6 落下 -2
「あ、いた」
アキラが指さしたところに、確かに正太の姿があったので、俺は思わず脱力してしまった。
それだけ緊張していた自分に気が付く。
上がったレベル。普段しない行動。
最悪のことだって考えてしまう。
正太は歩道橋の上にいた。歩道橋といっても、橋の部分は幅広で、少し周れば自転車も通れるようになっている。
駅を降りてこの歩道橋を渡ると、正太がかつて通っていた青葉学園がある。
正太は歩道橋の手すりにもたれていた。
もたれて橋の外を見ているのではなく、背中でもたれて空を見上げていた。
その前を通り過ぎていく人は、一応に気味悪そうに、少し大回りして避けていた。
「おい、何してんだ?」
俺が近づきながら声をかけると、正太は気だるそうに身体を起こした。
「進藤さん?」
動作は妙にゆっくりなのに、声は驚いていた。
「なんで、ここにいるの?」
心底不思議そうに訊く。自分が探されるなどとは思ってもいない様子だった。
俺が答えようとすると、アキラが割り込んできた。
「何か見てるの?」
正太はフッと息を漏らした。
「あれ」
正太が右手の人差し指で、月を指さした。
今日は満月だ。
黒い夜空に張り付けられたような満月が見えた。
なんだが妙に黄金い。
「この歩道橋から、月が綺麗に見えるんだ。あの頃はよく見てた。それから、どっちに行くか考えた」
正太が懐かしそうに淡々と語る。
「どっち?」
青葉に通っていた頃の話をしていることは分かる。だが、正太の話は曖昧で、俺たちに聞かせる為ではないようだった。
「塾に行こうかな?スーパーに行こうかな?」
歌うように呟く。
「いい子でいようか?悪い子でいようか?」
「正太!」
アキラが耐え切れず、正太を正気づかせようと、大きな声で呼んだ。
正太がゆっくりアキラを見た。
サングラスはかけていない。だが、夜で暗いし、少し離れていたので、彼の瞳ははっきりとは見えないだろうと思われた。
だけど。
俺にも見えた。昏い目。
アキラが震えて、一歩後ずさった。
正太ははっきりと俺たちに笑いかけて、何かを取り出した。
赤い蓋のペットボトルに赤いラベル。
「もってきちゃった」
「どういう……」
俺が問いかけると、「あ」という間もなく、正太はコーラのボトルを投げ上げた。
薄い茶色い液体の入ったボトルは、弧を描いて夜空に飛び上がり、月の前を通り過ぎて、下に落ちていった。
まるでスローモーションのようにゆっくり落ちていく。
「正太!」
悲鳴のような叫び声が、下から聞こえた。
そちらに目を遣れば、志ず江が半狂乱で、歩道橋の階段を上ってこようとするところだった。
「……お母さん」
正太の口から、その言葉が漏れた。
それは自然な動作だった。前触れなく、正太は後ろ手に手すりを掴み、自分の身体を持ち上げた。
ぐらりと、正太の身体が後ろに倒れる。両手を上げ、万歳をするような形で、いとも簡単に手すりを乗り越えようとする。
目を閉じた、正太の顔が見えた。
バケモノハ、ジサツデキナイ。
クラッシュシナイカギリ。
俺の頭に言葉がスパークしている間に、俺の横からアキラが飛び出した。
落ちる正太に駆け寄るアキラに、ハッとして俺も飛び出した時、ポケットでバマホが震えた。
もう一度その言葉が頭の中で閃く。
クラッシュ。
アキラの手は、正太に届くところだった。
俺はアキラの反対の手を掴むと、グイッと引き戻した。
アキラの手はすんでのところで、宙を掻いた。
落ちていく正太の目が開いた。俺とはっきり目が合った。正太は笑った。正太の口が動く。
アリガトウ
鈍い音と、車のブレーキ音、そして車同士がぶつかる音。甲高い悲鳴。
「なんで」
唸るように、アキラが呟いた。
俯いて、顔は見えない。
「なんで、なんで、なんで、なんで」
声はだんだん大きくなっていき、最後は叫びながら、俺の胸に拳を打ち付けた。
「なんで?助けられたのに!」
俺は何も言えず、アキラを抱きしめた。
アキラは俺の腕の中で、めちゃくちゃに暴れた。華奢な拳や足が俺の身体を打ち付ける。それでも、俺はアキラを離さなかった。
「クラッシュだ」
アキラの動きが止まった。
「嘘だ。だって」
「ごめん、ノイズが出ていた。バケモノは自殺出来ない。自殺した時は……クラッシュした時だ」
あそこでアキラが助けたら、恐らく破壊はアキラに向けられただろう。クラッシュしたら、死ぬまで破壊し続ける。
「……嘘だ」
「アキラ」
「嘘だ」
アキラは震えていた。
「……嘘だ」
当然だが、下は大騒ぎになっていた。
正気を失ったような志ず江の叫び声と、それを必死で抑えようとするなな美の泣き声が、聞こえてきた。
俺は二人がこちらに上がってこないうちに、スマホを取り出した。




