白銀十枚 白銀五枚
家継と八十宮の婚約が内定した年の暮れ。
千代田の城では
御歳暮の交換が繰り広げられていた。
月光院は後ろ盾でもあり先々代将軍側室の
瑞春院に白銀十枚を
大御台所の熙子に白銀五枚を贈呈。
そのお歳暮の白銀五枚を熙子に届けるため
華麗な大御台所御殿に
将軍付上臈御年寄 豊原が参上した。
熙子は紫色の優美な茵の上で
御殿火鉢にあたっている。
そして熙子の隣には
家宣の褥と脇息と御殿火鉢が置いてあり
透明な家宣がそこにいるが
勿論、その姿は熙子にだけに見えている。
熙子の隣の空席は奇妙に見えるだろうが
家宣と熙子の仲睦まじさを知る
熙子の侍女達は不思議にも思わない。
熙子の前に豊原が恭しく
三方に載せた白銀五枚を献上した。
「月光院様より御歳暮にござりまする」
「大義」
熙子がはんなりと労うが
豊原の美しい顔が曇っている。
熙子は日頃有能な豊原のただならぬ様子を
怪訝に思い優しく問いかけた。
「豊原、なにかあったのでしょう?
如何した?」
「それが…
申し上げ難いのでございますが
月光院様は瑞春院様に
白銀十枚を贈られたとの
ことにござりまする」
熙子や部屋にいる女性たちがみな
三方に載せられた白銀五枚に注目する。
大御台所付御年寄 花浦が
ぽつりと呟いた。
「間違いでは?」
豊原が困惑を含んだ声で答える。
「わたくしも手違いではと
越前殿に問うたのですが
そうではないと」
上臈御年寄 秀小路も解せぬ思いを呟いた。
「有り得ぬことにございます。
月光院様はお気は確かなのか?」
熙子の部屋の面々は顔を見合わせ
一呼吸置いた後、みな一様に溜息をついた。
とうとう月光院が隠していた(つもりの)
熙子への屈折した気持ちを
あらわにし始めたのである。
皇女の降嫁が決まり
最早、熙子は用無しと宣言したのだろう。
花浦が念の為に確認する。
「これは月光院様からの
一位様への戦線布告…
ということでしょうか?」
豊原も諦めた声で呟く。
「誠に残念ながら」
熙子に仕える京の姫達は
ただ呆れて口元に扇を当てながら
一斉に溜息をついた。
「はぁ…」
瑞春院は
先々代将軍綱吉の側室で官位はない。
熙子は先代将軍家宣の御台所であり
朝廷から女性最高位の従一位を賜っている。
将軍の官位は正二位。
熙子の官位は将軍より上である。
月光院はその最高位の熙子を
無位の側室より軽く扱ったのだ。
家継は朝廷より将軍宣下を受け
将軍の座にいるというのに。
そのうえ家継の元服後の名前を
家宣が決めないまま亡くなったので
熙子の実の叔父である霊元院が御自ら
家継の名を直筆で書いて贈ったのに。
白石のたっての提案を受けて
熙子が特別に口添えして朝廷より
将軍生母の月光院に従三位の官位と
その後の月光院の失策である江島生島事件の
家継の権威失墜を挽回すべく根回しして
将軍と皇女との史上初の婚約が叶ったのに。
熙子は自分が軽んじられた事よりも
家宣や家継、引いては朝廷が
軽んじられたことが許せなかった。
月光院はその行為が
将軍と朝廷の威光に傷を付けたことに
気づいてさえいないだろう。
何度やれば気が済むのか…
この波紋はいつか家継を
徳川を襲うことになる。
熙子の隣で透明に見守っている家宣は
月光院から繰り返される
最愛の妻熙子への攻撃に怒り狂い
白い炎に包まれていた。
月光院の贈った御歳暮が
熙子に白銀五枚
瑞春院に白銀十枚を贈った話は
瞬く間に老中達の知るところとなった。
老中筆頭土屋相模守が
老中控えの間で
のんびりと茶を啜りながらぼやく。
「珍妙ですなぁ。
月光院様の白銀五枚と白銀十枚の件」
隣にいる久世大和守も
月光院の常識のなさに思わず相槌を打つ。
「聞きましてございまする。
越前殿の進言をお聞きにならなかったと。
一位様に後ろ足で砂をかける行為に
ございまするな」
「誠に。もはや月光院様には
誰もついて行けぬ。
家を潰したくはないからのぅ」
阿部豊後守も一言。
「江島事件では家が幾つ潰れたことやら。
不吉にございまする。
やはり我らがお支えするのは
一位様にございまするな」
月光院は
霊元院と熙子の父の太閤が犬猿の仲と聞き
熙子も疎まれていると思い込み
これで月光院が優位になったと考えている。
だが、実は親戚で幼馴染みだからこそ
肉親の甘えと遠慮のなさが
外から犬猿の仲に見えているだけ。
月光院の侍女達は宮中の深い関係を
月光院に教えないのだろう。
霊元院は可愛い姪の熙子の頼みだから
手中の玉の八十宮の降嫁を許した。
熙子が天皇や霊元院と親類であり
太閤の娘だからこそ家継は熙子の息子として
朝廷から厚く遇されている。
朝廷や幕府は序列で成り立っている。
月光院の度重なる
政治感覚のなさと浅はかさに
老中達は危機感を募らせた。
越前の日記『間部日記』に
月光院が御歳暮に
瑞春院に白銀十枚
熙子に白銀五枚を
贈ったと記録があります
熙子の父近衛基熙の日記『基熙公記』に
月光院は傲慢で評判が悪いと
書き記していますし
他の文献にも同様の記述があることから
マイルールを貫く変わった人だったと思われます
文学やドラマの月光院のイメージが
ガラガラと崩れました
ですから史実のイメージで書いてます
家宣は筋金入りの御所好みだったので
月光院とは相性が良いはず無いのですよね
家宣と熙子は文学と庭好きが一致しています
間部日記には月平均5回の
吹上御庭の記述が残っています
時間があれば御庭デートをしていたようでした