2 いびつ -5
なな美の言い方からして、正太は中学校、高校、もしかしたら小学校の頃から、窃盗癖があったのかもしれない。
窃盗罪は初犯で実刑になることはまずないが、依存症ともなると、何回も繰り返すことになり、再犯を重ね、いずれ実刑ということにもなる。他に罪状がなければ、正太もそうだったのだろう。
だが、それでロストアンガー施術を受けたというなら、驚きだ。窃盗罪の刑期はそんなに長いものではない。模範囚であれば、早くも出られる。
それに二十歳で受けたというのも気になる。現在の刑法では、懲役刑が科せられる最低年齢は十八歳だ。だが、ロストアンガーを受けられるのは、二十歳からとなっている。懲役刑の年齢は犯罪の低年齢化を加味して、十年ほど前に下げられたのだが、ロストアンガー施術の方は、純粋に医学的に安全なのが、二十歳からだとされたからだ。
この懲役刑の最低年齢の十八歳と、ロストアンガー施術の二十歳の間の二年間は、ブランクピリオド(空白期間)と呼ばれている。
例えば、十八歳で懲役刑を言い渡され、それならロストアンガー施術を受けようとしても、二年間は懲役刑に服さなければならない。実際そうなると、それから施術を受ける者は少ない。
しかも、窃盗罪だ。軽い犯罪だと言うつもりはないが、もし正太がブランクピリオドを経てなお、ロストアンガー施術を受けたとなると、腑に落ちないのだ。
実刑を免れ、犯罪歴すら白紙になる。
罪を犯した者にとって、夢のような話だが、だからといって、皆が喜んでロストアンガー施術に飛びつくわけではない。
やはり怖いのだ。
施術後の自分がどうなってしまうのか。それは本当に自分なのか。自分は自分でなくなってしまうのではないか。
凶悪犯罪を犯し、終身刑を言い渡され、施術に飛びついた者でさえ、直前にビビって止めてしまう者もいる。
頭は良かった正太。
それが、安易に(と思ってしまう)ロストアンガー施術を受けるだろうか。
「本当に行くんですかぁ?」
隣でアキラが不貞腐れたような声を出した。
今更だと思いながら、相棒を宥める。
「まぁ、足掛かりがそこしかないしな。しかも家族に協力者がいるのは、願ったりだぞ」
なな美の誘いに乗り、俺たちは坂巻家へ向かっていた。
なな美の言うとおりにするのが嫌なのだろう。最初からアキラは乗り気ではない。
俺は学校の教師に見えなくもない、ポロシャツとスラックスという格好だが、アキラは相変わらずのサロペットだ。
「それで行くのか?」と訊いたら、「制服でもなければ、なんでも一緒でしょう」と一蹴された。
まぁ、確かに。俺だって、十分怪しい。
俺たちは、昨日足早に通り過ぎた「坂巻」の表札の前に立った。四人の名前を確認すると、表札の上についたインターホンに手を伸ばした。当然、カメラ付きだ。
ピンポーン
坂巻家の家は、白い壁にオレンジがかった茶色い屋根の、どちらかというと可愛らしい家だ。清潔感に溢れ、明るく陽光を受けている。だが、近くで見る白い壁は、もう真っ白ではなかった。年月とともに、埃や雨で少し黒ずんでいた。
「ハイ」
身構えた俺たちの耳に、聞き覚えのある声が聞こえた。若い女の声だ。
俺は肩の力が抜けるのを感じながらも、丁寧な口調で名乗った。なな美だとは思うが、一応だ。
「桜が丘高校でなな美さんの担任の、進藤と申します」
「ああ、先生」
笑いを含んだ声は、やはりなな美のようだ。
「ちょっと待ってね」
隣ではアキラが、今すぐにでも帰りたそうな顔で、足をもぞもぞさせていた。
「お前、いい加減、観念しろよ」
俺が囁くと、「なんか気持ち悪い」と言い出した。
俺は呆れて、ため息をついた。本当に、こいつはなんでこの仕事がしたいのだろう。およそ楽しそうにも見えないし、やる気があるように見えたこともない。
アキラのやる気を引き出してやる暇もなく、なな美が玄関から顔を出した。
「どうぞ」
当たり前のように、俺たちを中へ促す。
「お母さんは?」
訊くと、なな美はいたずらがバレたような顔で笑った。
「出かけているの。だから今日の午後にしてもらったのよ」
昨日はそんなこと、一言も言わなかった。
俺は自分の教師モドキの恰好を見下ろした。
まぁ、いいか。
どちらにしても、まだ正太に俺たちの正体を明かさない方がいいだろう。
「お前、よく知らない人を簡単に家にあげるの、どうかと思うぞ」
アキラが妙な正義感を出して、ブツブツとなな美に小言を垂れていた。
オイオイと内心アキラを突っ込みつつ、それもそうだと、これまた内心思う。
なな美のこの無防備さは何だろう。
「あら、心配してくれるの?」
意外にも、なな美は嬉しそうに微笑み、「で?」と小首を傾げた。
「入るの?入らないの?」
「お邪魔します」
アキラが何か言わないうちに、俺はさっさとアキラをひっぱって、坂巻家の内側に入り込んだ。




