4.空想上の少女
ドレスは何十着、何百着もありそうなのに、シンプルなものは今のところ1つもない。どこぞの美術館に飾るにふさわしき、芸術品と呼びたくなるようなものばかりが出てくる。ゴテゴテと鬱陶しいほどに宝石が飾られ、総重量がどれだけあるか見当もつかないほど重そうなドレスに、フリルやレースがふんだんに使われたこちらも重そうなドレス。見ているだけでクラクラしそうなそれらを売って、もっと使いやすいドレスを増やそう。エリーがたくさんのドレスを引っ張り出している間、ルビィはそう固く決意していた。
だいぶん用意に時間がかかりそうだと思われたが、エリーの働きでまともに着られそうなドレスは意外にも早く見つかった。濃い藍色のドレスに身を包んだルビィは、着替えが終わるとエリーの手によって化粧を施され、髪型を整えられる。
まだ到着の知らせがないためそんなに待たせずに済みそうだと安堵の息をこぼしたルビィは、エリーに礼を伝えると部屋を出た。そのタイミングで、アンナが到着を知らせてくれた。
「無事準備を終えられたようで何よりです。つい先ほどロゼ公爵様がたが到着されました」
「お父様は」
「お伝え済みで、一緒に会われるそうです」
「わかったわ」
ルビィの母は、王族の血を引く女性だ。直系ではないがそれでも由緒正しき血筋の人である。その人を血筋だけで娶ったのが、父であるガンコ=ドルチェだ。
でっぷりとした素晴らしい腹を持ち、口髭を撫でるのが癖。愛などというものは一切信じておらず、信じているのは金のみ。その粗い金遣いを賄うため、様々な悪事に手を染めているが頭も悪くないためなかなか尻尾を掴ませない、そんな男だ。
今回のグレイとの婚姻。おそらくガンコは素直に喜びはしないだろう。
すでに亡くなった母ロアナにも、ルビィにも愛はなく、より自分に都合のいい相手に嫁がせることだけを考えている男にとって、ロゼ公爵家との婚姻は願ってもないものであるはずだ。だが、ルビィの性格があまりよくないことをガンコは知っている。日常茶飯事の暴言、脅迫など、多少報告漏れがあったとて些事だろう。
そんなルビィに、こんなにいい縁談が入るのはおかしい。そう思うのは自然だ。
「入れ」
「お待たせしてしまい、申し訳ございません」
ノックをし、ガンコのぶっきらぼうな返事を確認してから扉を開く。部屋に入ると最初に飛び込んでくるのは庭が見える大きな窓だ。その手前には窓と垂直になるように長細いローテーブルがあり、三人がけの2つのソファがテーブルを挟むように置かれている。ルビィから右手側にはがっしりとした体に、シルバーブロンドの髪をオールバックに整えているロゼ公爵が座り、その隣には口元も頭も隠しておらず、白にも銀にも見える柔らかそうな髪をあらわにしたグレイが座っていた。
「ようこそお越しくださいました。ルビィ=ドルチェと申します」
「アレクセイ=ロゼだ。こちらこそ突然の来訪申し訳ない。辺境伯にも謝罪していたところです」
楽しそうに瞳を輝かせるグレイは無視をして、ガンコのそばまで寄ってから挨拶をする。アレクセイは無表情ではあるが柔らかい声音で自己紹介をすると、隣に座るグレイを紹介した。
「して、今日はルビィと婚約がしたいとお伺いしましたが」
座るように促され、ガンコの隣に腰を下ろす。ルビィに一切見向きもしない父であるはずの男は、太々しい態度を崩そうとしない。
辺境伯とは、それほどの軍事力と地位を持っているのだ。
「いやなに、グレイがどうしても御息女と結婚したいというものですから」
「はい。先日の茶会でドルチェ嬢をお見かけしてから、彼女しかいないと。若輩者ではありますが、彼女の婚約者という栄誉をいただけないでしょうか」
口から砂糖が出せるようになるかもしれない、とルビィは思った。それほどまでに甘くとろける瞳と表情でグレイは宣ったのだ。演技力が凄まじい。
「先日の茶会……というと」
「マロニー伯爵家でのものですね」
グレイの能力は暗殺と演技力だけではなかったようだ。きっちりとルビィが出た茶会を調べ、矛盾点が出ないようストーリーを作り上げ、疑われないよう頭に擦り込んできたのだろう。
一度も噛むことなく告げられた、いわゆる一目惚れの流れは、疑いたくなるぐらいに素敵な物語であった。まだ前世を思い出していないルビィの行動としてはあり得ないと断言できるほどに、美しく可憐で繊細そうな少女がグレイの話の中には存在していた。
(そんな可憐な美少女本当にいるなら見てみたい……ああ、ヒロインとかがいたらそうなんだろうか。というかいるんだろうか。考えるのも面倒だ)
意識を遠くに飛ばしながら小説のような一目惚れ話を聞いていたルビィは、隣に座るガンコが口角をわずかに上げたのを視界に捉えた。実際の情報を織り交ぜ完璧に作り上げたそれらのおかげで、無事に一番面倒な関門を突破したようだ。
あまり嬉しくないな。とルビィは思う。
「なるほど、グレイ様は本当にうちのルビィを気に入ってくださっているようだ」
「もちろんです。誰かにドルチェ嬢を取られてしまうやもしれないと、両親を説得した今日そのまま訪問してしまいました。本当に申し訳ありません」
突き刺さる視線に愛情など含まれてはいないが、確かにそこに熱はある。普通の令嬢ならば、その切れ長の瞳から熱のある視線を向けられれば勘違いをしたことだろう。
昨日までのルビィなら盛大に勘違いをし、グレイを手に入れるために手を尽くしたことだろう。悪事にも手を染めただろうし、嘘の噂だって流すはずだ。だが、今のルビィは違う。
自分の損得を天秤にかけ、かろうじて得に傾いたからこそグレイの提案に乗っただけだ。彼が婚約を進める理由も楽しそうだからだと判断しているルビィは、顔面に笑顔を貼り付けたまま成り行きを見守る。
「ドルチェ嬢。俺と婚約してくれませんか」
「……私でよろしければ」
辺境伯当主の手前、本性を曝け出す気はないのだろう。年下のルビィにも敬意を払い、グレイは完璧すぎる笑顔でそう問いかけてきた。
頷きたくないという本心を必死に押さえつけ、ルビィはかろうじて小さく頷く。
「よかった。ドルチェ辺境伯、婚約を認めていただけますでしょうか」
「もちろん。我が家としても、公爵家と繋がりができるのは非常にありがたい。公爵家として教育を受けているグレイ様であれば、ルビィと共にしっかりと辺境伯を収めてくれることでしょう」
嬉しそうにするガンコは、もう公爵家の二人を疑ってはいないようだ。今後繋がりができる公爵家の名を使い、どんな事業ができるか考えているのだろう。そしてそれは、目の前にいる二人と実の娘によって叶わず、地獄に落ちることになるとは想像だにしていないのだろう。
物騒なことを考えつつ、ルビィはアレクセイから向けられる視線を受け止める。部屋に入ってきてからずっと送られていたそれは、ルビィの本心を確認するためのものなのだろう。
グレイから報告を受けたとして、小娘が暗殺を阻止したなどと信じられるはずがない。面倒臭いことこの上ないと思いつつ、ルビィはアレクセイにだけわかる殺気を返し、にっこりと笑って見せた。
「何もできぬ小娘ではありますが、精一杯努めたいと思いますのでよろしくお願いします。公爵様」
「……ああ。今後家族となるんだ。アレクセイでいい」
大きく見開かれた目に、目論見は果たしたとルビィは殺気をしまう。ある程度の実力があるグレイが本当に暗殺を失敗したのだと、これで理解したことだろう。仮にも婚約者になるのだから、さっさと面倒の芽は摘んでおくに限る。
父親の空気が変わったことを察知したのか、グレイが笑みを深めた。その様子を視界に入れつつ、ルビィは冷めてしまった紅茶を優雅に口に運ぶ。
「それでは、正式な書面は後日送らせていただく。婚約のお披露目は大きいものとなるが、段取りはグレイが進めるそうなので問題ないでしょう。ルビィ嬢も一緒に頼めるだろうか」
「問題ありませんわ」
「これで、何の口実もなく君に会いに来られるね」
再び口から砂糖が溢れそうになって、ルビィは優雅に見える所作で冷えた紅茶を飲み干した。何だ、あのとろけるような笑みは。と心の中で突っ込みながら、無言を貫く。
あまりグイグイ来られると、逃げたくなる。そんな風に思いながら、ルビィは胡散臭いけれど完璧なその笑顔から視線を逸らしたのだった。




