12.トリガーを作る
グレイとジェイが殺伐とした雰囲気で手合わせをしているとき、ルビィはニコラウスより無意識に発動する魔法の原理について聞いていた。
属性の括りには一切興味がないが、研究者としての側面も持つニコラウスは魔法について詳しい。グレイも不満はあったようだが、下手な講師をつけるよりは圧倒的に兄がいいだろうと理解はしていた。だからこそ、不本意と言いつつ本気で拒否しなかったのだ。
「想像である程度できてしまう魔法だからこそ、使用するときのトリガーを決める必要がある。ただ、理由はわかっていないが魔力量が少ない場合はこれに当てはまらない。おそらく無意識で使う場合は余分に魔力を消費するのではないかと俺は考えているが。まぁ、ひとまずこれはいいだろう。とりあえず今回ルビィ嬢に必要なのは、使用するときのトリガーとなる要素を作ると言うことだ」
「転移の例ですと、扉をくぐる。などはトリガーに当たりますか?」
「悪くはないな。だが、扉がないところで転移の使用ができないのは勿体無い。それならば、鍵を開ける動作や、扉の代わりとなる四角を宙に描いてから潜るなどの方が実用的だろう」
長々と話し続けたニコラウスは、しかし脱線しそうになるとすぐに修正し本題に戻した。必要なところをわかりやすく話す技術は、講師として一番重要な能力だろう。
ちなみにだが、魔法を無意識に使用する場合に必要な魔力は数倍以上と言われている。そのため、生活魔法が使える程度の魔力量では無意識発動は起こらない。学校への強制入学が決まったものたちで、ほんのわずかに可能性がある程度だ。発動が可能な魔力量が確認できた場合、貴族なら家族が、平民なら国が講師を派遣する義務があるので、この義務が定められてからは無意識発動での事故件数は減っている。
「例としてだが、俺のトリガーはこれだ」
訓練用の木人形の前にたったニコラウスは、右手を木人形の方に伸ばすと握りしめた。同時に、木人形がグシャリと音を立てて姿を無くす。パラパラと散る木片がなければ、誰もそこに木人形があったとは思わないだろう。
ニコラウスが手を開くと、圧縮が解かれたのかバラバラになった木人形が地面に落下した。これが人間だと考えたらどれほど恐ろしいか。しかしルビィは、暗殺に利用するには血が飛び散りそうだという全く別のことを考えていた。
「右腕を対象に伸ばし、握りしめるのがトリガーだ。俺は左利きだから、あえて右腕にすることで無意識に出る可能性を減らし、さらに対象は無意識状態でそばにいることはほぼないだろう。よりゼロに近づいているというわけだ」
「トリガーは変えられるのですか?」
「意識への刷り込みが必要となるため頻繁に変えることは推奨しない。だが、俺の場合は右腕がなくなったらそもそも使えなくなってしまう。そう言った場合は左腕に変更したり、別のものに変えたりなどする必要があるな」
かなり昔は、魔法は詠唱で発動していた。長い詠唱ではあるが、その詠唱により固定の魔法が毎回発動できるという強みがあった。しかし、詠唱を考えるのが恥ずかしいという研究者が、今のスタイルに変えていったと言われている。
「わかりました。では私は」
「いや、説明はしなくていい。君は辺境伯本邸に無意識で転移したのち、自分で帰ってきたと聞いている。すでに安定して使える力は持っているだろうから、ここからあの辺りに転移して、問題なさそうならそのあとこの場所に戻ってきてくれ」
指で示されたのは、先ほど通ってきた訓練場の出入り口付近だった。どうせ見ることになるのだからと宣うニコラウスは、無意味なことはしない主義のようだ。気が合いそうだと思ったルビィは無言で頷き、目を閉じる。
「転移」
自分の足元と転移したい先の場所に四角い枠を想像し、その枠を入れ替えるイメージをすると同時に指を鳴らす。目を開ければ、そこは訓練場入り口、イメージ通りの場所だった。
もう一度同じ場所に、今度は声ではなく心の中で〝転移〟と呟き。目を開ける。そこには、軽く笑みを浮かべるニコラウスがいた。
「悪くない。綺麗な自分を囲う枠と、その枠と入れ替える枠を転移先に設置したんだな。転移の合図として必須なのは指鳴らしで、呪文は言葉でも意識でもどちらでもいい。と言ったところか」
「その通りです。ですが、枠のことはよくわかりましたね」
「ああ、光っていたからな。とてもいいと評価できなかったのは、この一点があったからだ。光らせない方がいい」
「……私もそう思います」
光ってしまうと転移先が知られてしまう。それは確かにまずいと、囲いのイメージを透明な糸に変えた。もう一度行えば、光は無くなったとのこと。
「上出来だ。あとは、その方法でなければ転移は使えない。と強く思うことが大事だ。最初は不便に感じるかもしれないが、事故は起きなくなるしすぐに慣れる」
「わかりました、ありがとうございます」
安定して転移できると証明され、無意識発動に関する魔法訓練は終わりとなった。ルビィとしても納得できる内容だったためそれ以上特に聞くこともなく、礼をして下がろうとした。のだが、待ったがかかった。
「ルビィ嬢。君は闇魔法も使えるんだろう?」
「兄上! ちょっと待ってください」
「父上からも許可は出ている。少しくらいいいだろう」
ジェイと訓練していたはずのグレイが、噛み付く勢いで待ったをかけた。しかしニコラウスはどこ吹く風で刃を潰した剣を取る。
「俺と手合わせしないか? もちろん、魔法はありで構わない」
「私も自分の実力を知りたいので願ってもないことですが、よろしいのですか?」
まだ闇魔法は使ったことがない。最初から使えるものであり、転移と同様なんとなく使い方はわかるが他人に使うのは憚られる。そう思っての問いに、ニコラウスは問題ないと頷く。
「構わない。不安なら、まず自分に使ってみるといい」
「わかりました、では籠手をお借りしてもよろしいでしょうか」
「ルビィっ!」
「は? 籠手?」
「面白い武器を使うな」
焦って止めようとするグレイと違い、ジェイはポカンと口を開け、ニコラウスは薄く笑った。
淑女が拳を振うのか。と問いたくなるが、そもそもルビィは暗殺の専門家であり、血が流れすぎる武器はあまり好んで使ってこなかった。部屋も汚れるし、自分につく可能性があるからだ。何より、大きい武器が多いからである。
忍び寄り、一撃で屠る。そのためには武器は邪魔になるため、拳を使っていただけだ。
針を使うこともあったし、短剣を使うこともあった。だが、一番慣れ親しんでいて、殺す殺さないの匙加減がしやすかったのは拳なのだ。別に殴りたいわけではない。
「ルビィ、別に今兄上と戦う必要は」
「私を使う上で、実力は知っていた方がいいと思いますよ。それに、過ぎた力であれば処分も容易いでしょう。御したいのならば、この気を逃すべきではないのでは?」
「…………」
「こりゃ苦労するわ」
「至極真っ当な意見だな」
過度な力は滅ぼすべきだ。表情を変えずそう伝えたルビィに、グレイは黙った。わかっているのだ、そうするべきなのは。そして、それを任されているのが自分の一族だと。
何も言えないでいるグレイに憐憫の目を向けるジェイの横で、ニコラウスは腕を組んだ状態で二度ほど頷いた。
「それでは、次期公爵家当主として見極めさせてもらおうか」
「胸を借りさせていただきます。ニコラ様」
「……ルビィ」
「ほら、危ねぇからあっち行くぞ!」
項垂れてしまったグレイをジェイが訓練兵を視察するときに利用する観覧席へ連れて行く。そわそわしているエリーの近くに放り投げ、ジェイも席についた。
「ジェイ、合図を頼む」
「はいよ。では、用意……はじめっ!!」
放り投げられたグレイが席を立ち、身を乗り出す。さすがに模擬戦闘中に乱入するほど取り乱してはいないようだが、その目には心配がありありと浮かんでいた。
「まあ見守っていてやれよ」
「俺は、多分この中で一番ルビィの底の知れなさを知ってる。処分される可能性だって考えた。もし決まってしまったなら……彼女が受け入れるだろうことも、わかってる」
ギュッと手すりを握りしめたグレイは、それでもルビィから目はそらさない。
「でも、死んでほしくない。もう少し、彼女と一緒にいたいんだ」
「本当に少しでいいのか?」
「さあ。どうだろう。もう少しかもしれないし、ずっとかもしれない。でも、少なくても今は、まだ離れたくない」
「あーまぁ、ニコラも気に入ってるし処分はないと思うぜ? 噂とは全く違うと俺も思ったし、お前の言うようにルビィ嬢はしっかりわきまえているように見える。何も問題ないだろ」
「兄上が気に入ってるってとこが嫌なんだけど」
「お前の病気に関しては俺に聞くな」
「……怪我、しないよね」
「知るかよ」
そわそわと不安そうなグレイの横で、ジェイも訓練場を見下ろす。少し高くなっている席は、訓練場内が全て見渡せるようになっている。本当に魔法初心者かと問いたくなるルビィの動きに驚きの表情を浮かべながら、ジェイは思った。
(ルビィ嬢より、ニコラの心配してやれよ)
訓練場で戦うルビィは、空を駆けていると表せるほどに自由な動きをしていた。転移は空中にも出せるようで、闇魔法も初めて使うとは思えないほど自然に支えている。使っているのは身体強化だけのようだが、転移とのコラボレーションがえげつないのだ。
時空魔法の圧縮を得意とするニコラは、剣も使えるがジェイやグレイと比べると近接は苦手な分類に入る。本気の圧縮が使えない彼にとって、これほどまでに動けるルビィに勝てる見込みは正直薄い。
(つーか、グレイ戦いたくなってないか?)
公爵家に勤めるものは、戦うことを好むものが多い。そしてグレイもその一人であり、間違いなくジェイもその色に染まっている。うずうずしていそうな背中を見つめながら、ジェイは自らも戦いたいと願った。そして同時に、言った途端グレイに殺されそうだとも思ったのだった。




