番外 曽鷹の縁切り鋏
曽鷹風土記 抜粋【曽鷹の縁切り鋏】
昔々、曽鷹の里にお遠と呼ばれる、機を織る織り子の美人な女がおった。
冬のうちに機織りをしながら、町の問屋に正絹の反物や紬の反物を卸して生活をしておった。
お遠の作る反物はたいそう評判が良く、正絹は位の高い者に、紬は庶民に高く売れ、忙しく働いておったそうな。
ある日のこと、お遠の財と容姿に一目惚れした一人の男がおった。
男の名は庄之助と言い、曽鷹の里で米を作っておったのだが、庄之助は意地の悪い男で強欲な男であった。
「我こそは、お遠の夫に相応しい者なり!」
と、庄之助はお遠に嫁に来いと申したが、
「おんしに染められる愛など、ありませぬ。」
と断ったそうな。
それに怒った庄之助は草刈り鎌を手に持ち、お遠を襲いに向かった。
お遠は必死に抵抗したが、首を鎌で刎ねられて死んでしまったそうな。
庄之助はお遠の織った反物を持ち出し、そそくさとその場を逃げ出した。
町で反物を売り、自身の財にしようと思ったのだ。
その道中、暗い峠道を走る庄之助は、これで財が出来ると嬉しそうにしていた。
「あの女、逆らうからこうなるのだ。俺の話を受け入れていたら、こうはならなかったのにな。」
たったっ じゃり たったっ じゃりじゃり
たったっ じゃり たったっ じゃりじゃり
月の照らす夜道、庄之助の走る足音と砂利の踏む音だけがこだまする。
たったっ じゃり たったっ じゃりじゃり
たったっ じゃり しゃり たったっ じゃりじゃり しゃり
たったっ じゃり しゃり たったっ じゃりじゃり しゃり
たったっ しゃり しゃり たったっ しゃり しゃり
ふと、庄之助が気が付くと、しゃりしゃりと何か音が聞こえる。
そのまま走っていたが、次第に音が大きくなってきているようだった。
しゃり
しゃり
しゃり
しゃり
それは、まるで絹を擦るような音であった。
それは、蚕が桑の葉を噛み切るような音であった。
それは、金属と金属が擦れる音であった。
しゃり
暗い夜道、聞こえる音は砂利の音と足音だけのはずなのに。
段々と恐ろしく思った庄之助は、さらに急いで走った。
しゃり
しゃり
しゃり
しゃり
近付く音はとうとう彼の背後まで迫り、庄之助は恐ろしさの余り後ろへ振り返った。
だが…そこには誰も居なかった。
先も見えぬ暗がりに、人など居るはずもない。
ましてや金物を持った者など、居るはずもないのだ。
安心した庄之助は、また前を向いたのだが……その眼の前では奇っ怪な事が起こっていた。
糸切り鋏が、宙に浮いていたのだ。
四寸程の糸切り鋏には、七宝文様に刺し子が刺された藍染の布が丁寧に巻かれており、黒黒とした鉄の刃先は銀に鈍く月明かりを映す。
その鋏に、庄之助は見覚えがあった。
それは、お遠が大事に使っていた糸切り鋏だったのだ。
「ひぃいいいい!!!お助けを!お助けを!」
と、庄之助は悲鳴を上げ、腰を抜かし尻もちを着いた。
そして恐怖の余りに、手に鎌を持ち振り回したが、糸切り鋏にはついぞ当たらなかった。
「お恨み申すぞ、庄之助…。」
地の底から響くような女の声が聞こえたかと思うと、糸切り鋏が不意に消える。
じょきん
そう何かを切る音が聞こえ、庄之助は地へ倒れ伏したそうな。
庄之助の喉笛は鋏で切られた様になっており、切り口から血が絶えず流れ出たらしい。
翌日、庄之助は里の者に見つけられたが、既にこと切れていた。
片方の腕には反物を何本も抱え、もう片方の腕は赤黒く乾いている鎌を手に持って……喉がかき切られた無惨な姿であった。
その傍らには、あの糸切り鋏が綺麗な姿で落ちていたという。
反物を見た里の者はそれをお遠の作った物だと気が付き、急いでお遠の家へ向かったが、首と胴体が離れたお遠が居るばかりであったそうな。
なんと面妖で不可思議な事かと恐ろしく思った里の者等は、庄之助の傍らに落ちていた糸切り鋏を曽鷹神社で祓い清め、他の者を祟らぬ様に末社を作り祀った。
すると、いつからかそこで縁切りを願うと、悪縁を断ち切ってくれるらしいと噂が広まっていったそうな。
噂はいつしか真となり、悪い縁がするすると切れる霊験あらたかな社と成った。
今では、御糸切社は悪縁を断ち切る縁切りの社として親しまれるようになり、曽鷹神社もまた縁切り神社と呼ばれる様になっていったとさ。
めでたし めでたし