序説
まずは、前作《桜の木の下》について少し語りましょう。推理小説家、島田荘司さんの作品を読んだ私は、推理小説を書きたくなって、そして出来上がった作品が前作でした。
初めて島田さんの作品と出会ったのは、三年前、2016年の夏でした(本作は2019年の作品)。友達と一緒に図書館に行った私ですが、読みたい本がいないため、暇潰しに読む小説を探していました。そこで、《出雲伝説7/8の殺人》に出会いました。日本神話に興味深かったので、出雲という単語に気付いて、この作品を読んでみようと思いました。それが私にとって、初めて出会った本格推理小説でした。手掛かりからトリックを推理することや、日本の電車文化など、知識が足りなかったので、まったく推理できなかったが、神話と推理を合わせたことに対してかなり深い印象を受けました。
その年の九月から、私は高校生になりました。図書館に行ってみたら、不意に島田さんの作品を見かけました。結構揃っていたので、最初の作品《占星術殺人事件》から読もうと思いました。それが、私と御手洗潔シリーズとの出会いでした。
元々生物学に興味はなかったが、御手洗さんのおかげで、生物学の世界に気になりました。御手洗さんは、どのような世界を見えるのでしょうか。それは、どの生き物にも名前がある世界なのか、どんな行為にも意味がある世界なのか。生命科学の世界では、知れば知るほど、自分の無知を感じてしまうが、御手洗さんはもしくは、それを楽しんでいるのかもしれません。御手洗さんと出会ったおかげで、私は生命科学を研究する理想に出会えました。
高校にいる三年間、私は島田さんの作品を全部読みました。その中、《眩暈》を読むとき、謎解きの寸前に用事が入って、謎についてゆっくり考える時間がありました。その時、私は自分なりの答えを考え出したが、確信できないし、ありえないと思ったが
、まさかそれが正解でした。自分にも推理できるんだと感じた瞬間でした。
しかし、大学受験の頃、交通事故の後遺症のせいで、私は今までの記憶をほとんど失ってしまい、うまく発揮できませんでした。生物研究なんて、できるわけがないと、諦めようとしました。その時、私は御手洗さんのことについて、急に疑問を抱えました。動物実験が嫌で中退したらしいが、動物実験というやり方は、急に現れたわけではないのに、中退するまで拒絶必要はあるかなと、戸惑っていました。御手洗さんはどのように考えているのでしょう。いつも自由な彼なら、自分がそうしたいから、と考えているんじゃないかなと、勝手に想像して、勝手に勇気をもらいました。その瞬間に、一生を尽くして、生物の研究をしようと決意しました。
御手洗潔という人物、そして素敵な作品を生み出した島田さんに、感謝しきれないくらい感謝しています。ということで、本作では、島田さんの作品への感想を述べつづ、その作品の特徴を借りて、《桜の木の下》の続編を書きます。もちろん、トリックや独特な設定は借りません。
いつか、自分でも納得できるような本格推理小説が書けますように。