2 いびつ -7
「そんなはずない」
「ピンポーン!」
嬉しそうになな美は手を叩いた。躁状態だ。
「正太がその店で万引きをしたのは、それが初めてじゃなかった。何度か店は捕まえていたんだけど、正太が有名校の生徒で、勉強のストレスから万引きしてしまうのに同情して、注意で済ませていたの。だけど、庇いきれなくなったのね。ママにもそう説明したんだけど、ママは頑として『そんなはずない』よ。しかも正太は何を盗んでたと思う?」
ウフフとなな美は含み笑いをした。今度は問題にしたものの、自分から正解を言いたくてたまらないようだ。
「コーラよ!あの子、飲めないくせに」
あの子。兄に対するその言い方に、なな美が正太のことをどう思っているのか、察することができる。
「コーラは体に悪いからって、飲ませて貰えなかったのよ。正太は今でも、飲もうとしても飲めない。気持ち悪くなっちゃうの。それなのに、いつもコーラを万引きしてたの。そして、開けるまではするんだけど、結局飲めずに捨てちゃうんですって。ますますママは『そんなはずない』って言ってたわ。飲めないのに、盗るはずないってね。そう言っている間に、正太の万引きはエスカレートしていって、気が付いたら、そのうち棚のコーラを全部リュックに詰めようとするほどになっていた。度重なる万引きによる補導で、学校は退学。それでも止められなくて、ついに逮捕よ。最初は執行猶予が付いたけど、執行猶予中にまたやって、十八歳の時、実刑判決。懲役は二年もなかったと思うけど、帰ってきたらまたやってた」
典型的な、クレプトマニアと呼ばれる万引き依存症だ。経済的理由や、それが欲しいからと理由ではなく、盗みたいという衝動を抑えることが出来ずに、窃盗を繰り返してしまう依存症の事を言う。
経済的に困っておらず、別に欲しくもないのに盗ってしまうのが特徴で、気が付けば盗っていたという者も多い。
「万引き」という行為に依存している、依存症である。現代の犯罪としても、精神病としても、珍しいものではない。
原因は勉強、母親からのプレッシャーによるストレス、といったところか。
そして、ロストアンガー施術。
正太はなぜ受けたのか。
「ママがついに認めたの。確かに正太は盗癖がある。だから、それを取ってもらいましょうってね」
「……正太の意思は」
俺がそう問うと、なな美は首を傾げた。
「さぁ?あの子が自分の意思を伝えるとは思えないけど」
正太の話なのに、正太がまるでわき役のようだ。正太を支配しようとする母親と、その悲劇を面白おかしくしゃべる妹。正太の気持ちがちっとも見えてこない。相当なストレスがあったのだろうとは思うが、まるで症例として挙げられているサンプルのように、実体が見えてこないのだ。
「お兄さんに会えるか?」
正太に実際に会わないと分からない。俺がそう思って切り出すと、なな美はあっさり「二階の奥よ」と言いながら、腰を上げかけた。
「お前は大丈夫なのか?」
それまで一言もしゃべらなかったアキラが、急に言葉を発した。
なな美はギョッとしたように、アキラを見た。
「お前って、わたし?」
不愉快そうに眉を顰めるなな美に、アキラは更に言った。
「お前は母親に何かされなかったのか?」
まさか自分の心配をされるとは思わなかったのだろう。構って欲しいとアピールしながらも、されたらされたで驚いたように目を瞬かせた。それから我に返ったのか、口を歪めて笑った。
「何もされなかったわよ。なーんにもね。ママは正太にかかりきりで、普段はわたしのことを見てもいなかった。たまにわたしを呼んだかと思ったら、正太の見張りをさせるのよ」
「……」
アキラは何を言っていいか分からないと、途方に暮れた顔をしていた。
なな美は呆れたようにフンと鼻を鳴らし、立ち上がった。
そして階段へ足を向けた。俺も慌てて立ち上がる。
アキラがへの字に曲げた唇の隙間から、「大丈夫じゃないだろう」と呟いたのが聞こえたが、なな美の耳には届かなかったようだ。
さっさと階段を上っていく途中で、玄関の扉が開く音が聞こえた。
「あら?誰かお客さん?」
明るく問う声に、少しの警戒が混じっていた。




