5 異変 -3
「お久しぶりです」
駅から出てきた女に近づいて、そう挨拶すると、女は困惑と警戒を露わに、怪訝な顔で俺を一瞥した。
やはり覚えていなかったらしい。
「進藤です。なな美さんの担任の。一度、お宅にお邪魔させていただいた」
「ああ」
志ず江は一瞬で興味がない表情になった。
「お世話になります」
おざなりの挨拶をして、さっさとその場を立ち去ろうとする。娘の担任になど、一ミリも興味がないようだった。
俺は強引に、志ず江の進行方向に割り込んだ。今度ははっきりと嫌悪の表情で、志ず江が俺の顔を見上げる。
俺は構わず言った。
「というのは、嘘でして」
「は?」
いよいよ険悪となり、志ず江が叫び出しそうな雰囲気を感じ取って、俺は急いで付け足した。
「俺はロストアンガー対策室のものです。正太君の件で来ました」
それからの、志ず江の態度の豹変ぶりに、俺は拍手を送りたくなった。この人は、取り繕うということを、全くしない。
「正太の⁈どういった、用件で⁈」
縋りつかんばかりの志ず江に、通行人がチラチラとこちらを見る。
「落ち着いて。話ができるところに行きましょう」
「で、お話というのは」
注文するのももどかしいといった様子で、志ず江は俺に詰め寄ってきた。
俺はとりあえず店員を呼び、ウーロン茶を二つ注文した。
「ウーロン茶でいいですか」という俺の問いかけを、志ず江はまるで聞いていない風情だったが、反射的に首を縦に慌ただしく振った。
ランチにはもう遅く、学校帰りの学生たちで混むにはまだ早いこの時間、入ったファミレスはガラガラだった。広い店内に、ポツポツと三組ほどの客がいるばかりだった。
俺たちは一番奥の席に座った。もちろん、話の内容を他の客や店員に聞かれない為だが、コソコソしていると、不倫と思われるのではないかと、どうでもいいことを心配してしまった。
さて、どう攻めるかな。
志ず江は、食い殺さんばかりの形相で、俺を見ている。
怖っ。
常にこんなスタンスで来られたら、正太もたまらないだろう。俺は正太に深く同情しながら、話を始めた。
「ロストアンガー対策室は、施術を受けた人のその後の生活のフォローにも努めています」
適当にそんなことを言って、俺は本題に入った。
「なぜ、正太君をK大に行かせようと?」
志ず江は「意味が分からない」という顔で、ポカンと俺を見た。
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味です。彼が懲役の後、ロストアンガーを受け、戻って来た時、なぜK大を受けさせようとしたのですか」
「何故って、あの子が万引き依存症になんかになったせいで、中途半端になっていたことを、再開しただけです」
息子が依存症だったことは、認めたわけか。
「でも、もう四年もたってしまいました」
志ず江の顔に怒気のようなものが浮かぶのを、俺は冷静に受け止めた。
「もう無理だとは、思わないんですか?」
志ず江の顔からは血の気が引いてしまった。テーブルの端で、彼女の拳がブルブル震えているのを、俺は安堵に近い気持ちで見守っていた。
叫び出したり、暴れたりしなくて良かった。
「施術で衝動が抜かれるのはご存知ですね。衝動というのは、気力にもつながります。施術を受けると、どうしても意欲が減退するんです。彼は、合格しようとやる気を持って勉強に取り組むことは、難しくなっています。それは彼の怠慢などではなく、言ってみれば、施術の後遺症みたいなものです」
志ず江が聞いているのか聞いていないのか、分からなかった。目がぼんやりして、焦点が合っていない。
それでも、俺は言ってしまおうと思った。
彼女の様子は、ともかく俺の言葉が効果があったということなのだろうから。
「もう、解放してあげませんか。このままでは……」
最初、彼女が何か言っていることに、気が付かなかった。
彼女の目は焦点を失ったままだったし、唇もほとんど動いていなかったからだ。
「……他に何があるの、あの子に」
「え?」
俺が訊き返すと、志ず江の暗い目に焦点が戻ってきた。
「今さら、あの子に他の道があるわけない。子どもの頃から、頭だけはいい子だった」
子どものことを褒めているはずが、彼女の表情は、それとはかけ離れたものだった。
何か苦しいものに押しつぶされそうな顔。押しつぶされるものと、あきらめてしまっているような……
ああ。
俺は合点がいった。
正太もこんな顔をしている。
「正太君はもともと頭がいい。K大でなければ、合格することは可能だと思います。他の大学ではだめなのですか?」
彼女は弱々しく頭を振った。
「駄目なんです……」
「ご主人はなんと……」
俺がそう言うと、志ず江は強い反応を見せた。拳でドンッとテーブルを叩く。
「駄目なんです!」
その声に、離れた席の客が、驚いたようにこちらを見た。




