ep.2
私は死んでしまった。
小学校1年生のときに心臓に病気がみつかって、それからずっと病院ばかりだった。
走るのが大好きだったのに。
走ると具合が悪くなって、走ることをやめちゃった。
運動会のリレーで走るのを楽しみにしてたんだけどね。
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どれくらいの時間がたったのだろう?
私はふわふわしたものに包まれているようだった。
相変わらず目は開かない。
手足はバタバタ動かせるけれど、立つことも歩くこともできない。
もしかしたら生まれ変わってまた赤ちゃんになったのかもしれない。
赤ちゃんからやり直せるのかもしれない。
今度は健康に生まれてるといいな。
私はまたたくさん想像した。
死んでしまったばかりだけど希望に満ち溢れている。
そしてふと思い出した。
お父さんとお母さんが泣いていなければいいな。
しばらくして顔に何かが触れるのを感じた。
最初は撫でられているのかと思ったけれど、どう考えてもそうじゃない。
ザラザラした何かに舐められているように感じる。
野良猫に指を舐められたのを思い出した。
顔中を舐められて、私の目はやっと開いた。
そしてやっと私を舐めている正体が見えた。
これは…猫?それとも犬??
毛むくじゃらのかわいい顔をした獣が目の前にいた。
首は動かせないけどキョロキョロと周りを見回してみた。
どう見ても私の知っている家の中ではない。
ゴツゴツした岩のような、洞窟のような薄暗い場所のようだった。
お金持ちじゃなくてもよかったのに。
普通に生まれてきてほしかったのに。
洞窟の中で獣に舐められているなんて、ちっとも普通じゃない。
神様は私の願いをきいてくれなかったのかもしれない。
私はがっかりしていると舐めていた獣と目が合った。
「やっと目を開けたわね。」
獣は私に向かってそう喋った。
私は驚いて何かを言おうとしたんだけど言葉にはならなかった。
「まぁ、元気な子ね!」
獣はそう言うとにっこりと笑った。
おかしな話だけど、どう見ても笑っているようにしか見えなかった。
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洞窟には白い毛の獣と茶色の毛の獣が住んでいた。
夫婦の2匹は人間のように言葉を話すみたい。
そうじゃないとしたら私に獣語がわかる能力があるに違いない。
白い毛の獣はハイナという名前のメスだった。
茶色の毛の獣はロウというようだ。
この場合、私の両親になるのだろうか?
他に人間がいるようには見えない。
バタバタ動いて手足を見てみたけど、人間の赤ちゃんに見える。
でも、もしかしたらこれから成長するとモジャモジャと毛が生えてくるのかもしれない。
お腹がすいたと思った頃、あることに気がついた。
私の隣に何かがいることに。
それは、ハイナが「ミルクですよ」とやってくると嬉しそうに鼻を鳴らしていた。
私は手足をバタバタすることしかできず、ミルクがどこにあるのかもわからない。
「さぁ、あなたもお飲みなさい。」
ハイナは優しくそう言うと私を自分の方へと引き寄せた。
そして自分のお乳を飲ませてくれた。
やっぱり私は犬なのか猫なのかわからないけれど、獣に生まれ変わったようだ。
お乳はほんのり甘くて美味しかった。
満足するまで飲んだら眠くなった。
ハイナは私を上手に寝床に移動させた。
そのときに隣にいた正体が目に入ってきた。
灰色の小さな獣だった。
目もほとんど開いていないのに、その子はヨチヨチと動き回っていた。
そして私にピッタリと寄り添うとスースー寝息を立てて眠ってしまった。
兄弟?にしては似ていない。
私は生まれ変わって、獣として生まれてきても『普通』ではなかったようだ。
ちょっぴり悲しい気持ちになったけど、すぐに忘れて私も眠ってしまった。
────
眠って起きて、お乳を飲んで。
私の第二の人生は平和に過ぎていった。
灰色の獣はモク、私にはソラという名前をつけてくれた。
モクは日に日に成長しているようで目も開いて動ける範囲も広くなっていた。
私はまだ首すらも動かせない。
でもロウもハイナもそんなこと少しも気にする素振りを見せずにモクと私を同じように愛してくれていた。
モクも私を不出来な妹でも扱うようにいろいろ手伝ってくれるようになった。
────
時間はかかったけれど私も4本足で移動できるようになった。
モクについていって洞窟の出入口まで行ってみた。
目の前には絵本に出てくるような素晴らしい森が見えた。
この洞窟は山の上にあるのかもしれない。
遠くまで見渡せる場所にある。
幼稚園のときに家族でどこかのお山に登ったことがある。
ロープウェイで山頂まで行けるところだ。
その時の景色を覚えている。
遠くの建物もちっちゃく見えて、不思議な感じがしたっけ。
しかし今見えるのは広い森だけだった。
私はきっとジャングルの奥地で生まれたんだ。
「こら、二人とも!お外はまだ危ないって言ったでしょ!」
「はーい。」
モクは舌をペロッと出して私を見た。
『怒られちゃったね。』
私はうふふと笑った。
モクはわりとすぐに喋れるようになった。
私はモクの成長スピードについていけていない。
生まれて半年くらいたった頃からやっと思うように声を出せるようになった。
それでもまだ話すのはうまくできない。
そんなどんくさい私のことを誰も悪く言わない。
お父さんもお母さんもモクもみんな優しかった。
私が思い描いていたものではなかったけれど、これはこれで幸せなんだろうと思った。
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季節が巡り、1年が過ぎたことがわかった。
そして不思議なことに私は二本足で立つことができた。
いつまでもみんなのようなふわふわの毛は生えて来ない。
「お母さん、どうして私だけみんなと違うの?」
私は二本足で歩いてお母さんのところに駆け寄った。
「まぁ!歩けるようになったのね!」
お母さんはおめでとうと言って私の顔を舐めてくれた。
「あなたはね、私たちとは違う種族なのよ。人間っていうんだけど…でもね、種族は違っても私たちは立派な家族よ。細かいことは気にしなくていいわ。」
お母さんはそう言うとにっこり笑った。
そうなのだ。
私はやっぱり人間だったのだ。
薄々感じていた。
鏡がないから自分の姿は見えないけれど、触るとそれはどう考えても獣ではなかった。
家族たちと種族が違うという事実は確かにショックだった。
でもそれよりもなぜ私はこの洞窟で育ったのだろうか。
そっちのほうが気になった。
考えられるのは2つ。
誰かがここに捨てたか、お父さんたちがここに連れてきたかどちらかだ。
どっちにしても嬉しい過去ではなさそうだ。
私はお母さんに言われたとおり、細かいことは気にしないことにした。
────
そして私は大好きな家族たちと暮らした。
外にも徐々に出してもらえるようになり、モクと一緒に近場を冒険した。
洞窟から出て山道を降りると川が流れていた。
小さな小川だったけど、魚がいたので二人で獲った。
私が人間だからかもしれないけれど、私は生の肉や魚が好きじゃなかった。
お母さんのお乳を卒業してからは山菜や果物を食べた。
みんなほどバリバリは食べられなかったけれど、肉や魚も少しは食べた。
『残さずたくさん食べるのよ』とよく言われていたのを思い出した。
あっちのお母さんは元気かな。
元気だといいな。
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ある日、いつものように森を探索していると大きな岩に小さな穴が開いてるのが見えた。
その奥に何かがあるように見えた。
私は恐る恐る手を入れてその何かを掴んだ。
ウサギの絵のついたノートだった。
それは紛れもなく、私が病床で書いたノートだった。
ページを捲ると最初のページに大きな文字でこう書いてあった。
『おとなになれますように』
私はそっとノートを閉じた。
なぜなのか涙が出てきた。
涙はなかなか止まらなかった。
私はノートをそっと穴に戻した。
今の生活には必要ない。
そして私は心に誓った。
普通じゃないかもしれないけれど、ちゃんと大人になろうと。
人間が獣として生きていくのはもしかしたら大変なことかもしれないけれど、がんばろうと思った。
モクが心配して「大丈夫?」と声をかけてくれた。
私は急いで涙を拭いて振り返った。
「大丈夫だよ!」
「家まで競争しよう!」
モクは尻尾を振って目をキラキラさせている。
「モクは足が速いから勝てないよー!」
そう言ったけど私は力いっぱい走った。
走るのってなんて気持ちいいんだろう。
モクは嬉しそうに私の隣を走った。
私もきっととってもいい笑顔だったろう。
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