ep.5
パンの焼けるいいにおいがして私は目を覚ました。
なんて素敵な1日の始まりなんだろうか。
私は居心地のいいベッドからなかなか出られなかった。
スマホを見ると6時前だった。
泊めてもらったんだから朝寝坊なんて絶対にしてはいけない。
私はいつものピンクのワンピースに着替えようと思ったが見当たらなかった。
しかたがないのでそのまま居間の方へ行くとおばあさんはそこにはいなかった。
キッチンの奥からいいにおいがしてくる。
私がにおいの元を覗くとおばあさんが大きな窯でパンを焼いていた。
「おはようございます。」
おばあさんは粉まみれになりながらこちらを振り向いた。
「おや、若いのに早起きとは感心じゃな。」
大きなテーブルの上でおばあさんとは思えないほど力強くパン生地を捏ねていた。
「何かお手伝いできることはありますか?」
私は恐る恐るそう聞いてみた。
「チビっ子はそんなこと気にしなくていいんだよ!おまえの服は汚れていたから洗濯しておいたよ。娘の部屋で適当に服を見つけて着替えておくれ。」
「わかりました。ありがとうございます。」
私はペコリとおじぎをして部屋に戻ろうとした。
居間から見える庭に洗濯物が干してあるのが見えた。
そよ風になびいて気持ちよさそうだった。
────
『地味な服ばかりね。』
マユちゃんはスマホから娘さんの服を見て残念そうに言った。
「でも作りはしっかりしてるし、生地もよさそうだよ。」
私は畑仕事ができそうなシャツとズボンを選んで着てみた。
小さいのを選んだつもりだったけど、やはり少しサイズは大きいようだ。
『レトロな感じで悪くないわね!』
マユちゃんも気に入ってくれたようだ。
居間に戻るとおばあさんはテーブルにパンとスープを出してくれていた。
「ほら、お食べなさい。」
「いいにおい!いただきます!」
スープを飲むのは何年ぶりだろうか。
野菜の味がしっかりする優しい味だった。
「美味しいです!ありがとうございます!」
私が笑顔でそう言うとおばあさんは不思議そうな顔でこう言った。
「最近の魔物は礼儀正しいのかね?」
私は思わず笑ってしまった。
そして生まれる前の話をおばあさんに話して聞かせた。
「前世の記憶があるなんて、それはそれでしんどいじゃろ。」
こんな話でもおばあさんは信じてくれたようだった。
一見怖い人のようだけど、本当はすごく優しい人なんだ。
「役に立つこともたくさんあるので大丈夫です!」
「ゆっくり聞きたいところじゃがパンが焼けたので売りに行かんと。おまえさんも来るかね?」
「いいんですか?」
そして私はおばあさんと一緒に村に行くことになった。
────
荷車をおばあさんと一緒に引っ張った。
スマホは例の音がして【移動(荷車)のスキルを習得】と出た。
おばあさんは音に気がついてそれは何かと聞いてきた。
「これはスマホっていうもので前の世界にあったとても便利なものです。こっちの世界にはないんですかね?」
「そんな音が出る板は見たことがないね。きれいな絵も出てくるね。珍しいものじゃね。」
マユちゃんはおばあさんにそう言われてなんだか嬉しそうにしていた。
「しかしそれはカバンにしまっておいたほうがいい。村には悪いやつもいるでな。」
「はい。」
私は言われたとおりスマホをポシェットに入れた。
悪いやつと聞いてなんだかドキドキと胸騒ぎがしてきた。
たまたま出会ったおばあさんはいい人だったけれど、世の中には悪い人もたくさんいる。
────
10分ほど歩くと村に到着した。
この世界の村がどのくらいの大きさが普通なのかはわからないけれど、私には大きな村に見えた。
久しぶりにたくさんの人を見た。
子供からお年寄りまでたくさんの人がいた。
おばあさんはお祭りの屋台のようなお店にパンを並べ始めた。
私も荷車からおろすのを手伝った。
並べるとすぐにお客さんがやって来た。
「おはよう、ブウばあ。今日は小さな売り子さんつきかい?」
「いらっしゃい。この子はちょっと預かってるだけだよ。今日はなんにする?」
お客さんたちは次から次へとやってきた。
来るたびに私のことを聞くのでおばあさんが答えるのに疲れてしまうだろうと思って屋台の下に隠れることにした。
「なにやってんだい?」
おばあさんは隠れてる私を見て不思議そうに聞いた。
「いちいち私のことを聞かれて面倒かなって思ったから。」
私がそう言うとおばあさんは笑いだして、「おまえのおかげでいつもより繁盛してるよ。みんなわしが一人じゃないことが気になるんだろうさ。気にせず出ておいで。」
「それならいいんだけど。」
私が顔を出すとお客さんがやって来た。
「ブウばあ、隠し子かい?」
「そんなわけないじゃろ!」
おばあさんもお客さんも楽しそうだった。
私はそのやり取りを見ているだけで楽しかった。
────
おばあさんのパンはお昼前に売り切れてしまった。
「おまえのおかげで今日は完売だ!何か買ってやろうかね。」
「そんな!私は何もしてませんよ。」
おばあさんは私の手を握り、他のお店へと引っ張っていった。
誰かと手を繋ぐのは何年ぶりだろうか。
小学校のときに学校に行きたくないと駄々をこねたときに、お母さんが手を繋いで一緒に学校まで行ってくれたっけ。
その後は…思い出せないや。
私はきっと悲しい顔になっていたのだろう。
おばあさんは心配そうな顔でこちらを見ていた。
「何か嫌なことでも思い出したかい?」
「ううん。いい思い出だよ。」
私はそう言ってニコっと笑った。
おばあさんは安心したようで飴屋さんで棒についた飴をかってくれた。
お祭りで売っているようなべっこう飴だ。
私はありがたくいただくことにした。
「甘くて美味しい!!」
おばあさんは満足そうに私の頭を撫でてくれた。
────
おばあさんは帰る前に村の中を案内してくれた。
昔はもっとたくさんの人がいたんだって。
今は100人くらいの人がこの村で生活していると教えてくれた。
帰り道は荷車に私を乗せてくれた。
道がでこぼこしているから飛び跳ねて面白かった。
おばあさんは喜ぶ私を見て嬉しそうにしていた。
家につくとお茶を入れてくれた。
苦いと飲めないなと思ったけれど、麦茶のような優しい味がして美味しかった。
「それでおまえさんは、これからどうするつもりでいたんだい?」
一息つくとおばあさんは私にそう聞いてきた。
私は考えたけど答えは出なかった。
「種族の掟で5歳になると伴侶を探す旅に出ないといけないの。でも私は人間だから、5歳で結婚なんて無理でしょう?もう少し大人にならないとダメよね。」
私がそう話すとおばあさんは面白そうに笑っていた。
「確かに魔物の感覚で言われても困るよの。」
少し沈黙の時間があった。
おばあさんは短く息を吸い込んだかと思うと真剣な顔になって私に言った。
「おまえさんさえ望むなら、好きなだけこの家におってもいいんじゃよ。部屋は空いてるし。チビっ子1人くらい食べさせられる余裕もあるのでな。」
私はハッとしておばあさんを見た。
おばあさんはなんだか恥ずかしそうにしていた。
「そんな!そんなステキなことってないわ!本当にいいの?!」
私は立ち上がりテーブルを叩いてしまった。
その勢いにおばあさんはびっくりした顔になって、それからニコリと微笑んでくれた。
「またパン屋を手伝ってくれるかね?」
「もちろんよ!パン屋さんになれるなんて!夢みたい!」
私は今朝目覚めたときの幸福感を思い出した。
ここ数年では味わえなかった人間らしい朝だった。
「よし、じゃあ人に聞かれたときに面倒だから、わしの孫っていうことにしていいかね?」
「じゃあ、おばあちゃんって呼んでいいのね?!」
「そうじゃな、それが自然じゃな。」
おばあさんはなんだか照れた顔をした。
普通なら知らない子におばあちゃんなんて呼ばれたら年寄り扱いするなって怒られそうなものだけど。
そしておばあさんの娘の部屋だった場所は私の部屋になった。
机と椅子もあって、本も数冊置かれていた。
私もピカピカな学習机を買ってもらったっけ。
ほとんど使うことはなかったけれど。
私に妹か弟ができていて、使ってくれていたらいいな。
私はポシェットからうさぎの絵のついたノートを取り出した。
ページをペラペラと捲る。
3ページ目にそれは書いてあった。
『パンやさんになりたい』
私はノートを閉じて抱きしめた。
こんなに早く願い事が叶ってしまうなんて思ってもいなかった。
私はノートを机の引き出しに入れた。
願い事は7つで終わっているけれど、全部叶ったらまた新しい願い事を書こう。
────
私はパン屋さんについて勉強することにした。
スマホでパンの作り方を調べるとたくさん出てきた。
今日、村を見てきてわかったのだけれど、この世界は前の世界よりも技術が進んでいない。
よく見ると電化製品が1つもない。
水道やガスもないみたいだ。
『魔法があるからそういう技術は伸びなかったのかもしれないわね。』
マユちゃんもこの世界には興味があるようだ。
さっきマユちゃんをおばあさんに紹介したら「珍しい魔法じゃね。」と言って特に不思議がる様子はなかった。
この世界には魔法があるからちょっとくらい普通じゃなくてもいいみたい。
マユちゃんはなんだか納得いかない顔をしていたけれど『それでいいわ』と諦めた。
私にとってもマユちゃんは魔法みたいなものだし。
おばあさんがくれた小さなノートに私はパンの作り方をメモした。
パンをふわふわにするには発酵という工程が必要なんだって。
おばあさんは6時前にはパンを焼いていた。
いったい何時に起きればお手伝いができるのだろうか。
「ソラ、ご飯だよ!」
いいにおいがしていた。
「はーい!」
私は急いでテーブルについた。
お肉の焼いたやつがあった。
「わぁ!お肉だ!」
「今日は特別だよ。ソラが孫になった記念日だからね。」
おばあさんは自分でそう言って照れていた。
「家族記念日ね!すてき!」
久しぶりに食べる焼けたお肉はとても美味しかった。
これはきっとウサギの肉だ。
ウサギなら罠で捕れる。
今度捕まえてこよう。
お腹いっぱいになり、私はごちそうさまをして食器を流しに運んだ。
お皿洗いを手伝いたかったけれど、おばあさんは水の魔法が得意のようでササッと終わらせてしまう。
私はお皿を拭くのを手伝った。
おばあさんはときどき口が悪いけど優しかった。
私を見る目はどこか遠いところでも見ているような感覚がするときがあった。
もしかしたら娘さんのことを思い出しているのかもしれない。
私は娘さんのことを聞かなかった。
なんだか聞いてはいけないような気がしたから。
こうして私は『ブウばあ』の孫になった。
一緒に暮らすことを後悔させないようにしっかりお手伝いをがんばろうと思う。
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