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スエのカミ  作者: 樫花藻
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第三話 縁切り神社の縁切り鋏(三)





 白糸が幾重いくえにも重なる薄絹の如き朧雲おぼろぐもが、澄んだ紺碧の蒼天を春風に乗ってたなびき、ゆるゆると暖かな陽光をこちらに与えてくれていた太陽が西へ西へと傾いていく。

段々と過ぎてゆく時の流れと共に梔子くちなし色へ染まる白光が、この【曽鷹そたか神社】に滞在出来る刻限があとわずかかだと急かしてくるかのようだった。

黄昏たそがれに染まる陽光を花弁へ透かし取り込み、淡紅色よりも淡い桜の花々がなんとも神々しく輝き、末社まつしゃへの道を歩いていた直幸は留めそうになる足をなんとか動かす。


 美しく咲き誇る桜を眺めながらゆっくりと歩いていた一人と一体は、同じく桜を見上げていたはずの彼女にふと呼び止められた。


「もし、そこな歩いとる人ら。ちょいと待っとくれ。」

「えっと、どういたしました?」

「なんやらにぎやかなんに忌々しい気配がだだようとると思うたが……おんしら、【みしぎりさん】に参りにいりゃあしたんか?」

「あ、はい!そうです。……えっと、俺達の事をずっと見てたけど……貴女は一体?」

「あっし?あっしはこの【御糸切社みしぎりしゃ】に祀られとる付喪神よ。さっきからおんしらを視ていたのは、大層穢れかけた付喪神が人間に憑いとるなんて珍しいからねぇ。つい見ちまったのさ。」


 【御糸切社】に祀られている物の付喪神だと告げた藍染の着物の女性は、ついと右肩で長い翡翠ひすい色の尾を揺らすハクバイをジッと見やるが、穢れかけたと評された彼は平気そうに目を細め見つめ返していた。


「まぁ、おんしらの願いや望みは後で聞くから、先に末社へ御参り行きやぁ。引き止めて悪かったね。」

「あっ、はい!!お参りしてきます!」


 ヒラヒラと左手で袂を抑え右手で手を振る女性に、直幸は「ちょっと失礼します!」と軽くお辞儀をして彼女の横をすり抜ける。


 白木で出来た風雨の影響で古びた小さなやしろが並ぶ中、【御糸切社】と木札が着けられたその末社の前に彼等はたどり着く。

錆びて青銅色に変色している銅板葺どうばんぶきの屋根の下、御神体の納められている閉じられた扉の前には小さな賽銭箱があり、その奥にはワンカップの日本酒と瑞々しい蜜柑等の果物がお供えされている。

とても信心深い人々が定期的にお供えして、末社の周りも手入れしているのだろうと直幸は思う。 


(俺の縁切りもよろしくお願いします……!)


 願いを込めて賽銭を箱に入れ、二拝二拍一拝を終えると、いつの間にか着物の彼女が直幸の隣に立っていた。


「そんで?おんしは、そのおんしに憑いとる付喪神との縁切りを望みやぁすか?」

「えっ、こいつを祓えるならそりゃあお願いしたいけど…………。」


 直幸は期待を込めた視線を彼女に向けると、ハクバイは思わず彼の頭をペチンと叩く。


「違うわ、たわけ者!!!そなたが今日ここへ訪れたのは、働き先の悪縁を切りに来たのだろう!?」

「俺はお前との縁も切りたいんだけど………。そうすれば、存在の縛りみたいな物も無くなって、俺はやろうとしていた事も出来るはずだし。」

「そなたは諦めが悪いなぁ………〈許可なく死ぬ事を禁ずる〉と、何度も言っておるのだが?」


 ハクバイは自分に対して縁切りをしたいと不満をこぼす直幸へと再び頭をペチペチと軽く叩くが、受けている彼はわずらわしげに頭を傾けて可愛らしい抗議から逃げようとしていた。

 そんな様子を呆れながら眺めていた【御糸切社】の付喪神は、その二人の攻防を止める為に声をかける。


「あっしはおんしらについて何も知らんが、話し合いは終わったかい?そこの人間に絡みつく悪縁を、切り祓う事が望みなんやら?」

「うむ、そうだ。お待たせしてすまぬな。」

「話がまとまったんなら良いさ、構やしないよ。」


 気にすることは無いと笑った女性は、目を細めて過去を思い起こすように呟く。


「……それにしても、穢れはあれど付喪神と人間の組み合わせで、しかもあっしと話せるなんて初めての事だねぇ………永く現世に居続けてみるもんやねぇ。」


 産まれた時代はまだ物の怪がそこらに潜んでいると噂されていた時代だったが、付喪神と成った後も祀られた後も似た存在に出会った事は彼女には無かった。

 初めて出会った出来事に感慨かんがい深くしみじみとした声色に、直幸はふと思った事を聞いてみることにする。


「……貴女はずっとここに居るのか?書き込みの情報だと、殺された持ち主の無念を思って復讐を果たした糸切り鋏が祀られてるってあったけど……。」

「『復讐を成し遂げた糸切り鋏』なのは間違いじゃなぁが、それが全てじゃあ無いって感じやら。でも江戸に公方様くぼうさまがいんしゃった時から、あっしは此処で時の流れを見守っとるよ。」

「凄いな……。」


 直幸自らの右肩に居る『窯を守る付喪神』然り、目の前に佇む『【御糸切社】の付喪神』然り、最近出会った存在がことごとく永遠に近い長い時間を過ごしている。

百年前の事でさえ体験したことが無い直幸には、この現実と言う彼にとっての地獄をずっと見続けている彼等へ、純粋に「凄い」と畏敬いけいの念を抱いていた。


 直幸がそんな感想を抱いている間に、付喪神の女性は何も無いはずの空間から取り出した糸切り鋏を右手に構える。

十五センチメートル程の大きさのそれは、女性が着用している着物と同じ、藍染めされた生地に七宝模様が刺し子された布が、柄の部分に巻かれていた。

 黒鉄くろがね色の刃は黄昏に傾く光をキラリと鋭く反射し、直幸はついその刃先を目で追ってしまう。

彼女はその視線を気にも留めずに、直幸へと縁切りの開始を告げた。


「はてさて、じゃあ切らせて貰おうかね。」

「お、お願いします………!」


 直幸の声を皮切りに、彼女はスッと瞳を閉じる。

じっと動かなければ良いのか、何かをした方が良いのか、どうすれば良いのかわからず直幸が戸惑って手持ち無沙汰ぶさたになっていると、気がつけばハクバイが肩から降りて二メートル程、直幸から距離を取っているのが視界に映った。






 一陣の風、桜の木々が揺れる。






 その風は徐々に彼女の周りを吹き荒び、範囲を広げていく。


「うおっ!?」


 旋風つむじかぜみたいに巻き上がる風が桜の花弁と共に直幸を呑み込む瞬間、彼は思わず目蓋を閉じて右腕で思わず顔をかばう。


 瞬間、右手首に燃えるような熱さを感じ、次に全身が締め付けられる感覚が生じて痛みから直幸が目を開くと、光を反射もしない漆黒の糸が身体中に巻き付いて彼を縛っていた。

重点的に糸で縛られているのは首や足と左腕であり、皮膚や着ている衣服の色さえ確認できない。

 しかし、右腕は手首に付いている紅く煌々と燃える炎の帯があるためか、黒い糸はそこを避けているのか巻き付いていない。

黒い糸は張り詰めている訳ではなくユラリユラリと辺りに揺らめいているが、途切れてさえ見える糸の先には悪縁がある相手に繋がっていると直幸はなんとなく思う。

それ程までに重くねばついた不快感を、黒い糸に近い場所から直幸は感じ取っていた。


「な、何だこれ……!?」


 直幸は思わず左手で炎の帯を掴もうとするが、指先にかすりもせずにくうを切る。

その慌てた様子が面白かったのか、ハクバイはケタケタと笑っていた。


「お、そなたもこれが視認出来たか?可視化されて確認出来るように有ると、何とも言えぬのよな。そなた、不憫よなぁ……。」

「これ、触れないんだが!!?」

「危害を加えられている訳ではあるまいに、少し落ち着くがよい。痛くも苦しくも無いだろう?」

「そうは言っても、こんなに巻き付かれてたら怖いもんは怖いって……!」


 得体の知れない黒い糸が大層恐ろしく、彼は顔を青褪めながら糸を掴もうとする。

一人と一体の愉快な会話を聞いていた女性は、自分の役割を全うすべく手に持っている糸切り鋏を身体の前に構えた。


「これより悪しき縁を切り結ぶが、本当にいいんやら?」

「……良い。よろしくお願いします!」

「ん、承知した。」


 ニッと勝ち気な笑みを浮かべる彼女に直幸は、見惚れて不安だった気持ちも何処かへと飛んでいってしまう。




シャリ




 何処からか聞こえる金属と金属が擦れる音が一音、神社の境内に響き渡る。




シャリ


シャリン


シャリ


シャリン


 続けて四度同じ音が聞こえたかと思うと、シャキンッと糸を切ったと思われる音が空間を満たす。

何処を見渡しても物理的に糸は無く、あるのは摩訶不思議な力によって現れた黒い糸……悪縁だけだった。


シャキン


シャキン


 小気味よく聞こえる『糸切り』の音は直幸にとっても耳障り良く、一つ響く度に一つ心と身体が軽くなっているように感じていた。

実際に彼に巻き付く黒い糸は数を減らし、彼から離れた糸の屑はフワリと空中に浮かんでは周囲へ溶ける。


シャキン


シャキン


 彼女が糸切り鋏を持つ腕を一振り動かすと、腕の動きによってひるがえる藍の袖に、ヒラリヒラリと桜の花弁が共に舞い踊る。

その光景は付喪神……『縁切りの神』に形容するものでは無いのは重々承知だが、神に祈りを下げる神楽舞かぐらまいのようであると、光景に見惚れながら彼は思うのだった。


シャキン


 数分後、舞うように縁を切っていた彼女は動きを止め、再び糸切り鋏を前で構えた。


「これで仕舞しまいやら。」


 そう彼女は言い放つと、指を握り鋏を閉じる。





ジャキンッ!!!!!





 厚い布の束を切ったみたいなくぐもった重い音が辺りに響いたかと思うと、右手首の炎を除いた見えていた全ての黒い糸が消えていた。

呆然と両手を眺めていた直幸は手首の炎も消えた途端とたん、フッと足の力が抜けて尻餅しりもちをついてしまう。

地べたに座り込んだ直幸にハクバイはぴょこぴょこと近付き、彼の近くに寄って来ていた縁切りの付喪神へと言葉をかける。


「これが【御糸切社】に祀らう神の権能けんのうであるか……うむ、良きものを見せてもらった。」

「いうて『縁切り』やからねぇ、余り見ていても縁起のいいもんって訳じゃないがね。」

「いやいや、これもまた神技であるゆえ。我が身とは異なる付喪神……それも『縁切り』の妙技を見れたのだ。礼を言わずにはいられぬな。」


 と、キラキラとした瞳で彼女を見つめるハクバイに、少し照れながら付喪神の女性は頬を掻いていた。


「ほやか?まぁ、おんしが満足ならええやら。……それで、そこな人の子。」


 立ち上がって尻に付いた砂埃すなぼこりを落としていた直幸は、急にこちらへ話を振られて驚き、思わず肩を揺らして返事をする。


「えっと、はい!!!」

「こんで全部、悪縁は切り祓えたんよ。まぁ現状の分ってことになるやら、今後に結んだ縁が悪縁である可能性は十分にあるのはわかってほしいさね。」

「それは……今のところ、俺の未来なんてわからないし大丈夫です。」


 しっかりと一つ頷いて、直幸は思う。

どうしたって未来は不確定で未知数なのだから、事前に予想して悪縁にならないように動いたって人間の心は何時でも変容する。

一例を挙げるならば………きっと、自分の実母や再婚相手の娘が当てまってしまうのだろう。

 身内が自身にとってとことん危ない存在なのだろうと思い至った直幸は、気持ちが一瞬暗くなるが、彼女へ縁を切ってくれた事に対する礼をまだ伝えていなかったと思い出した。


「えっと、【みしぎりさん】。今日はありがとうございました!!」

「うむ、我が身からも礼を。此度はこやつの悪縁切り、まことに感謝申し上げる。」


 ノシノシとしがみつきながら彼の右肩に戻ったハクバイは、頭を下げて同じく謝意を示していた。

お礼を伝えられた縁切りの付喪神は、にこりと微笑んで彼等を見つめる。


「感謝はありがたく受け取るさ……そうさねぇ、おんしらとは長く付き合う様な【縁】を感じるねぇ。」

「【縁】……?」


 今しがた縁切りの神の本領を行使した彼女に、直幸は思わず問い返してしまう。

『縁切りの付喪神』が感じる彼等との【縁】とは、一体どのようなモノであるのか……一度きりの邂逅かいこうであると思っていた直幸は、何が起こるのか疑問に思ったのだ。

【縁】と言葉を紡いだ付喪神は、いまだ手に持っていた糸切り鋏をちらりと見たのち、視線を彼等に戻す。


「今日ここで関わった事こそ、【縁】の巡り合わせさ。生じた【縁】は今だ未確定、それが良縁になるか悪縁になるかはおんしら次第しだいやが…………まぁ、長い付き合いになると思うとるよ。」

「ほぉ?長きに渡る縁となるか。たまたま此処を選び、訪れたというのに。」

「ほんに奇縁やねぇ……。」


 彼女は右手をスッと袖の中にしまい、そのまま口元を隠してクスクスと笑っている。

その所作がとても優雅で様になっていて、直幸は浮世絵うきよえの一場面に出会った錯覚すら覚えた。


「あっしとしては良縁であることを願うが……付喪神の知り合いが一人増えたと、気楽に考えるといいやら。悩み事の相談くらいは、ここに来たら何時でも聞いてあげるさ。」


 そう話す彼女に、直幸は少し驚く。

今までの人生でこんなに面倒見が良く、引っ張ってくれそうな姉御肌あねごはだの女性に会ったことがあっただろうか………彼の記憶の中にはそんな人物は居なかった。

直幸にとって身近な女性とは、直幸を屈服させて支配し理不尽や不都合を押し付ける存在の事が多い。

優しい言葉に彼が思わず感動していると、彼女は何かを決めたのか一つ縦に首を動かす。


「ほやね、せっかく対面して言葉を交わせたんだ。名前を呼ばれる時に【みしぎりさん】と呼ばれるのは、少々 味気あじけない。」


 そう話し『縁切りの付喪神』は、直幸へ顔を向ける。

しっかりと彼の目を見据える彼女の瞳は真剣そのもので、自然と直幸の背筋も伸びていた。


「……あっしの名は『おをと』。遠江国とおとうみのくにの遠いと書いて、『おをと』とかつて村の皆々から呼ばれていたやら。」

「おをとさん……?」

「そうやら。」


 『縁切りの付喪神』……曽鷹そたかのおをとは、しっかりと一音ずつわかるように名を告げた。

『をと』とは現代でも聞き慣れない言葉と発音であるが、その名前の響きは彼女に良く似合っていると直幸は思う。


「じゃあ、おんしらの名も聞いとこか。あ、そこの人の子、真名を握ってそっちの窯守の付喪神に攻撃されとうは無いから、苗字と名前全て答えなくていいやら。」

「いや、そやつに対して我が身は独占欲など湧いてないんだが??」


 とても遺憾であるという感じに、ハクバイは碧緑へきりょくの尾をブンブンと大振りに振って抗議をしていた。

その尾が動く度に直幸の背中へベシベシと当たるものだから、彼は「イタッ、痛いって!!」とハクバイを右肩から下ろそうと手を伸ばす。

しかしながら、かの付喪神はスルリと避けて左肩に移ると、高らかに自らの呼び名を名乗り上げた。


「では、我が身から名乗ろうぞ。我が身はハクバイ、洗練された美しい呼び名であろう?」

「えっ、じゃあ……俺の事は直幸って呼んでくれ。」


 加藤さんや加藤ちゃんなど苗字で呼ばれることの方が多い直幸は、ちょっと照れくさいかも知れないと思いつつも、自身を表すのならこっちなのだろうと、お遠に本名をフルネームで伝えるなと忠告されたのもあって下の名前の方を答えた。


「ほぉなるほど、ハクバイとナオユキやね。今後ともよろしくなぁ。」

「こ、こちらこそよろしくお願いします……?」

 

 胸の前で腕を組み、こちらに微笑みながら軽く頭を傾げ会釈をするお遠につられて、直幸も思わずペコリと会釈を返す。

直幸としては(今後ともよろしくするほど、縁切り神社に行く事になるのだろうか?)と疑問に思うのだが、縁切りの付喪神がそう話すのならば何か予感らしきモノがあるんじゃなかろうかと納得することにした。


 そう直幸が考えを巡らせていると、突風が一つ吹き荒ぶ。


「おわっ!?」


 ヒュルリと春の強い風が吹き、砂埃と共に桜が散ってヒラリヒラリと桜の雨が【曽鷹神社】の境内へ降り積もっていく。

風によって舞い上がった砂粒が目に入りそうになって直幸が思わず目を瞑って再び開くと、黄昏時の美しいグラデーションが目に入った。

いつの間にか時間が経っていたのか、空の色彩は澄んだ蒼色から赤みを帯びて、ほのかに桃色へ見える様にうつろう。

左肩で風に耐えていたハクバイもまた、桜の天蓋てんがいから見える夕空を眺めた。

そして彼は、ふと思い出した事を直幸へ聞く。


「そういえば直幸、帰路に着く時刻は大丈夫であろうか?」

「あっ!?」


 直幸は慌てて背負っていた黒のリュックサックからスマートフォンを取り出し、現在の時間を確認する。

その時刻はここからバス停までの距離を考えても、もう神社を出発しなければならない時間であった。


「結構ギリギリかも……!えっとお遠さん、今日はありがとうございました!」

「また曽鷹神社に来やぁ、あっしはいつでも此処におるやら。オススメとしては十一月におこなわれる祭りは、結構賑わっていて楽しいと思うんやら。」

「ふむ、祭……。」


 ハクバイは【曽鷹神社】の祭に興味があるようで、目を細めながら楽しげに頷く。

お遠の薦める祭の時期を記憶しつつ、直幸達は神社を後にすることとした。


「では、さらば!」

「さようなら、またいつか!」


 別れの言葉を告げ、彼等は歩いてきた参道に戻って帰路に着く。

鳥居を出て振り返ると、ぼんやりと光が灯った竹灯籠の参道の奥、桜の屋根に包まれた末社の近くでお遠が手を振り見送ってくれていた。

その姿にもう一度お辞儀をして、【曽鷹神社】を後にする。


 





 春の夕暮れは柔らかく、パステルカラーの桜色に染まりかけた空を視界に収めながら、道の駅までの草花の彩る道を彼等は足早に駆けていく。

それほど長く【曽鷹神社】に滞在していないはずなのだが、頬を掠める風は微かに冷たく皮膚を刺激した。

 急ぎ足のその道中、ハクバイは直幸に一つ問いかけた。


「直幸よ、我が身以外の付喪神はどうであったか?」

「……俺が出会った付喪神はお前とお遠さんしかいないから、比較とか出来ないぞ?」


 ハクバイと出会う前まで、こんな不可解な出来事に出会った事が無かった直幸にとって、比べられる対象は窯守である付喪神のハクバイと、縁切りの付喪神であるお遠と言うちょっと変わった付喪神しかいない。

お遠と関わった時に感じた感覚しか説明出来ないと直幸はハクバイに話すが、彼はそれでもよいと質問の答えを聞く。


「よいよい、忌憚きたんなき意見を聞きたいのだ。」

「えっと、そうだな……。」


 視線を空中に彷徨わせて、直幸は思い出そうと思案する。

言語化するには不思議過ぎる感覚を、どうにか表そうと言葉を尽くして話し出した。


「お前と初めて会った時にも感じたけど、この存在は『神様』だってわかるくらい、この空間と彼女に差みたいなものを感じたかな。」


 現実世界とはズレているような感覚………今、直幸が居る空間よりも薄絹をへだてた向こう側のような上部のレイヤーに有る違和感。

自分より身分の高い人に会うときみたいな緊張が走り、背筋が伸びるが頭を下へ押し付けられる感覚。

自分が関わってはいけないと思わせる圧に似た圧迫感を、縁切りをしてもらっていた時に直幸は肌に感じ取っていた。


「ほぉ、異質さは感知出来ていたか。」

「後は……お遠さんは『悪いもの』って感じじゃなかったな。こう、良い人そうだって思った。」

「『良い人』とはまた、曖昧であるな。」

語彙ごい力無くて悪かったな!!!」


 曖昧だとハクバイに言われても、姉御肌で優しそうな彼女に思った感想を幾つか頭に浮かべるが、やはり『良い人』ではないかと直幸は考える。

自分に都合の良い人って考えは否定は出来ないけれど、善悪で問われれば善であろうと感じるし、神に対して慣れない直幸に縁切り以外の事をしなかったのだから、温和な存在では無いだろうか。

 その考えを上手く言葉には出来ず少し頭を悩ませる彼に、ハクバイは話を続ける。


「ま、今はそれでよい。その差異は、質は色々あれど覚えておいて損は無いぞ?もしもの時に身の危険を、遠ざけられるやも知れぬからな。」

「は?ち、ちょっと待て。身の危険???」


 聞き間違いかと思い直幸は彼に聞き直すが、ハクバイは「何をたわけたことを」と、直幸が理解出来ていない事を不思議そうにしている。


「そなたは魂を我が身に握られた、つまりは我が身の下僕なるぞ?この世のモノとは異なる存在と常に接しているのだ、魂魄が変質していても可笑しくはない。」

「へ、変質!?」

「うむ、人とは違うとなればその歪みに集まるモノらもいるだろう。であれば……この世の存在と不可解な存在の区別ぐらいは、感じ取れた方がよかろうて。」


 ハクバイにとっては善意で話している事であろうが、直幸にとっては自身が人間から少しズレた事によって、妖怪や怨霊、もしくは神様からの干渉が受けやすくなっていると言われているようなものであった。


「じゃあお前と居る限り、悪霊とか怨霊に遭遇そうぐうする可能性もあるってことか?」

「そうだの……妻がそのような悪意に満ちた場所に居た場合や、厄介事がこちらにやって来るという事はありうるな。」

「マジかよ……。」

「たとえ何かが襲って来ようとも、我が身が対処してやろう。だから安心すると良いぞ!」


 エヘンと肩の上で胸を張るハクバイに、直幸は怨霊等の悪しきモノらに対抗出来る力がこの付喪神に宿っているのか半信半疑に思う。

その思いを知ってか知らずか、ハクバイは直幸の向ける疑心の視線をスルリとかわして話を切り上げる。


「さて、また『ばす』とやらに乗り込むぞ。次に訪れる際は、そこな『道の駅』とやらにも寄ってみたいものだ。」

「……そうだな。まぁ次があればな。」


 一人と一体は、車通りの少ない夕暮れの道を帰りゆく。


 ハクバイの思いつきから始まった『縁切り』の小旅行であったが、未知との遭遇……『縁切りの付喪神』と出会うという奇妙な経験を得られた。

それが直幸にとってどんな化学変化を起こすのかまだわからないが、この初めては何物にも得難い思い出となるだろう。



 悪縁に縛られた心を解放するこの旅は、新たな【縁】を結んで一つ幕を閉じたのだった。












追記・ちなみにと言ってはなんだが、バスの時間は本当にギリギリで、バス停に着いた時には停車していたバスの扉がもう少しで閉まるかどうかで彼らは急いで飛び乗る。

「……間に合わないかと思った……!久しぶりに全速力で走った……。」と、バクバクと速く鼓動する心臓を抑え、直幸は車内の席に着いたのだった。



第三話 了



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