2 いびつ -8
なな美の身体が目に見えて、ギクリと強張る。俺を突き飛ばすように、階下に下りながら、「嘘っ」と呟くのが耳をかすめた。
なな美に引っ張られて、二段ほど上っていた階段を下りたところで、リビングのドアが開いた。
間抜けに立ち尽くしていた俺は、ドアから現れた女とまともに目が合った。
驚きに目を見開いた顔に、俺は頭を下げた。
「お留守中、勝手に申し訳ありません。私、桜が丘高校の進藤と申します。なな美さんの担任でして、今日は」
「心配して、見に来てくれたの!」
割り込むように、なな美が口を挟んだ。
怯えながらも、前のめりな、妙に浮かれたような声だ。
母親らしきその女は、一瞬なな美の方を見たが、すぐに俺に会釈した。
「それはご苦労様です。明日は行かせますので」
母親の興味を失ったような平坦な声に、なな美がすっと体を引いたのが分かった。
「正ちゃんは?」
母親は何事もなかったかのように、なな美に尋ねた。なな美が「部屋にいるよ」と答えると、俺たちには目もくれず、母親は階段を上っていった。
「……わたしは見えなかったのかな」
アキラはまじまじと自分の身体を見下ろしている。確かに、あの母親はアキラに目線すら寄こさなかった。
「……ごめんなさい。先に正太に会わせればよかったね」
小さな声でなな美がそう言ったので、今回はもう正太に会うことはできないのだろう、と悟った。
「ああ、大丈夫」
俺はそう言ってやり、アキラを促した。この家に長居は不要だ。あの母親に警戒されるのも、避けたい。
そっと玄関に向かうと、なな美も見送りについてきた。担任の訪問なら見送るべきだと思ったのかもしれないが、あの母親はもう階下のことなど気にしていないだろう。
俺は玄関の扉を開け、振り返ってなな美を見た。
外は明るい。なな美は何度か瞬きしている。年相応どころか、どこか幼く見えるその顔に、俺は声をかけるべきか少し考えた。
「明日は学校行けよ」
そう言うと、なな美は何度も小さく頷いた。
「あー、嫌な時間だった」
席に付くなり、アキラはそう言って、盛大なため息をついた。
俺はバマホを取り出し、確認する。変化なし。よかった。
俺たちは坂巻家を逃げ出すと、駅前のファミレスに落ち着いた。アキラはとにかく不愉快だったらしく、両腕を抱いてさすっている。
俺はアイスコーヒーを二つ注文し、椅子に体を沈めた。向かい側のソファ席には、すっかりアキラの身体が沈んでいる。
「結局会えなかったし、骨折り損ってやつじゃないですか」
アイスコーヒーはすぐに来た。それを水みたいに流し込む。ここのコーヒーはワンコインあれば二杯買える代物だが、疲れた喉にはこのくらいがちょうどいい。
「そんなことないさ」
正太に関わる人間たちの様子は分かった。母親と妹。表札の最初に表記されている父親の存在は、見事に一言もなな美の口から出なかった。よくあるように、単身赴任かもしれない。まぁ、どちらにしても、父親はあまり影響を及ぼしていないだろう。何と言っても、母親だ。
正太に対する異常な執着と、反対に、なな美に対する興味のなさ。学校に来ないからと、担任が訪ねてきたら、普通の家なら大事だろう。それが話も聞かず、同級生らしき友達の顔に目を止めることすらない。正太より、なな美の方が心配になってくるほどだ。アキラの心配は、何も特別なものではないだろう。
では、なな美は何をもって、精神の安定を図っているのだろう。まぁ、安定しているとは言い難いが、それでも、どこかで発散しているのだとすれば……
予備校で見かけた時の、正太の一瞬、怯えた顔……
「それに、正太には単独で会った方がいい気がする。母親もなな美もいないところでな」
俺がそう言うと、アキラはよいしょと、身体を起こした。全く、オッサンくさい。
「じゃあ、わたしの出番ですかね」
俄然、やる気を出している。
俺はそんなアキラをしばらく眺めていたが、一つ頷いた。
「そうだな、任せよう」




