ep.22
私は大きな海のど真ん中にいる。
私が書いたノートの4ページ目にはこう書かれていた。
『およげるようになりたい』
そして今、私はスイスイと海を泳いでいる。
まるで魚のように水の中でも苦しくない。
私はウミガメを追いかける。
優雅に泳ぐウミガメにつかまろうと手を伸ばす。
すると突然何かに手を掴まれて海の底へと引きずり込まれる。
さっきまで苦しくなかったのに、急に息ができなくなった。
キレイだった海の水も気がつけば真っ黒で何も見えなくなった。
沈むにつれて黒は濃くなる。
息ができない。
苦しい…もう許して…
────
誰かに腕を掴まれて目を覚ました。
私は夢を見ていた。
額には冷や汗をかいている。
ふと横を見るとなんだか懐かしいにおいがした。
「さあ、急いで行きましょう。」
私の腕を掴むその人の顔は見えない。
『あなたは誰?』と聞きたかったが声が出ない。
どうやっても開かなかったドアはすんなりと開いた。
私はその人に引っ張られるまま走った。
薄暗い廊下をまっすぐ進んだ。
大きな扉が見えた。
きっと屋敷の出口だろう。
もう少し。
もう少しだったのに目の前には魔王がいた。
「どこへ行くのかな?」
私の手を引いてくれた人は魔王に捕まった。
首を絞められ、空中に浮いていた。
「やめて!!」
私はやっと声が出せた。
「また助けられなかった…ごめんね、レイちゃん。」
その人はそう言うと砂のようにサラサラとその場に崩れた。
「どこから迷い込んだのか。虫けらめ。」
魔王はそう言いながら手についた砂を払っていた。
そして私を見ると、「ちょうどいい。来い。」と言って指を鳴らした。
私の体は操り人形のようにカクカクと動き、魔王のあとをついていった。
大きな部屋にある大きな水晶の前に座らされた。
「さあ、この水晶に保管している闇を注ぐのだ。」
「できないよ。やり方を知らないもん。」
「できるはずだ。」
魔王はそう言うとまた指を鳴らした。
私は両手を水晶にくっつけた。
水晶にはあの家でベッドに横になって動かないおばあさんとその横でうなだれているマキナさんが映った。
「ブウを殺すぞ?呪いを発動すれば即死する。」
「やめてよ!!」
「ブウが死んだらこの女も泣くだろうな。君のせいでみんなが不幸になる。あぁ、かわいそうに。」
「やめてってば!!!お願い!!でも本当にやり方がわからないの!」
「君の中にある負の感情を開放すればいい。憎しみ、恨み、妬み、ありとあらゆる負の感情がお前の中の闇を開放する。
さっきの男、覚えてないか?君を『レイちゃん』と呼んだだろう?君がレイちゃんだった頃に君を救おうとして失敗したのさ。そして今度はこの世界で助けようとした。また失敗したがね。」
あの人は、私の部屋を掃除してくれたあの人だ。
顔も覚えている。
そう、今この目の前にいる魔王にそっくりな顔だ。
「あなたなの?あの人はあなたなんでしょ?」
魔王はビクッとした。
「何を言っている?なぜ私が君を助ける?」
「わからない。でもあなたはあの人と同じにおいがする。」
水晶にあの人が映った。
巻き戻しをしたように早回しで過去へと戻っていく。
あっという間に子供の姿になった。
その子はゴミ屋敷のような部屋の中で、一人でポツンと座っていた。
空になったお酒の瓶が転がり、タバコの吸い殻は灰皿から溢れていた。
そしてドアを叩く音。
『いるんだろ?出てこいよ!早く金を払え!殺すぞ!!』
その子は耳を塞いでいる。
家の隅っこで小さく丸まり、静かに泣いた。
「みんな、みんな死んじゃえばいいんだ。」
その子は立ち上がった。
いや、そう見えたけれどそのまま座っている。
立ち上がったのは薄くなったその子だ。
目を細めないと見えないくらいの存在だ。
魔王はその姿に気がついていないようだった。
「さっきの男はこうやって人生を過ごしてきた。多少不幸なことがあったみたいで自分を正義のヒーローにしたかったのさ。
君はただの彼の自己満足への対象だよ。別に君じゃなくてもよかったのさ。ただ目の前に、自分より不幸な子がいたから、ヒーローになれるチャンスだとでも思ったのだろう。」
魔王は憎しみをあらわにしていた。
あの人のことが嫌いなんだ。
水晶の中の半透明な子はニヤリと笑ってそのまま床へと消えていった。
沈んでいくように、ゆっくりと。
魔王は相変わらず、気がつかずに男の人の悪口を言っている。
そして満足したように指を鳴らすと水晶はただの透明になった。
「さあ、君の仕事は1つ。この水晶に闇を注ぐんだ。やり方がわからないというのは信じてやろう。わからないなら思い出せばいい。1日、時間をやろう。それでもできなかったら、そうだな。あの猫から殺そう。そしてあの娘、ビル、最後にブウにとどめを刺す。」
魔王は楽しいことでも話しているかのようにニヤニヤとそう言った。
そして部屋から出ていった。
ドアはやはり開かなかった。
────
広い部屋に大きな水晶と椅子が一つ。
私は途方に暮れて、新しく作った杖で水晶をつついてみた。
杖はいつの間にか金色になっていた。
『なんだかゴージャスな杖になったわね。』
マユちゃんはピカピカしたものが好きだ。
「色が変わっても使えないんじゃね。どうしたらいいのかな。」
私が何度か水晶を叩いたとき、中に砂嵐のようなものが見えた。
砂がぐるぐると渦巻いているのである。
私は水晶から離れてそれを見守った。
不思議と怖くなかった。
『レイちゃん、ごめんね。』
そこにはさっきの男の人がいた。
「あなた、誰なの?」
『僕は日渡ショウ。大学2年生だよ。』
「ショウさん、私は生まれ変わって今はソラっていう名前なの。ショウさんはいつも私の部屋を掃除してくれた人だよね?」
『ソラちゃんになったんだ。そうだよ、僕は病院で掃除のバイトをしていた。』
男の人は優しい顔で私に話をしてくれた。
その笑顔はいつか病室で見た、その人そのままだった。
「ショウさんはどうしてここにいるの?」
『あの日、僕はいつものように掃除の仕事をしていたんだ。そしたらレイちゃんが急変してね。』
ショウさんは悲しい顔になって、一瞬言葉が止まった。
『それで、僕は医学部の学生でレイちゃんの症状には見当がついていたから、レイちゃんの旅立ちのときが来てしまったのかって、見守っていたんだ。
人の命には必ず終わりがあるからね。もちろん悲しかったけど、それがレイちゃんの運命だってわかっていた。
だけど、アレが現れたんだ。真っ黒ですごく嫌なもの。それが何かはわからなかったけど、レイちゃんの心臓に何かを刺していたんだ。
僕はとっさにそれを倒そうとした。どうやって倒すかもわからなかったけど、とにかくレイちゃんから離れろってね。』
真っ黒の嫌なもの…
『でもそれは僕を寄せ付けなかった。病室に入ることも許されなかった。僕は廊下で倒れて、そのまま意識不明で今も病院で眠っているよ。』
私は驚いた。
「ショウさんは生きているの??」
『あの状態で生きているのかと聞かれたら微妙だけどね。死んではいないようだよ。』
ショウさんはくすくすと笑っていた。
『僕は意識不明だったけど、頭の中にはいろんなものが見えたんだ。行きたいと思っていた世界各国の景色とか、大きな山脈の山頂とか。その景色に混ざってレイちゃんが見えた。いや、ソラちゃんの姿だったんだね。狼と一緒に過ごすソラちゃんや、おばあさんとパンを作るソラちゃんがときどき見えていたんだよ。』
私は裸で森を駆け回っていたときのことを思い出して少し恥ずかしかった。
『どんなソラちゃんも楽しそうに笑っていた。だから僕も安心してたんだ。その姿を見るのも楽しかったし。
でもそれが徐々におかしくなっていった。何度もピンチが訪れただろう?そのたびに僕はソラちゃんを助けようとした。そちらの世界に行こうと努力をした。
ずっと見ているだけだった。僕は無力だった。
でもね、さっきあの部屋に僕は行くことができた。なぜだろうね、あいつの屋敷だからかな。』
「魔王はあなたなの?」
『あいつは、そうだね、僕の一部だった。小さいときに生まれた嫌な気持ちが、みんな死んじゃえっていう気持ちが、あいつを生み出してしまったんだろう。
僕もさっきの映像をみるまでは確信がなかったよ。』
私は魔王が憎いと思っていたけれど、それを聞いてなんだか可哀想に思えてきた。
嫌な気持ちから生まれてしまった魔王。
『泣いているの?あいつのために泣いてくれているの?』
私の頬には涙が流れていた。
いつの間にか泣いていた。
『ソラちゃんは優しい子だね。ありがとうね。』
ショウさんは魔王を自分の一部だと認めている。
私は頭が混乱したままだった。
ただ悲しい気持ちで心が溢れていた。
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私は水晶の中のショウさんと話をした。
ショウさんは魔王に砂にされて慌ててこの水晶に入り込んだのだという。
しかし入ったはいいけれど、今度は出られなくなってしまったそうだ。
私たちは何もすることができなくなり、昔のようにとりとめもない話をした。
ショウさんはパン屋さんでの話を聞きたがった。
私がメルクの話をすると声を上げて喜んだ。
『そんなにたくさん食べても病気にならないなんて、彼にはスイーツを食べる才能があるんだね。』
「うん、奥さんもいい人でね、きっと二人で笑いながらケーキを食べているんだと思う。」
『想像するだけでこちらも幸せになるね。』
幸せという言葉を聞いて心がチクンとした。
私はみんなの幸せを奪っているのではないか。
ショウさんが意識不明になったのも、きっと私のせいだ。
ショウさんは私の顔色を見ていたのだろうか。
「ソラちゃんのせいじゃないよ。君は、君の人生を生きようとしているだけだよ。」
そう笑顔で言ってくれた。
意味はよく分からなかったけれど、なんだかとても嬉しかった。
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