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4 反逆 -4

 

 そう各々(おのおの)気合を入れたが、しばらくは静かな日々が過ぎていった。俺とアキラは朝と夕方、盗聴器の受信機にへばりついていたが、坂巻家は、温かな家庭には程遠いものの、平穏な日常が送られているようだった。母親の志ず江は、多少正太には口うるさく、なな美には言葉少なではあったが、特にトラブルの予兆はなかった。なな美も毎日高校に登校していた。

 まぁ、俺たちもそれで油断していたわけではない。定期的に、なな美が学校を休んでまで、正太の監視をさせられる羽目に陥るのは、尾行していた時に分かっている。

 それでも、それは衝撃だった。


「正ちゃん」

 母親が息子を呼ぶ声が不穏なものであることは、盗聴器を通してでも分かった。

 生で聞いた正太は、きっと慄いただろう。

 いい大人が母親に怒られるくらいで、慄く。

 意気地がない、情けない、もしかしたらマザコンなのかもしれない。

 俺もこの時までそう思っていた。やはり正太は幼いと。とても二十四歳とは思えない、と。

「そんなはずないわね」

 言葉の暴力というけれど、この母親の言葉は冷たく薄い刃の、よく切れるナイフを思い起こさせた。全く温度を感じさせない、冷たい(やいば)。相手の急所を刺せば、一発で仕留められる。

 実際、そこにいるはずの正太は、一言も発しない。

「授業はちゃんと聞いているのかしら」

「夜遅くまで電気がついているから安心していたけど、勉強ははかどっていないの?」

「それとも、先生が良くないのかしら。評判は悪くはなかったけど」

「そういえば、この間、少し帰って来るのが遅かったわね。何をしていたの?あの三十分無駄にしたのが、いけなかったのかしら」

 滔々と流れるように、母親の口から出てくる言葉。それのどれにも、本来乗るべき感情が欠落していて、不気味だった。これは、そのうち止まるのだろうか。

「それとも、やっぱりあの子がいるから、気が散るのかしら」

 ガタン

 初めて違う音が響いた。

「テストが難しかったんだよ。平均点もそんなに」

 初めて、正太の声が聞こえた。

 だけど、それが良くなかった。やはり正太の口答えが引き金をひいた。

 けたたましく、何かが割れる音。あっさりと正太の声は、それに呑み込まれてしまった。

「だから何?テストが難しかったら、あなたもできないの?違うでしょ?あなたは頭がいいのよ。これが出来なかったらどうするの?何も残らないわ。あんなことまでしたのに」

 次第に怨嗟の言葉に変わっていく。

「わたしはどれだけ待てばいいの?どうして、出来ないなんて言うの?どれだけ、わたしが……」

 それから、急にヒステリックに声を荒げた。

「なな美!なな美!」

 慌ただしく階段を駆け下りてくる音が聞こえた。階下の騒ぎが聞こえないはずはない。なな美は自室で息を潜めていたのかもしれない。

「あんたが、ちゃんと見ていないから!正ちゃんは、もう後がないのよ!ちゃんと見張ってなさいって、いつも言ってるでしょう?なにやってんのよ、役立たず!」

 ドカッと何かがひっくり返る音がした。

「母さん、止めて。なな美のせいじゃない。ちゃんと勉強しているから、次のテストは大丈夫だから」

 必死な正太の声にも、母親の逆上は止まらない。

「はっ!なな美、あんた、お兄ちゃんのこと放っといて、自分の事ばっかりしてんじゃないの?」

「……そんなこと……」

 なな美の苦し気な声が聞こえた。暴力を振るわれていなければいいが、と俺は心配になる。

「今日から、ちゃんと正ちゃんの事、見ときなさいよ。わたしも、あんたを見張ってるからね」

 母親の捨て台詞に、子どもたちは沈黙した。

 俺はガリガリと頭を掻いた。

 ここまで強烈だと思わなかった。

 なな美に「学校を休むな」と言ったのは、ちと酷だっただろうか。

 この母親なら、娘に何をするか分からない。

 その時、受信機から絞り出すような声が聞こえた。沈黙からだいぶたっていた。

 俺たちも、もう騒動が終わったと思って、受信機から離れようとしていた。

「嫌よ」

 俺とアキラは思わず顔を見合わせた。

 聞こえた?聞こえた。

「今日は学校があるもの」

 なな美の宣戦布告だった。

 今、どんな顔をしているのか、俺は駆け付けてやりたくなった。

 一瞬、また静かになった。

 そして、何かを打ち付ける音と、物が崩れた音。続けて、食器がひっくり返る音。獣のような唸り声と、誰かの荒い息。

「やめて!」

 正太の悲鳴のような、叫び声。

 また静かになった。荒い息遣いだけが、響いている。

「正ちゃん、その子を庇うの?」

 母親とは思えないセリフを吐いて、志ず江は舌打ちした。

「……あと、三十分で出る時間よ。早くしなさい」

 先ほどの激高した声ではなく、恐ろしいほど冷たい声でそう言い、扉が閉まる音が聞こえた。


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