3 正太 -2
「脳が溶けそう」
アキラは自分の頭を両手で押さえながら、フードコートのソファに沈んだ。手で押さえないと、脳みそがこぼれるとでも思っているのだろうか。
「そんなに熱心に聴いてたのか」
俺が半ば感動しながら尋ねると、アキラはあっさり首を横に振った。
「眠気をどうにかするのに必死でした。眠いと思わないように、何も考えないように頭空っぽにしてたんです」
恐らくその対処法は間違っている。
「お前、任務は真面目にしろよ」
俺がそうなじると、アキラは口を尖らせた。
「ちゃんとしましたよ!」
それは俺も知っている。
アキラの自白通り、アキラは強い眠気に襲われていたらしい。画面が何度も揺れていた。だが、確かに仕事はきちんとしていた。
眠いながらも、しっかりと正太の姿を捕らえていた。
「予備校生の誰かと話している様子は、見られませんでした。休憩時間も参考書や暗記物を見ている感じで。先生に質問することもなく……一言も口をきいてないんじゃいかなぁ。熱心に聴いている風でしたけど……でも」
「でも?」
俺が促すと、アキラは初めて躊躇するように、開きかけた唇を閉じた。だが、思い直したように鼻から息を吐くと、口を開いた。
「さっき、熱心に、って言いましたけど、熱意は感じませんでした」
「ん?」
よく分からなくて首を傾げると、アキラはもどかしそうに眉間にしわを寄せた。
「何ていうか、他の皆は必死さがあるんですよ。とにかく、授業の内容を吸収しないと、後がないみたいな。こんな時期に体験に来るわたしへの視線も、冷たかったですし」
チクリと嫌味を言われて、俺は肩をすくめた。それはそうだろう。浪人なんて、人生設計になかったアクシデントだ。今年限りだ、と皆必死だろう。
「でも、正太には必死さがなかった。熱心に先生を見つめてはいるけど、それだけなんです。本当に、大学受験したいのかな」
最後はアキラの独り言のようになっていた。
俺も考え込む。この受験が彼の希望ではなく、母親の希望でしかない可能性は、大いにある。正太は母親の望むことを拒否できない。
「それで?」
俺は先を促した。
アキラはチラリと俺の顔を見て、すぐに目を逸らした。言いたくないのだろう。思い出したくないのかもしれない。アキラが特別な目の持ち主だということを忘れていたわけではないが、それに伴う痛みを少し軽んじていたのかもしれない。正太は人殺しではない。だから甘く見ていた。大丈夫だろう、と高を括っていた。
だからといって、訊かないわけにはいかない。俺たちの仕事は、そういう仕事だ。
「正太に話しかけてたろ?」
アキラは本人が言う通り、きちんと仕事をした。対象を観察し、コンタクトを取ろうと試みていた。
授業と授業の間の短い休憩の時であるが、アキラは正太に声をかけていた。正太が振り向いたところまでは、俺も見えていた。だが、正太が振り向いた途端、カメラがずれてしまった。アキラが顔を背けたのだ。
「正太の目を見た途端、思い出したんです。そういえば、こいつはバケモノだったんだって」
それからは顔をまともに見られませんでした。
俯いて言うアキラの頭を、俺はコツンと小突いた。
「上出来だよ。正太と顔見知りになれただろ」
アキラはロストアンガー施術を受けた者を一目で見破れるが、それは便利なだけの能力ではない。見破ったアキラ自身も、ダメージを受けてしまう。ダメージを受けるから、見破れるのかもしれないが。
特に彼らの目を見るのが、一番くるとアキラは言っていた。
それでも、アキラは会話を試みていた。視線は微妙に逸らしていたが、予備校の様子や実際どうかなど、体験に来た生徒として不自然ではない質問をしていた。ぼそぼそとしゃべる声は集音機でも拾いづらかったが、コミュ障気味のアキラとしては、百点満点だ。
「声をかけられたことに、驚いているようでした。多少びくついているようでしたが、聞いたことには答えてくれました」
それは俺にも聞こえていた。聞き取りにくいアキラの言葉に、きちんと答えてくれたのだから、親切と言っていいだろう。
ただ、やはり……
「熱心ではなかったです。なんだか、そう、空っぽ?」
言葉を探すように、宙に目を彷徨わせ、アキラは呟いた。
空っぽ。それを以前は万引きすることで埋めていたのかもしれない。では、今は、どうしているのだろう?空っぽのままで大丈夫なのだろうか?
「だから、夢の中で盗っているのかな?」
またアキラが呟く。完全に、意識が思考の中だ。
夢を見るときにだけ現れる攻撃信号。
もし本当にそれだけで済むのなら、それで正太が満たされているのなら、問題はないだろう。夢の中での万引きは、誰にも迷惑はかからない。
「それで、めでたしめでたし、ってことはないですよね」
アキラが俺に言葉を向けた。
だよなぁ。
俺は頷く。
そもそも、ロストアンガー施術で、攻撃信号は完全にカットされているはずだ。夢の中であろうとなんであろうと、発生すること自体おかしい。
「やっぱり、ノイズが出ちゃうのかなぁ」
アキラは気が重そうに言った。




