夜桜
吹上御庭の滝見茶屋で
熙子と家継は小一時間ほどの
御花見を堪能して連れ立って本丸に戻った。
ところが家継の夕餉が済んだ後
月光院から御花見の招待があった。
吹上の富士見茶屋に舞台を設け
薪能や囃子を催すという。
突然の招待は
月光院の家継を驚かせようとの心遣いと
恋い慕う越前と夜桜を見たい恋心を隠して。
「越前、もう夜だよ。
眠くなっちゃうかも」
家継はあまり乗り気ではない。
「月光院様からの折角の御招待ですので。
暫くしたらお戻りなされませ」
熙子と越前は
家継と月光院の微妙な親子関係を
円滑にしようと努力中。
断ればまた親子仲にも亀裂が入るだろう。
家継の結納も済み
安定しつつある幕府において
不仲説など流布しては困るのだ。
家継は中奥から
表の駕籠寄せまでの長い廊下を歩き
駕籠に乗った。
風邪気味の家継のために駕籠の中に
絹に包まれた温石を置き暖める。
夜桜の下を将軍の行列が粛々(しゅくしゅく)と
吹上御庭に向う。
富士見茶屋には煌々(こうこう)と篝火が焚かれて
火の粉の爆ぜる音が闇に溶け
舞台を臨む座敷には
料理の膳や酒が用意されていた。
「上様、ようこそお出でくださいました。
御父上様のお好きだった能と囃子を
お楽しみくださりませ。
越前殿の席も誂えましたので、御一緒に」
美しい月光院が丁重に迎え
席に着くと能が始まった。
かつて家宣自ら舞った「葵の上」を
幕府お抱えの能役者が舞う。
揺らめく炎に照らされて
闇に浮かび上がる桜と舞いの美しさ。
家継は思い出した。
熙子の膝に抱かれて見た家宣の舞いを。
父上お上手だった
一位の母上、いい匂いだった
月光院の母上に抱っこされたこと
あんまりないな
父の家宣の隣には常に御台所の熙子がいて
家継は熙子の膝に抱かれて
側室末席の月光院は、離れた席にいた。
家継は傍らの月光院をなんとなく見る。
まだ若く美しい母の尼僧姿は
子供の目にも奇妙に映った。
冷たい一陣の風が吹き尼頭巾が捲れて
月光院の髪を剃った襟足が露わになり
家継を驚かせた。
一位の母上は切り下げ髪なのにどうして
月光院の母上は御髪を剃っているの?
中奥と大奥の連絡係の御伽坊主は
おばさんやおばあさんばかりなのに
家継は皆が月光院のことを
腫れ物に触るように接する謎が
少しわかった気がした。
何かやってはいけないことを
したのだろうと聡明な家継は悟った。
家継の気持ちが沈む。
『美味しい物を召し上がると
元気になりますよ』
家継は熙子の言葉を思い出して
目に入った御膳の羊羹を一口食べた。
羊羹おいしい
甘い物たべたら
なんだか眠い
少し寒くなっちゃった
あ、ここ、御殿火鉢がない
でも月光院の母上のお誘いだから
もう少し頑張って観よう
能は将軍の仕事だって、父上言ってた
家継が健気に観賞している間に
月光院はお酒が回って
すっかり出来上がっている。
自ら杯を与えると言って
越前の席を隣に移動させた。
月光院を挟んで向こう側に家継が居る形。
越前は家継が心配だったが
月光院の気遣いも無碍にできない。
「日頃から上様に尽くしてくれて
越前殿には感謝しています。
わらわは江島を失い
この大奥で頼る人もおらず心細い。
今のわらわにとって
越前殿だけが頼りなのです。
ささ、一献」
月光院は自分の膳の杯を
越前に手渡し酒を注いだ。
越前は言われるままに杯を空ける。
「わらわにも注いでおくれ」
「はっ」
越前が月光院の杯に御酌をすると
月光院は、甘い笑みを浮かべた。
酒が進むにつれ
月光院が熟々(つらつら)と心の内を零す。
「わらわは文昭院様に
妻として愛されることなく
寂しいままです。
だから、わらわの女としての寂しさを
越前殿にはわかって欲しいのです」
「はぁ」
越前は困惑した。
人の心を機敏に察っする越前はとうの昔から月光院の越前への恋心に気付いていたが
躱しながら此処まで来た。
命を捧げて仕える家宣と家継を裏切る不義密通など御免である。
それに越前は亡き妻お園だけを
今でも変わらず愛している。
越前はお園の遺髪が納められた守り袋を
懐のなかで掌に包んだ。
だが従三位月光院の
酒の席の御相伴は断れない…
これも仕事と諦める。
許せお園、仕事だから我慢してくれ
越前は心の中でお園を宥めた。
越前は酒が飲めない。
下戸の宴会対策技を駆使し
此までのように月光院の恋心を躱すべく
月光院の杯に酒を注ぎ続ける。
月光院が酔い潰れたところで
月光院専属の女中達や御用人達が大勢いて
介抱するから何の心配もない。
越前はちらちらと家継の様子を確認するが
ついに家継が舟を漕ぎはじめた。
「月光院様、御免」
越前は家継に駈け寄った。
家継の体が冷えている。
越前の顔色が変わる。
「月光院様、
上様の御就寝の御時間にございますれば
これにて失礼つかまつりまする」
「えっ?待って…」
越前が羽織を脱ぎ
家継を包んで抱き抱え、駕籠に急ぐ。
越前の迅速な判断と行動に
酔った月光院は反応できずに置いてけぼり。
月光院と女中達は座ったまま
ぽかんと見送る。
遠離る越前の後ろ姿に
月光院は寂しさと黒い絶望感に襲われた。
どうしてこうなってしまうの?
父の文昭院様に似て
「ととぽむ」と能の真似事をするほど
能が好きな上様を喜ばせたかったのに…
櫻田御殿の頃から
越前を恋い慕っていたのに…
文昭院様がいない今
やっと想いを伝えられると思っていたのに
側室として妻として
愛されなかった寂しい身の上の私を
越前は長年支えてくれた
美しい越前に心と体を愛して欲しい
満たして欲しい…
愛されたいと思うことは罪なの?
私は唯一人の女として
誰にも愛される事なく
一生を終わるというの?どうして…
月光院の心を焦燥と渇望が苛む。
「田中、これを持って帰れ」
越前は駕籠の中の冷めた温石を
側に控える小姓の田中の両手に
ぽいと手渡し駕籠に乗り込んだ。
家継を越前の体温で温める。
本丸の玄関から中奥の御休息之間まで
家継を抱いたまま速足で運ぶ。
部屋に入るなり越前の命令が飛んだ。
「急ぎ火鉢で部屋を暖めよ。夜具も」
部屋が暖まると
越前自ら家継の羽織と袴を脱がせ
温めた夜具の上に寝かせた。
眠っているが
時折、咳をする。
越前は気が気ではなく
一晩中、家継の傍にいた。
越前の心配は的中し
翌朝、家継に風邪の症状が出始めた。
昨日の昼には元気だった家継が
風邪を引いたと聞いて
熙子は驚いて中奥に見舞う。
月光院が子供の家継を
夜の吹上の酒宴に呼んだと聞かされ
愕然とした。
「申し訳ございませぬ」
越前が畳にめり込むばかりに平伏し
手をついて熙子に謝る。
「従三位の月光院に招かれれば
其方は無碍にはできぬでしょう」
従三位の位は月光院に荷が重過ぎたと
熙子は後悔している。
豊原の話では越前は最善を尽くしたと言う。
家継は病弱なのに…
月光院の至らなさに溜息が漏れる。
熙子は眠っている家継のおでこに
そっと手を当てた。
幸い、微熱のようでほっとする。
少々の咳で済んでいるし食欲もあるという。
熙子の香の匂いに気づいて
家継が目を覚ました。
「母上いい匂い」
熙子が微笑みながら家継の手を撫でる。
「上様、お鼻は大丈夫ですね。
安心いたしました。
ちゃんと寝ているのですよ」
「うん、母上ここにいてね。
ご飯食べさせて」
「はい」
控える越前に視線を移すと
目の下の隈が酷い。
「越前、暫く下がって休むがよい。
わたくしは隠居の身だから遠慮は無用。
ここにいますから安心なさい」
「忝うございまする。
上様、では後ほど参りまする」
「うん。後でね」
家継は越前が部屋に下がるのは淋しいけど
幼心にも顔色が悪い越前が心配。
それに熙子は誰よりも
家継をわかってくれているのを知っていた。
熙子からすれば家継は長年連れ添った家宣に
体質も好みもそっくりで看病の方法も同じ。
家宣が風邪を引くと
熙子が看病するのが習慣だった。
大の世話好きで子供好きの熙子は
家継に玉子粥を食べさせ
白湯や薬を飲ませそっと顔を拭いてあげ
物語を読んで聞かせ
紅葉のような小さな手を
袿の袖で包んで寝かしつける。
熙子が数日通ううちに
家継の風邪は一旦落ち着いた。
華やかに咲いていた満開の桜は
淡い葉桜になっていた。
月光院は家継を夜の花見に連れ出して家継は風邪を引いたと言われています
生来病弱な家継は
亡くなる前年夏にも二月ほど体調を崩していました
家継の全快祝いでは男性の側近が労われているので、その頃には中奥に住居を完全に移して
男性陣が看病していたものと思われます
また全快祝いの品々を熙子や月光院は贈られており、熙子はプラス銀二百枚を贈られていて熙子が中奥で看病に参加していたことを窺わせます
熙子は家継と養子縁組をしておらず
実母の方が法的にも繋がり深いそうです
月光院から回復祝いの品々を家継に贈っています
当時は出自や官位が重要視されていましたが
内々の贈答の記録からは熙子が遠慮し、月光院は時に序列や慣例を破るような品を贈っています
例えば、熙子が菖蒲兜や破魔矢二つを贈っていますが月光院は三つ贈っていたり
例え熙子や越前に勧められても
月光院は遠慮して控え目にしなかったのね、と
贈答品から月光院の人柄が垣間見えます
将軍生母として月光院は
吉宗の生母お由利の方と人柄がかなり違うので
歴史は面白いです
また熙子は世話好きだったらしく
お由利の方とも吉宗の息子である九代将軍家重とも仲が良かったようで家重は隠居後、大御所住居の西の丸ではなく、祖母お由利の方と熙子終焉の地の二の丸に住んだそうです
熙子が危篤の時、吉宗と家重は二の丸に連日通って看病しています
老中達や若年寄など重臣達も二の丸に伺候しており、吉宗時代も熙子は幕府の重鎮でした
一方、月光院の危篤の時はというと
既に前年吉宗は亡くなっており
月光院が危篤になっても家重は見舞わず側近に病状を尋ね、月光院の希望で家継を産んだ西の丸の山里を最後の地とさせたようです
山里の館に移ったその日の内に月光院は亡くなりました
月光院は家重廃嫡運動に参加したといいます
熙子は遺言で体の不自由な家重ではなく、健康な弟の田安宗武を将軍に推し月光院に託したから、とする説があります
しかし、家重は庭や植物を好み
妻の比宮と隅田川を舟で遊覧デートをし(家宣は舟好き)熙子の得意だった将棋も強く(家重は熙子から将棋の手ほどきを受けた?)
熙子を二の丸で饗応したり危篤の時は看病に通い、亡くなると濱御殿を訪れ隅田川を下り深川で相撲を観覧して熙子と比宮を偲ぶかのような行動をしているのです
徳川実紀に記されたこの事からも熙子が廃嫡の遺言など月光院に託すはずは有り得ません
熙子は家重の有望な資質を見抜き将来の将軍として家重の教育の一端を担ったものと推測できるのです
月光院の廃嫡運動は、熙子の吉宗将軍擁立を踏襲したかったのだろうと
月光院は熙子を嫌っていながら熙子のように幕府に君臨したかったのだろうと
月光院の屈折した内面が窺われ何とも言えない気分になります
熙子は家重の将軍就任を望んでいたはずで、家重も熙子の気持ちをわかっていたでしょう
なのに、月光院は熙子が亡くなり何も言えないのを良いことに熙子の名で家重廃嫡運動をしました
家重がどれ程傷ついたかと思うと胸が痛みます