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1.恐怖は別に感じない

 無駄にごてごてと飾られた調度品が並ぶ一室。置かれたベッドも同様にキラキラと鬱陶しい。そのベッドは一人で眠るには広すぎる大きさだが、天蓋の奥にうっすらと見える盛り上がった布団から眠っているのは一人だけのようだ。

 部屋に2つある窓はバルコニーに通じていて、カーテンのわずかな隙間から入り込む月明かりは部屋の全容を照らし出すには心許ない。だが、いつの間にかバルコニーに立っていた男には関係ないようだった。

 どうやったのか手際よく鍵を開けると、カーテンの揺れを最小限に抑え音もなく暗い部屋の中に入り込んだ一人の男は、無言でベッドへと近づいていく。近づけば、レースの天蓋のため中がよく見える。規則正しく上下する布団に、男はマスクの下の表情を変えずに腰の獲物に手を伸ばした。


「なるほど、これがツヴァイの言う流行りの異世界転生と言うやつか」

「っ!!」


 腰に収めていたナイフを振り下ろし白いベッドに赤を散らす、そして息絶えた令嬢の父親も彼女の元へ送れば全て終わりのはずだった。暗殺指示が出ていた令嬢の家は人身売買などの数ある悪事を行っており、令嬢も由緒正しい家柄というのを傘に着て威張り散らしているような小娘だったのだ。国のためという大義名分の前にしたら、生かす理由など見つからない。

 だが、そのターゲットであったはずの令嬢は今、男の隣に立っていた。ボソリとつぶやかれた言葉は男の耳に届かなかったが、おそれも怯えも見せず、横に並び見上げてくる赤い瞳が男の灰色の瞳と交わっている。


「どのようなご用件でしょうか、ロゼ様」

「……俺のこと知ってるの?」

「そうですね。知っていると思います」


 髪の毛を落としたりせぬよう、深く被った帽子。口元もマスクに覆われていて、出ているのは灰色の瞳だけ。にもかかわらず名前を当てられて、ロゼ公爵家次男であるグレイ=ロゼは狼狽えた。

 今回の任務は、ドルチェ辺境伯一家の暗殺という簡単な任務だったはずだ。金と名声、地位にしか興味のない一家が一夜にしていなくなる。悲惨な事件としていっときは世間を賑わすだろうが、数ヶ月もしないうちに親族から代わりの辺境伯が選ばれ風化してしまうであろうそんな仕事だったはず。にもかかわらず、目の前の辺境伯家令嬢ルビィ=ドルチェは、グレイの攻撃を交わし、目元しか出ていない男の正体まで当てて見せた。

 ナイフは今も握りしめているのに彼女の体は恐怖に震えることはなく、しかも、隙もない。だからこそ攻撃できずにいるのだが、そうさせている彼女に興味が出たのも事実で。グレイはマスクの下で僅かに唇を歪めた。


「叫ばないの? それとも恐怖で叫べない? こんな夜更けにナイフを手にした男が侵入してきたんだし、普通の令嬢なら泣いたっておかしくない状況だよね」

「ロゼ様が不法侵入してくる正当な理由は、残念ながらたくさん思い当たりますので。けれど恐怖……は別に感じませんね」


 右手に持っていたナイフを見えやすいように掲げて左右に振るグレイに、ルビィは気にならないと首を傾けて答えた。

 今の(・・)自分は恐怖を感じない。というのが正しいのだが、説明したとて目の前の男を混乱させるだけだろうと口をつぐむ。そして、面倒臭いこの状況をどうすべきか頭を捻った。


「殺さないのですか?」

「そうしたいのは山々だけど、隙が無い」

「ああ、どうぞ」


 物騒な会話ののち、ルビィは前世と同様自然と張っていた気を緩めた。瞬間、見開かれた瞳。どう言うことかと問うているその目に応えるのが面倒で、視線を外す。

 ルビィは、グレイのほんのわずかな殺気で前世を思い出した転生者だ。それも、グレイと同業である元暗殺者である。結構な死戦を潜り抜けた自覚のある彼女にとって、まだ成長途中のグレイは弱いとしか言いようがなかった。そもそも、殺気を気取られる時点で未熟でしか無い。などと言えるはずもなく。


「やらないのですか?」

「……いや」


 すでに前世で任務に失敗し、死んだ身。毒や拷問などにも耐えるために様々な訓練をこなしてきたルビィにとっては、もう一度死ぬことなどなんの苦でも無い。この面倒くさい状況を脱せるのならば、むしろ喜ばしいことであった。

 そう、彼女は極度の面倒くさがりなのである。


「それでは、寝てもいいですか?」

「は?」

「一般的に今は寝ている時間だと思いますので」

「そりゃそうだけど」


 グレイが纏っていた張り詰めた空気が飛散し、素がこぼれた。だが、それもルビィにはどうでもいい。


「殺すなら殺してください。殺さないなら帰ってください」

「君は死にたいの?」

「生きられるなら生きていたいですが、今のこの面倒くさい状況をどうにかできるならどっちでもいいです。ああ、でも生きていても面倒なことになりそうな気がするので、それを考えると殺していただいた方が楽かもしれませんね」

「面倒臭い、ね」


 本音を包み隠さず吐露したルビィに、グレイはついにナイフを握っていた手を下ろした。呆れたように息を吐き出し、ナイフをしまうと頭を掻く。彼女を殺すより、生かした方が楽しそうだと思ってしまったのだ。

 殺すよりも、生かす方向で。そのためにはどうしたらいいか考え、答えを見つけたのか軽く頷くと顔を上げた。


「それなら、俺と結婚しようよ」

「……はい?」


 胡乱な目を向けられ、グレイは首筋から頭裏にかけて軽い痺れを感じた。

 今は帽子とマスクで隠れているが、彼は非常に整った顔をしている。さらに、次男ではあるが公爵家。歳の離れた公爵家長男はすでに成人しよほどのことがなければグレイが後継に選ばれることはないが、結婚相手を探している女性にとっては、公爵家との縁ができるこれ以上ない良物件だ。

 そんなグレイは、今のところ女性から好意以外の視線を向けられたことがない。顔だけではなく、嫌味なことに表に出している性格も悪くないからだ。嫉妬などはあるが、憧れや好意の延長線上にあるもの以外の感情は受けたことがなく、こんな雑に鬱陶しがられるのは初めてだ。


「いい案だと思うけど?」

「ああ、我が家には私しか子供がいないので、乗っ取るには確かにちょうどいいですね」

「それもあるね」


 ルビィはドルチェ家の一人娘だ。跡取りであるが故に、男婿を取って彼女が家を継ぐ必要がある。ルビィの記憶もしっかりと残っているので、良い家の息子を探してくるようにと口すっぱく言われていた記憶が蘇った。


「悪くはないですが、面倒臭いですね」

「嫌なの? 俺、顔は悪くないと思うけど」

「目しか見えませんが」

「知ってるんでしょ? 俺のこと」


 めんどくさ。と顔を歪めたルビィに、グレイは楽しそうに笑った。さらに頬を引き攣らせた彼女の顔を見て、グレイはより笑みを深める。

 終わりそうにないなと思ったルビィは長いため息を吐き出し、仕方がないと頷いた。


「知ってますよ。ぶっちゃけ顔をどうこう思ったことはないですが、整っていたような気がしなくもないです」


 前世の記憶が蘇ってから、ルビィのときには興味があったはずの大半がどうでも良くなってしまっている。顔よし家格よしのグレイと結婚したいと思っていた記憶もあるのだが、正直今はお断りしたいという気持ちの方が強い。なので、少しだけ嘘をついた。


「俺もいい加減婚約者を決めるよう親が煩くてさ、悪くないと思わない?」

「……あなたの上が許すのなら、考えます」

「言ったね? 約束だよ?」

「私にとって、多分今日が一生で一番不幸な日ですね」


 諦めたルビィに、グレイが念を押す。身長差から顔を覗き込んでまで確認してくるグレイに、ルビィは相変わらずあまり色の宿らない瞳でそう宣った。


「なんでさ」


 不満そうに口を尖らせたグレイだが、その唇はマスクに隠れて見えない。しかしルビィにはその様が伝わったようで、可愛くないなと思いつつ答えを告げる。


「あなたに出会ってしまったからですよ」


 暗殺に来たのがグレイでなければきっと、前世を思い出すことはなかった。そうすればルビィはこんな面倒くさい状況に陥ることもなく、あっさりと殺されて一生を終えていただろう。

 面倒くさい状況に陥るより、何万倍もいい人生だと胸を張って言えるなと彼女は思った。


「俺は、今日が一番いい日だよ」


 はっきりと告げられた拒絶の言葉に怯むことなくマスクの下の唇をニンマリと歪めたグレイに、それを悟ったルビィは何度目かわからない深く長いため息を吐き出すのだった。

第1部完結までは週2回更新いたします。

楽しんでいただけたら嬉しいです。

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