5 異変 -6
結局、森を模した中で鳥を放して展示をしていた鳥コーナーに、アキラは興味津々で入って行ったし、子どもであろう小さな鹿に、なな美は「かわいい」を連発していた。
正太は静かに、だが確実に、全ての種類の動物を熱心に見ていた。それぞれの説明書きも、丁寧に読んでいる。
そのいちいちに、サングラスを外したりかけたりしているので、アキラがついに「もうかけなくていい」と言っていた。
「熱心だな。動物が好きなんだな」
動物園に行きたいと言い出したのは、なな美だった。それに、アキラも乗っかった。
二人とも、小学校の遠足でしか行ったことがないと言い張り、それがすこぶるつまらなかったという意見も一致した。
珍しく意見があった二人が「リベンジ、リベンジ」と押し切ったのだ。正太は「俺は動物園でいいよ」と言っただけだった。積極的に行きたいふうでもなかった。
「小さい頃は、すごく好きだったよ。まぁ、実物見たのは小学校の遠足の一回だけだから、もっぱらテレビと図鑑だったけどね。見始めると長いから、すぐに母さんに取り上げられていたけど。これでも子どもの時は、獣医か動物学者になろうって思っていたんだよ。獣医は動物の死を見なきゃならないだろうし、動物学者は解剖しなきゃならないかもって、本気で悩んでたりしてね」
珍しくよくしゃべる正太を横目で見ながら、俺は「へぇ」と相槌を打った。意外だった。可能性が無限にある希望に満ちた子どもそのものじゃないか。
「目指せばよかったのに」
俺がそう言うと、正太は諦めたように首を横に振った。
「母さんが、動物嫌いなんだ」
俺は正太をまじまじと見た。ここは見るべきではないと分かっていたが、見てしまった。
正太が困ったように、うつむいた。
「情けないだろ?」
「……まぁ」
俺は正直に言い、それから吹き出してしまった。笑いをこらえようとすればするほど、笑いが発作のようにこみ上げてきた。
母親が動物嫌いだったから、獣医も動物学者もあきらめた子。
正太がそこで諦めなかったら、母親にたてついていたら、取り上げられまいと図鑑を隠しておいたなら、バケモノに成り下がり、ノイズが出るようなことはなかったかもしれない。
なんて単純で、難しい問題だ。
そして過去にいくら「もし」と言っても、仕方のないことだ。
まぁ、それが出来なかったから、今こうなってるんだろうしな。
「笑えるだろ」
正太も分かっているようだった。
「なな美はお前が動物好きだって分かってて、動物園なんて言い出したのかな」
少し前を行くなな美の背中を見ながら、俺は正太に小声で訊いた。
正太は更に声を潜めて「多分ね」と言った。
「ああ、疲れたー」
アキラがどさりとベッドに身を投げ出した。
「おい、寝るなら、自分の部屋戻れ。ここで寝られても困る」
こんな小娘には全く欲情しないが、一応部屋は別だ。
アキラは自分から倒れ込んだくせに「うわっ、おっさん臭っ」と失礼なことを叫んで、飛び起きた。
「……マルさん」
「あ?」
「もう、ここを離れますか?なな美とそういう約束だったんでしょ?」
心なしか、アキラは寂しそうだった。
「なんだ、お前、離れたくないのか?散々、もう嫌だって言っておいて」
アキラは口を尖らせた。
「離れたいですよ。ずっといたって仕方ないし。ただ、これで終わりにしていいのかなって。中途半端じゃないですか?何も解決してない」
アキラの言うことは分かる。
だがそれは俺たちの仕事ではない。
違うな。完全な解決は不可能だ。
「俺たちの仕事が明確に終わるのは、対象がクラッシュした時だけだ。後は、ずっと様子をみるしかない。正太の問題を解決することは出来ない」
バケモノになったら、後戻りはできない。しかも正太はノイズが出ている。このままノイズレベルが上がらないことを、願うのみだ。
アキラが正太やなな美に情をかけてしまっているのは、明らかだった。
「まぁ、正太も落ち着いてきていますしね。このまましばらくは大丈夫そうですね」
アキラはそう口に出して、自分を納得させようとしているようだった。
アキラも分かっているのだ。
いや、アキラだから分かっているというべきか。
ロストアンガーを受けた人間は、もう元の人間とは違っているのだ。元にはもどれない。
「二人とも楽しそうでしたね。二十四歳と十八歳が子どもみたいにはしゃいでて、ちょっと引きました」
そう言いながら、アキラは俺のベッドから腰を上げた。
「いや、お前も、はしゃいでたぞ」
俺はちゃんと突っ込んでやった。
テンション上がって、なな美とギャンギャンやってたのは、どこのどいつだ。
アキラは「は?」と眉を上げたが、思い直したようだった。
「まぁ、楽しかったです。友達と保護者と、動物園に遊びに行ったみたいで。そういうの初めてだったんで」
「だれが、保護者だ」
俺が反論すると、アキラは機嫌よくスルーし、「おやすみなさい」ときちんと挨拶して、部屋を出て行った。
俺は脱力して、ベッドに座り込んだ。
あー、疲れた。三人のガキの保護者も大変だ。




