表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/11

花見

梅の花が咲き誇る頃


幼将軍 家継と

皇女 八十宮(やそのみや)の婚約が成立した。


「世が結婚するの?

 父上と母上みたいに?」


まだ六歳の家継は

結婚の意味もよく分からず

不思議そうに熙子を見上げて聞いた。


「はい。御父上様のように

 八十宮様を大切に仲良く遊ばしませね。

 でも八十宮様もまだ三歳なので

 御祝言は数年後でございますが」


熙子は家継を優しい目で見つめると

少し寂しそうに告げる。


「この御台所御殿は

 上様の御台所になる八十宮様にお譲りして

 わたくしは桜の咲く頃に

 西の丸へ移りまする」


家継は驚いて寂しそうに

熙子の袖にしがみついた。


「母上と会えなくなっちゃうの?」


熙子は安心させるために

家継の小さな手をもう片方の袖で包む。


「上様のお好きな時に

 何時でも西の丸にお出でくださりませね。

 それに、もう少し八十宮様が

 大きくなられたら江戸に下られます。

 西の丸の大奥で

 わたくしが御祝言のその日まで

 八十宮様を御世話差し上げますゆえ

 遊びにおいでなされませ」


「本当?母上が八十宮と住むの?

 西の丸に、いっぱい遊びにいくね」


家継の少し安心した様子に

熙子もほっとする。


「はい、お待ちしております」


熙子も家継を残していくのは

後ろ髪を引かれるようで淋しいが

家継の御台所が決まった以上

大御台所である熙子が

何時までも御台所御殿に

居座る訳にはいかない。


西の丸も家宣と熙子が本丸に移って以来

主がいない。


家宣が世継時代に

丹精込めて造った懐かしい庭や御殿に

もう一度戻れる。


それに月光院は相変わらずで

江島達の代わりに

京から呼び寄せた公家出身の上級女中達にも

江戸風に振る舞うよう強いていた。


将軍の綱吉と家宣が

幕府と朝廷の円滑な仲を願い

表と大奥を京風にしたのに

その将軍達の思し召しを蔑ろにしたまま。


江島事件後も態度を改めず

反省などしていない。


御歳暮の品の白銀さえ

朝廷の官位と幕府の序列を蔑ろにした。


熙子は月光院にうんざりだった。


西の丸に移れば

月光院の顔を見なくて済む。


やっと心静かに余生を送れるし

八十宮の世話をする未来は

熙子の気力を保たせた。


生後間もなく亡くした豊姫にしてあげたかった事を、八十宮にしてあげられると思うと

心に空いた寂しさを埋められるようで

待ち遠しい。


姫宮に相応しい部屋の調度品や

衣装を整えたりと忙しい日々になりそう。


熙子の頭の中は

花の襖絵や可愛らしい几帳の誂えなど

沢山の考えで溢れていた。



その日の宵

大御台所御殿の簀の子縁に御殿火鉢を置き

透明な家宣は腕の中に熙子を抱いて

春の夜の梅見を楽しんでいた。


熙子の父の太閤の指南で

家宣の日常着は公家風の道服姿

熙子も普段着の袿姿。


夜空には満月が美しく輝いている。


熙子は月を見上げて

産んで直ぐに空に戻った

豊姫や夢月院達に思いを馳せた。


熙子が家宣に問う。


(極楽では、

 豊姫や夢月院達はどうしておりますの?)


家宣は苦笑しながら

ゆったりとした袖で包むように

胸の中に熙子を抱いて耳もとで囁く。


(夢月院は長男らしく

 家千代達を統率して面倒をみているが

 豊姫は、そなたが家継の世話を焼く度に

 焼き餅を焼いて荒ぶっている。

 わたくしの母上から離れなさいよ!!!ー、と

 世の膝の上でな。

 豊姫は世に似て焼き餅焼きゆえ)


(わたくしだって

 豊姫を可愛がってやりとうございます。

 髪を梳いてあげたり膝に抱いて物語を

 読み聞かせとうございます。

 早く文昭院様と同じ姿になりたい)


熙子はそう言うと家宣の懐に深く潜った。


家宣は苦笑したまま。


(そなたは、まだまだ此方(こちら)

 やることが山のようにある。

 世がこうしてそなたの側にいるのも

 そのためゆえ、辛いだろうが我慢いたせ)


熙子は豊姫を思うと胸が張り裂けそうだけど

家宣の胸に更に深く沈んで頷いた。


家宣は熙子を胸に包んだまま

頬擦りをして肩を撫で慰める。


家継は熙子にとっても我が子。


徳川のため国のために

尽くさねばならない。


熙子は家宣の懐から顔を覗かせ

月を見上げる。


梅の花が

ひらひらと月夜に舞い零れた。



時が流れ

桜咲く江戸城。


吹上御庭では年中行事である御花見が

賑やかに催されている。


広い芝生の上には

お汁粉屋や団子屋

小物屋などの模擬店が軒を連ね

設えた舞台では女中達が芝居を上演

桜の木の下に薄縁(うすべり)毛氈(もうせん)を敷いて

着飾った大勢の女中達がさんざめく。


熙子は西の丸へ移る準備も整い

御花見が終わり落ち着くのを待つばかり。


女中達は交代で吹上御庭の花見に行かせて

大御台所御殿はいつもより静か。


熙子は大御台所御殿の簀の子縁に座り

壮麗な庭の桜を眺める。


築山に懸かる三段の滝に

優美に伸びる桜の花々の美しさ。


透明な家宣の腕の中だけれど

この庭の桜を愛でるのも

今年が最後と思うと胸が熱い。


(名残惜しかろうが

 西の丸の桜も美しいゆえ)


家宣が腕の中の熙子を慰める。


(文昭院様が

 外出のままならない御台所のために

 お造りくださったこの御庭が

 愛おしいのですわ。

 やがてこの御殿の主となられる

 八十宮様のお心も癒やされましょう)


(そうだな)


そう言う家宣は何処か悲しそうで

熙子は胸騒ぎを覚えた。


心配に思った熙子が

透明な家宣を見つめていると

渡り廊下を走る音と共に家継がやって来た。


家宣は気配を消す。


縁側に座っている熙子の手を

家継が引っ張った。


「母上どうして吹上に来ないの?

 一緒にお花見したい。迎えに来たよ」


「まぁ、上様ったら。

 急にお出でになられて…

 越前が慌てたのではありませんか?

 でも上様、御自(おんみずか)らのお誘い

 わたくし嬉しゅうごさいます」



家継の婚約で

けじめを付け一線を退いた熙子は

吹上に行くつもりはなかったが

女中達が気を利かせてくれており

花見の準備は万端。


直ぐに駕籠に乗り吹上御庭の滝見茶屋で

家継と共に花見をする。


開け放した窓から見える桜はどれも

家宣と共に見た頃よりも

大きくなっていた。


「母上、桜きれい」


「誠に、美しゅうございますこと」


満開の桜に見蕩れる。


春とはいえ、風はまだ冷たい。

家継が寒くないように

御殿火鉢の置かれた暖かい部屋で

親子並んで桜を愛でる。


熙子の好きな桜餅を

越前が用意してくれていた。


「母上、どうぞ」


家継が可愛い声で葵の紋の黒い漆塗りの重箱に上品に盛り付けられた薄紅色の桜餅を

熙子に勧めてくれる。


ついこの間まで

熙子から御菓子を食べさせて貰っていた

家継の成長に熙子と越前は胸を打たれた。


家継と桜餅を食べ愛でる桜は

忘れられない思い出となった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ