を開いた。
「俺たちはもう婚約してるよね」
「ええ。一応」
「一応って……まあいいけど。で、俺としては婚約者の父上を消して『はい、終わり』っていうのは微妙だと思ってるんだよね」
ルビィとガンコの様子を見て、親子仲は悪くなさそうだとグレイは思った。そしてルビィに少なからず興味を持っているグレイとしては、罪を償わせたいというのが本音だ。
殺すことは簡単だし、ルビィも同意するだろう。だが、なんとなく嫌だった。
自己満足でしかなかったのだが、ルビィはグレイの言葉に軽く目を見開いた。ほんのわずかな差でしかなかったが、裏の仕事には尋問も含まれるためグレイにはわかる変化だった。
「なぜです」
「んー。ルビィはもう俺側の人間でしょ? で、今回の対象は君の家族だ。俺としては、君が納得しやすい形で終わりにしたいと思ってる」
「そう、ですか」
「まあ完全に自己満足なんだけど」
「いえ、私としても育ててもらった恩は感じていますので、その……とてもありがたいです」
「そ、れならよかった」
まだ知り合って数日だが、はにかむようなその表情が珍しいだろうことはグレイにもわかった。思わず噛んでしまったが、ルビィはすでに表情を元に戻し、気にした風もなく茶を飲んでいる。
「ルビィ」
「では、私は証拠を掴んでくればよろしいですか?」
カップを空にしたルビィが口を開くのと、グレイが声をかけたのはほぼ同時だった。しかしわずかにルビィの方が早く、グレイは名前を呼びかけるにとどめ口を閉じる。
そして聞こえてきた言葉に、思わず固まった。
「ルビィ、それは俺の家がやることであって」
「今後、このまま進めばグレイ様は辺境伯家当主となります。そして、私はグレイ様の妻と。ロゼ公爵家の仕事をグレイ様が引き続き引き受けるのであれば、私が動いても問題ないのでは?」
「……まあ、そうかもしれないけど」
父親のことを少なからず好いているのなら辛いのではないか。そう思っての判断なのだが、ルビィは気づいた上でそんな配慮はいらないと言う。
「罪を犯したならば償うが通り。むしろ、私も父も償うチャンスをいただいたのですから、悩む必要などないかと」
「ルビィがいいならいいけど、関わったらもう戻れないよ」
「もとより、私にはその生き方の方が合っていますので」
臣下のように、けれどどこか寂しげに。そう言ってのけたルビィに、グレイは動揺と違和感を覚えた。
寂しげな表情に戸惑い、乾いた口内を紅茶で湿らせ、違和感の正体を突き止めるべく口を開く。
「なんかさ、ルビィ……俺の部下みたいじゃない?」
「違うんですか?」
さも当たり前のかのような顔で返された答えに、グレイはガックリと肩を落とすのだった。