13.闇魔法と暗殺者は相性抜群
筋力、肺活量、視力強化と、ルビィは走りながらつぶやいた。これらはもし無意識発動したとしてもそこまで影響はないため、トリガーは技名のみだ。
身体強化など、それこそ物語の中の話であった。自らの筋肉を強化し、普段以上のパワーやスピードを出せる。もしそんなことができるのならば、暗殺者にとってこれほど欲しい能力はない。筋肉を繊細に動かせるようになれば、今まで以上に気配を消せる。足音を立てずに歩くことも容易く、背中を取るのは簡単になるだろう。頑丈さもあげられそうだ。
「これは、素晴らしいですね」
「俺は今少しだけ後悔している。君の相手は、ジェイかグレイにさせるべきだったと」
「とりあえず今は、胸をお借りしても?」
「言い出したのは俺だ、最後まで付き合おう」
身体強化をしたとて、髪の毛が逆だったりなどはしない。だが、一定以上の魔力量を持つものが見れば、体の周りを覆う魔力に気づけるだろう。うっすらと、しかしはっきりと。それこそ一枚の布のようにピッタリと体に纏わりついているほど、身体強化は洗練されていると言われている。もやに覆われたような不恰好なものは、そこまでの強さは持たない。適性があった故でもあるが、ルビィは完璧に魔力の布を纏っていた。
ごくりと喉を鳴らしたニコラウスは、圧縮を発動する。圧縮は必ずしも全てを握りつぶす必要はなく、例えば籠手だけを狙うこともできる。それは、ニコラウスが研鑽してきたからの成果でもある。
だが、狙いは外れた。いや、外されてしまった。
「一対一で戦うとなると、そのトリガーはやはり不便ですね」
対象に腕を向けなければいけないというのは、対象もどこを狙ってるか理解できるということだ。もちろんニコラウスもそれを理解した上でつけたトリガーである。
圧縮発動までの時間は、かなり短い。腕を上げておけば、狙ったあと手のひらを閉じるだけでいいのだから。そしてニコラウスは能力上一人で任務に赴くことはない。味方を巻き込まないように、という意味もあってのトリガーだった。
一対一であったとしても、銃を向けられた人間が、その銃の弾丸を全弾避けられるのか。答えは普通否だろう。だが、目の前のルビィはやってのけているというのがおかしいのだ。
「基本俺が一人で任務に赴くことはないからな。それこそ、ルビィ嬢のような前衛が必ず一人はいる」
「拷問にも、暗殺にも有用な魔法ですしね。それに次期公爵であるなら、まとめ上げる能力の方が大事なのでしょう」
「だとしても、全部避けられたのは初めてだ」
「私も全て避けられるとは思っていませんでした。全て、闇魔法のおかげですね」
「闇魔法がそこまで万能だと言う話は初めて聞くがな」
ニコラウスが手を握るたびに空気が握りつぶされたのかシュッと短い音が鳴り、解放されると同時にわずかに砂埃が舞う。ニコラウスから一定の距離をとりながらぐるぐると走り続けていたルビィは、足を止めると目を閉じ指を鳴らす。
転移を発動したのだ。
「どこに……」
「鈍化」
対面にいたニコラウスにはすぐにルビィの居場所を把握することができなかったが、上から見ていたグレイたちは違った。ニコラウスの後ろをとったルビィの姿が、はっきりと見えていた。ニコラウスに腕を伸ばし、何かをつぶやく。その手のひらの感触と小さな声は、ニコラウスにも感じ取れた。
「っな」
途端に、ずっしりと重くなった体。振り向こうにも、服を着たまま深海に放り込まれたようで思い通りに動かせない。ようやく体の向きを変えると、そこには平然と立つルビィがいた。
「……完敗だ」
「ありがとうございました」
重しをつけられたような両手をゆっくりと上げ、ニコラウスは笑った。数少ない笑みの中で、一番年相応の爽やかな笑みに数度瞬きしたルビィは、しかしすぐにお礼を言って頭を下げた。
「解除」
「ルビィ、怪我は」
「俺の心配をすべきだと思うんだが」
「俺もそう思う」
「問題ありません、そんなことより、闇魔法は素晴らしいですね」
席から飛び降り、駆けつけたグレイの第一声にニコラウスとジェイが苦笑した。そんなグレイの心配の声に一言で返したルビィは、心なしか弾んだ声を出している。
これまで見た中で一番の変化に、グレイは先ほどの返答など気にした風もなく首を傾げた。
「ルビィは戦闘好き?」
「面倒ではありますが、体を動かす行為の中では好きな方だと思います」
「ならさ、俺ともやろうよ」
「お、俺も俺も」
「もう十分に力はお見せできたと思いますし、連戦したいと思えるほど好きではないので遠慮します」
手を挙げたグレイとジェイに、ルビィは嫌そうに首を振った。公爵家相手にも関わらず、下手に出たりはしないようだ。
「それにしても、魔法を使えるようになったからというだけでは説明できないほどに動けるな。その動きはどこで覚えたんだ」
「気づいたらできるようになった。としか言いようがありませんね。もしかしたら、前世で戦っていたのかもしれません」
侍女から手渡されたタオルで汗を拭っていたニコラウスの疑問に、ルビィは真実を織り交ぜつつ答えた。前世の記憶を持つ人間がいるといった話は聞いたことがなく、おいそれと言っていい内容でもないと判断したからだ。
あえて冗談めかして言うことではぐらかしたとも言うが。
「前世、か。本当なのか、嘘なのか。尋問することもできるが、どうする?」
「兄上!」
「できるならば遠慮したいのですが、グレイ様の婚約者として公爵家と繋がらせていただくにあたり、必要であらば構いません」
「グレイは気にならないのか? 噂と違いすぎる性格に、信じられないほどの実力。なぜ、そんな力を彼女が持っているのか」
「それは……」
グレイから向けられた視線に、ルビィは肩をすくめてみせた。令嬢としてはあまり良くない仕草だが、今は動きやすい格好なので問題ないだろう。
「気になるよ。聞きたいとも思う。だけど多分、ルビィは拷問しても言わないんじゃないかな」
「それはまた、すごいな」
「どうせ言わないなら、言ってくれるまで待とうかなって思ってるんだよね」
「……グレイ様」
「ん?」
自分だって聞きたいが、暗殺しようとしたあの日、殺さないなら寝てもいいかと聞いたルビィが、簡単に口を開いてくれるとは思えなかった。それを自分の言葉で伝えれば、今まで聞いたことのない優しい声がグレイを呼ぶ。
「あなた、とてもいい男ですね」
「そ……れは、あー、もうっ!! ルビィは俺を弄んで楽しいの?」
「弄んでいるつもりはありませんし、楽しいとも別に思っていません」
「なにそれ、俺の喜び損ってこと?」
「今の会話のどこに、ああ、いい殿方であることは疑いようもないと思いますので、喜んでもいいと思いますよ。モテる男性は素敵だと聞いたことがありますし」
テンポよく会話が飛び交い、ジェイとニコラウスが顔を見合わせ、そして同時に軽く吹き出した。その声を聞き、二人の会話が一度止まる。
「兄上、なにを笑っているのですか」
「いや、なに。君たちがそこまでお似合いだとは思わなくてな。俺が入る隙はなさそうだ」
「なにを言っているんです? そもそもルビィは辺境伯の後継で」
「それこそ何とかなるだろう」
「兄上でも、それ以上言ったら許さない」
「ふむ。どこまで本気か知らないが、少なくともかなり執着しているようだな。容姿に才能、そして靡かない性格とわからなくはないが」
怒りをあらわにしたグレイに、ニコラウスは悩むそぶりをみせた。まだ本性を出していないように見えるルビィに入り込みすぎて、グレイが公爵家と敵対する未来を想像したのだ。
「失礼は承知の上で、私の話題のようなので口を出させていただきます」
だが、その想像の上をいくのがルビィだ。わざわざ険悪な二人の間に割って入ったルビィに、ジェイが正気を疑うような目を向けている。
「婚約者につきましては、正直どちらでもいいと言うのが本音です。ですが、私と最初に出会い、父を含め償いの機会を提案してくださったのはグレイ様です」
「……ルビィ」
「グレイ様と婚約させていただくということが、どれほどに過分であるかは存じているつもりです。ですが、この償いを終えるまでは、彼のそばで〝働かせて〟いただけないでしょうか」
何となく感動できそうなそんな展開に見えたのだが、ルビィの最後の発言に沈黙が落ちた。そして意味をいち早く理解したジェイが吹き出し、グレイは天を仰ぐ。
「働く、か。裏切る可能性は低そうだな。君は、我が家のものたちにとてもよく似ているように思う」
笑いはしなかったが、わずかに肩を振るわせているニコラウスが口にしたのは本音だった。死戦をともに渡るからこそ持てる強い仲間意識。そして、なにがあっても主人に尽くすという強い忠誠心。
グレイへの忠誠心はかなりのものだろうと読み取ったニコラウスは、これ以上邪推しても時間の無駄だろうと先ほどまでルビィに向けていた疑いの目を捨てた。
「ルビィ、俺は今の所ルビィと別れる気はないから」
「? 存じていますが」
「グレイ、お前……そこは一生って言わねぇと」
今の所と表現したグレイに、ジェイが小声で突っ込む。ルビィはその〝今の所〟というのも理解した上での婚約だと思っているのだ。
だが、グレイはまだその間違いに気づかない。
二人の様子をもどかしく思うジェイに、同じく気づいていつつ静観を決めるニコラウス。
ニコラウスに関しては、次期当主としてできるだけ彼女をそばに置いておきたいと考えているのだが、どう動くかはグレイ次第だ。もし別れる選択をしたならば、辺境伯家を潰したのち取り込む可能性は十分にありえるだろう。
転移だけでも魅力的なのに、実力もあるとなれば当然だ。仲間の死亡率低下につながるのならば、それが一番なのだから。
「ひとまず汗を流さないか? このままここで話していては、ルビィ嬢が風邪を引く」
「配慮感謝いたします、ニコラ様」
「俺だってそのくらい」
「お前、とことんルビィ嬢の前だとカッコ悪いのな」
「兄上。俺はジェイをもう少し叩き潰してから行きますので、また後ほどお会いしましょう。ルビィはゆっくりしていっていいからね。家まで送っていくから、お茶でも飲んで待っていてくれる?」
「おい、ちょ……待てって!」
相変わらず失言の多いジェイの首に手を伸ばしたグレイは、爽やかな笑顔を浮かべて兄と婚約者を見送ると、そのまま訓練場中央付近へと戻っていく。その様を見ていたルビィは首を傾げ、そんな彼女をニコラウスがエスコートし去っていく。
しばらくしてから、二人きりにしてしまった事実に気づいたグレイが発狂するのだが、それは一時間ほどあとの話だ。




