5 異変 -4
「だから言ったでしょう?あの人に何言っても無駄だって」
なな美がカフェラテを飲みながら、他人事のように言った。
すっかり母親の呪縛が解け、のん気な高校生となっている。のん気になりすぎて、うっかり受験生であることを忘れそうだ。
「大丈夫よ。わたし頭いいもん。人並みだけど」
さらっと言って、ちゃんと予備校にも行っているし、と付け加える。
「だいたい、今更なんで、ママに会いに行ったの?正太だって、ちゃんと自分の意思で予備校に行ってるよ。本人が受験に向かって頑張ってるのに、何を変えたいのよ」
まったく正論だが、俺は怖かった。
頑張って、今年も受からなかったら?正太のノイズレベルは上がってしまうのではないか?その行きつく先は、クラッシュだ。
もちろん、なな美にもノイズのことは話していない。俺の胸一つにしまっている。
ノイズが消滅することはないにしても、俺はこのままノイズレベルを保ってほしかった。今の穏やかな状態を保てるなら、それも可能に思えたのだ。
「なんで、お前の母親は、K大にこだわるんだ?」
「あー」
なな美の顔に、憐れみのような表情が浮かんだ。
「あの人はね、旦那に認めてもらいたいのよ」
その他人事のような言い草に、なな美と父親の距離を感じた。揶揄したのだとしても、全く親愛を感じない。
「お前たちの父親だよな?」
一応確認すると、なな美は「まぁね」と肩をすくめた。
「でも、全然帰ってこないから、顔も忘れた。妻子の為に立派な家を建てて、経済面でも十分に養っているってことで、すっかり父親としても夫としても、満足している人。だから文句言うなって、思っているんだろうな」
最後は自問の形になっていた。
俺は実際になな美の父親に会ったわけではないので、「そうだな」と安易に同意することはできない。だが、娘にそう思わせてしまう何かがあるんだろう。
「ママはね、そんな旦那が心底嫌なのに、どうしても離れられないの」
ホレた弱みって言ったら聞こえがいいけど……
なな美はおどけた風を装ったが、あざけっているようにしか聞こえなかった。
「あれは愛情っていうより、執着ね」
なな美の口調は乾いていた。
「わたしたちの父親が、唯一興味を示したのが、正太の頭の良さだったのよ。さすが俺の息子ってね。ママはそれにしがみついた。何とか、旦那を家庭に振り向かせたくてね」
馬鹿よねぇ。
なな美の口調は、相変わらず乾いている。もう、父親のことに関しては、彼女の中で決着がついているのだろう。
「せっかく、正太が人生をなげうって、ママの目を覚まさせようとしたのにね」
なな美は俺の顔を見て、笑った。
「正太が窃盗で捕まった時も、父は帰ってこなかったわ。そのくらいで、俺を呼ぶなってね。それから、一度も帰って来てない」
お金は入って来るから、生きているんでしょうけど。
そう言って、なな美はグラスに残っていたカフェラテを飲み切った。
グラスの中で、カランと氷が音を立てた。
「ねぇ、進藤さん。正太と飲んだんだって?」
「……アキラに聞いたのか?」
なんだ、結局仲良しじゃねぇか、と思ったら、なな美は意味深な笑みを浮かべて、首を横に振った。
「正太に教えてもらった。ママのいないところでね。二人きりの時に話なんか普段しないのに、コソコソ話しかけてくるから、何かと思ったら」
そこで思い出したのか、なな美の口元が震えて笑った。
「進藤さんと酒飲んだよ、ってわざわざ報告してきたの」
ガキかっつーの、と毒づく。
「それで、あと二年でお前も飲めるなって。一緒に飲もうなって。馬鹿じゃないの?兄さん風吹かせて」
なな美は忌々しそうに言ったが、その声はなんとなく弾んでいた。
「……アキラにずるいって言われたよ」
正太となな美の不器用で温かいやりとりを聞かされて、返答に窮した俺は、アキラをダシに会話を繋げた。
「そうだよ、ずるいよ」
なな美も同意する。
「だから俺は、お前らランチでも行けばって言った」
「えー、あの子と二人で?会話続かないよ」
そう言いながら、なな美は少し考え込む。
「四人で行きたい」
「へ?」
「四人でどこか行こうよ。そうしたら」
なな美は俺の目を見て微笑んだ。初めて会った時のことを思い出す。妙に大人びた目。だけどもう、あの時のような、攻撃的な気配はしない。
「そうしたら、わたしたちもう大丈夫だから」




