1 不良品 -8
「お前、好きだな、それ」
アキラが愛おしそうに、アサリをつつき、一粒フォークの先でひっかけたまま、器用にパスタを巻き取って食べるのを見ながら、俺は感心したような、呆れたような声でそうコメントした。
こういうところを見ると、アキラも年頃の女の子のような気がする。
アキラはパスタ屋に入ると、ほとんど必ずと言っていいほど、ボンゴレを頼む。貝類が好きらしいが、俺からすれば、あの貝の殻が邪魔になってしょうがないと思うのだが。
至福の時を邪魔されて、アキラは険悪な顔で俺を見上げた。
「ほっといてくださいよ。オジサンは黙って、そのミートソーススパゲッティ、すすっといてください」
「だって、これが一番間違いないじゃん」
俺は目の前のオレンジ色のスパゲッティを、フォークに巻いて、口に入れる。俺だって、パスタをすするのはマナー違反なことぐらい、分かっている。
間違いない味が口に広がり、安心する。
「ほら、間違いない」
「……」
アキラは俺を無視することにしたらしい。
何の反応も示さず、ボンゴレの皿を注視したまま、アサリとパスタを一緒に口に運ぶことに、余念がない。
さてと、と俺は頭を切り替えた。
坂巻正太は実家にいた。引きこもっているのか、たまたまあの時間に家にいたのかは分からないが、そのままの名前で、堂々と子どもの頃から住んでいる実家にいる。
あの家は大きくて立派だが、建ってから新しいものではない。周りの家もそうだった。というか、町そのものがそうだ。二十年前くらいに新興住宅地として売り出したのだろう。そのまま宅地は埋まり、年月が経っている。
ということは、ご近所はだいたい二十年来の付き合いで、家族の事情まで知れ渡っている。悪い方面の事なら尚更だ。なんといっても、人生の大半をかけて買った家だ。一生住むことになる我が家の周りの環境には、皆敏感にならざるを得ない。
正太が罪を犯し、懲役刑を言い渡されたことは、知られているだろう。たとえ、新聞に載らない小さな事件でも、ご近所ネットワークの包囲網は、あっという間に彼の罪を知らしめただろう。
それなのに、なぜ戻って来れたのかも。
ロストアンガー施術を受け、世間に戻ってきた者は、その事実を隠そうとする。人に知られなければ、普通の生活が送れるからだ。元いた土地を離れ、名前を変える者が多い。それでも恐れる者は、顔も変える。
普通の人には、ロストアンガーを受けた人と、そうでない人は見わけが付かない。要するに、知らなければ分からないのだ。
だからバケモノたちは、過去の自分を捨てようとする。そうなりたくて、バケモノになったのだから。
以前クラッシュしてしまったバケモノも、実家に住んではいたが、名前を変えていた。
しかし、坂巻正太は何事もなかったかのように、堂々と住んでいるように思える。
それが、今回の件と関係があるのだろうか?
「はぁ」
満足そうなため息に、俺は我に返って、顔を上げた。
アキラが手を合わせている。
「ごちそうさまでした」
心底満足したように頭を下げるアキラを見て、俺は自分の皿をみた。時間がたったミートソースは、艶やかさを失い、のっぺりとくっついているように見えた。
俺は急いで、少し固まり始めたパスタを口に放り込んだ。
「で、今から、あの家を張るんですか?」
自分が食べ終わったからと、アキラはさっさと仕事の話を始める。
「でも、あそこ、張り込みには不向きですよねぇ」
俺は口をいっぱいにしたまま、頷いた。
戸建ての住宅地は確かに難しい。これがマンションや、町中だったらやりようがあるが、閑静な住宅地は、一日中ウロウロするだけで、不審者が出ましたと通報される。
まぁでも、対象が家にいる以上、どうにかして家を張るしかないか。
めんどくせぇな。
皿はからっぽになった。口をペーパーで拭うと、とりあえず、もう一度対象の位置を確認しようと、バマホを出す。見た目はスマホと同じなので、問題ない。
その時、テーブルの横の窓から通りを眺めていたアキラが呟いた。
「あ、あれ、バケモノだ」
俺はすぐに顔をあげた。
「どれ?」
鋭く問うと、アキラは戸惑ったように視線を彷徨わせた。
「もう行っちゃいましたよ。なんか急いでいる風だったな」
俺は伝票をひったくるように掴むと、アキラを促した。
「行くぞ。あれが坂巻正太だ」




