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2.憂鬱としか言いようがない

 婚約の打診をされたルビィはグレイを見送り、すぐに布団に潜り込み二度寝を決め込んだ。仕事がないのであれば、できる限り惰眠を貪りたい思ったからだ。だが、前世で馬車馬のように働かされていたルビィは記憶と同時にあの頃の体力も蘇ったのか、育ち盛りの年齢にも関わらず眠気はやってこない。

 仕方なく、本当に仕方なく。彼女は現状について少しだけ考えることにして目を閉じる。


 ツヴァイとは、前世のルビィ直属の部下である。暗殺班はルビィが隊長を務めた女性班が1つと、別の男性班が1つの2班のみで、女性班の副隊長がツヴァイだった。調子に乗りがちではあったが実力も確かだったツヴァイは、流行にも敏感でいろんな情報を仕入れては任務中に話してくることが多かった。

 仕事中だと言っても閉じなかった唇を思い出して瞼を下ろしたまま眉間に皺を寄せたルビィは、短く息を吐き出す。確か、最後に話していたのが異世界転生ものの話だったと布団から出した右手で眉間を揉む。


「おそらく、悪役令嬢とやらが私のポジションなんだろうな」


 前世を思い出したとて、都合よくこれまでこの世界で生きてきた記憶が消えるわけではない。頭の中に残り続けている自分が行ってきた悪行に、さらに深くなる皺。

 前世の自分が屠るべき対象になるであろう所業に、だからグレイが来たのだったと小さく頷き改めて納得を示す。


「……憂鬱」


 お嬢様口調も今のルビィには慣れ親しんだものだが、思わず前世でのぶっきらぼうな言葉が口をついて出てしまったようだ。深く長いため息を吐き出した彼女は、しかし内容はよくわからないなとまた思考の渦に沈んでいく。


「ヒロインってのがいる確率が高くて、他に転生者がいる可能性もゼロじゃないんだったね。いやもうこの上なく面倒臭い」


 ゲームであったり、小説であったり。ベースとなるものが存在していることが多いらしいが、そもそも小説を読まずゲームもしないルビィには原作など絶対にわからない。悪役令嬢がどういうものかも聞いているが、恋するより楽して生きていきたいルビィにとっては厄介な役割以外の何者でもない。

 嫉妬とはなんだ。なんで嫉妬していじめるんだ。と言うかなんで婚約者が他の女を好きになるんだ。ルビィにとってはツッコミどころしかない設定である。面倒臭すぎてツヴァイに突っ込んだことはなかったが。


「まあ、思うところがないわけじゃないし」


 原作の強制力というものが存在する場合もあるが、存在しない場合もある。要するによくわからないということだ。とある程度情報を整理したルビィは、目は閉じたまま納得したようにそう締め括った。

 暗殺部隊に所属していたルビィは、大義のためその任についていた。適材適所だと、苦手な人たちがやらなくていいようにと自ら願い出てその部署に入っていた彼女は、人が嫌いでもなく、だが別段好きなわけでもない。ただ、つまづかなくていいはずの小石があるなら取り除くらいしてもいいと思っていた。そして生きていくには金が必要だとあれば、暗殺者は非常にちょうどいい稼ぎ場所だったのだ。

 今世では、自分がその石だった。他人の邪魔しかしない、大きな石。さらに父親は辺境伯として国境を守る立場にも関わらず、ルビィよりさらに厄介で邪魔で、壊しにくい岩石でも言えばいいだろうか。これまでの行いを鑑みれば、取り除く手助けはするべきだろうとルビィは判断した。多少なりとも償いはするべきだろう、とも。


「お金はあるけど義務もある。でもある程度好き勝手できそうな地位で、結婚相手も私が普通じゃないって理解はしてそう。むしろ楽しんでそう。そう考えれば……悪くはない、はず」


 ベッドの上で目を閉じ、ぶつぶつと独り言を呟く彼女の姿を見たら使用人たちはどう思うのだろうか。かなり不審者であるが、周りに誰もいないと分かった上でやっているので何も問題はない。

 声にも出し、現状の整理を終えた彼女は何度目かわからない長い長い息を吐き出した。楽しそうな仮の婚約者の笑みを思い出し、まだまだ吐き出せそうだが仕方なく息を吸う。


「寝よう」


 独り言も虚しく、カーテンのわずかな隙間からは朝日が差し込み始めている。とっくにしらみ始めた空は枝に止まっている鳥の鳴き声から察していたが、見ないふりをしてルビィは枕に全体重を預ける。

 前世よりも寝心地のいい枕に、やってこない睡魔。

 数秒後、諦めたように目を開けたルビィは、嫌味なくらいキラキラと輝いている部屋を見て不快そうな表情を歪める。


「まずは、この家具全部売ろう」


 目を閉じていても開けていても安らぎが得られず、二度寝を諦めたルビィはベッドから起き上がり窓へと近づいた。

 カーテンに手をかけ、先ほどグレイが侵入し、そして去っていった窓を開ける。続くバルコニーに足を踏み出せば、今まで見てきた景色とは全く異なる、緑豊かな大地が広がっていた。

 魔石を核とする魔物や、他国から国を守る役目がある辺境伯領は国の端にある。魔物が出る森と国境が近く、街と反対方向は人の手が入っていない自然しかない。


「うん、悪くない」


 風に揺れる木々と、差し込む柔らかい朝日。ルビィが無遠慮に開けた窓の勢いに驚き飛んでいく見たことのない鳥たち。鼻から勢いよく息を吸ったルビィは、先ほどまでとは異なりゆっくりと気持ちよさそうに息を吐き出した。

 部屋に近づいてくる足音を聞き分け窓を閉め、ベッドへ向かうと腰掛ける。貴族とは、侍女に世話をされるのも仕事だからだ。そして主人として振る舞うべきではあるが、決して支配してはいけない。扉が開くと同時に取るべき行動を決めたルビィは、手櫛で簡単に髪を整えると掛け布団をめくり、身を起こした状態で浅く布団に収まった。


「どうぞ」

「あ、お、お嬢様。おはようございます」

「おはよう、エリー」


 ノックに答えれば怯えたような反応が返ってきて、ルビィは内心で苦笑する。

 暴言は当たり前で、服などの物を投げることは日常茶飯事。飲み物や食べ物が気に入らなければテーブルクロスをつかみ、上に乗ったすべてのものをひっくり返すなんてこともしてのける令嬢。それがルビィ=ドルチェだ。

 甘く可愛らしい名前より大人っぽい容姿と、その名前と真逆の毒々しい性格。前世の記憶を忘れていたからなどいう言い訳は当然通らない。

 ルビィはベッドから降り、顔を洗うための湯や今日の洋服を準備するエリーに一歩近づいた。カーペットが足音を吸収するため、そして一生懸命仕事をしているためエリーは気づかない。


「エリー」

「え? あ、はいっ! な、なんでしょうか!」


 怯えながら、それでも仕えている主人だからと一生懸命なエリー。震える指先に気づいていたルビィは、その様に触れることなく口を開く。


「今までごめんなさい」

「あ……え? お、じょうさま?」


 頭を下げたルビィを視界に入れたエリーは、現在の状況が理解できずに固まった。

 無理も無い。今年十五歳となるルビィは、生まれてから今まで、ほぼ十五年間ずっと悪女として名を馳せてきたのだ。デビュタント前であり、同い年の女子たちと行う茶会程度しか参加していなかったため、その悪行が知られている範囲は広くはない。だが、脅し、脅迫、暴言なんでもござれだ。暴行こそないものの、娘でこれなのだからその親は。考えたくもない。

 辺境伯という国の防衛を担う大きな家だからこそ若干目を瞑ってもらっていたが、父親の悪事もあって取り返しのつかないところまで来たことはグレイの登場でルビィも察した。グレイに生かされてしまった今、どう転んでいくかわからないが、関係修復の努力はすべきだろう。そのためには、これまでの行いを覆すほどの誠意を見せ続けなければなるまい。

 グレイから持ちかけられた結婚も、契約と考えればかなり好条件だろう。死を免れただけでなく、罪を償う機会が得られたのだから。


「加減を知らず、止めるべきタイミングもわからず。ずっとあなたたちに暴言を浴びせ続けたこと。今更だけど謝罪させて欲しいの」

「な! わ、私たちはただの使用人で……使われるべき、人間で」

「ええ。あなたは我が辺境伯家が雇っている、立派な侍女だわ。雇い主が虐げていいはずがない。……本当に、ごめんなさいね」


 はくはくと口を動かし、両手を左右に振るエリー。だが、ルビィが言葉を紡いでいる間に何かを思い出したのか、それとも日々に疲れ果てていたのか。自然と頬に涙が伝っていた。

 去年成人である十八歳となったエリーだが、ルビィよりも背が小さい。年齢の割に背の高いルビィはエリーの頬に手を伸ばすと、傷のない白く綺麗な人差し指で涙を拭った。だが、いくら拭っても止まりそうにない涙と、声を抑えようとしている姿が痛々しい。


「許して欲しいわけじゃないの。そもそも私はまだ気が付いただけ。これから行動で示していかなければならないわ」


 まだ言葉を話すのが難しそうなエリーの背をさする。ルビィの言葉を聞くことに集中している彼女は、背中を撫でられていると気づいていないようだ。


「だからエリー。隣で見ていてちょうだい」


 間違ったことをしたら止めて欲しいというのが本音ではあったが、いち侍女であり、今まで虐げられていたエリーには難しいだろう。そう判断し告げたルビィに、エリーは目をまんまるに開いて硬直した。

 あの傍若無人な主人が頭を下げて非を認め、これからの行いを見ていて欲しいと言ったのだ。その反応も当然だろうとルビィは思っていた。だが、エリーは全く違うことを考えていた。


(お嬢様が、儚げに見える日が来るなんて……)


 眉を吊り上げ、不機嫌な表情を崩そうとしなかったルビィ。笑うことはあっても、嘲りを含んだ顔しかしなかった。そんな彼女が真摯に頭を下げ、泣き止まないエリーを心配そうに見つめたあと、決意を宿した瞳でふんわりと笑って見せたのだ。

 元々顔が整っていたルビィは、不機嫌顔はもちろんだが、嘲り顔も迫力しかなかった。そんな彼女の表情の変化に一番驚いていたのである。


「あ、えっと……私で、よろしいのでしょうか」

「あなたがいいのよ。今までずっとそばで私を見続けてくれていたあなたが」


 ようやく我に返ったエリーに、ルビィは静かに頷いた。

 素晴らしき悪女であったルビィの侍女は、ほぼ全員長く続かずすぐに辞めてしまった。そんな中で唯一、最後までついていてくれたのがエリーだ。ルビィが二歳の頃からこの家に見習いとして入っているので、もう十年以上の付き合いになる。父親からの扱いも決していいとは言えないはずなのに、本当によく勤めていてくれたものだ。


「私でよろしければ、是非」

「ええ、よろしくね」


 涙を拭ったエリーが、首が取れそうな勢いで大きく頷いた。困ったように笑ったルビィはそれでも嬉しそうに、今まで使用人に向けたことのない笑顔を浮かべるのであった。

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