第三話 縁切り神社の縁切り鋏(一)
稜線に沿って、太陽の光に照らされた白い雲がモクモクと綿花の様な柔らかさを伴って、山並みのその先へ向かうようにたなびいている。
冬の時期には緑の生き生きとした葉が無く寂しげであった山の斜面は、その寒々しい山肌を暖かく命で包み込むかの様に柔らかな若葉に萌え、その木々の隙間を飾るようにポツリさポツリと桜が白に近い花弁をこれでもかと咲き誇らせていた。
枯れ草が所々に蔓延って落ち葉が辺りに敷き詰められていた地面には、タンポポやホトケノザ、オオイヌノフグリやカタバミといった愛らしい春の野花が蕾を綻ばせ、散歩するにも丁度いい季節となってきている。
若々しい新緑の芽が暖かい陽気を浴びて、春の香りを呼び込んでいるみたいに感じる人も何処かにはいるのではないだろうか?
あの冷たく厳しい冬の、付喪神と死にたがりという一風変わった彼等の不可思議で衝撃的な出会いから、かれこれ数週間が経とうとしていた。
自ら死を選ぶことを禁止された自殺未遂者の直幸の生活は相変わらずなようで、多忙な事務仕事とブラックな上司の指示に逆らえず、かといってそこを辞めて転職しても不器用な自分ではどうにもならなさそうだと諦めて、ひたすらに仕事へ出勤しては深夜に自宅へ帰る毎日を過ごしていた。
今までの日常と少し変わった事といえば、彼の夕飯を買う品物に必ずゼリーを買ってくる事になったくらいだろう。
一方、祟り神一歩手前な豊結窯の窯守であり、酒盃の付喪神ハクバイは直幸の日常を肩から眺めて観察していた。
あの出会いの夜に溢された通りの、休憩時間も無さそうな忙しさと人間等の駒や奴隷の様な働きぶりに、この宿主は肉体的に死にそうだと憐れに思う。
彼は自覚してそれを神への供物として渡していないだろうが、ハクバイはゼリーを自分に捧げられた物として受け取って食らっていると認識しているので、その分の加護やら呪いやら何かをかけてもいいだろうとは考えていた。
かといって、ハクバイは基本的に窯の守り神である為なのか火難除けの加護はすぐさま与えることが出来るだろうが、厄除けや開運等といった直幸に必要そうな御利益は種別違いのため加護を与えることは出来ない。
双方ともに色々な事を考えながら、直幸は久々の休日を満喫する。
いつものクセで早起きをしてしまい、朝早くからざっと部屋と布団の掃除を終えた彼は、腕まくりをしていた袖を下ろして、もう動きたくないとばかりにグッタリと畳の上に仰向けの状態で寝転がった。
「つかれた……、もう部屋から動きたくない………。」
「うむ、日頃良く働き、本日の掃除もお疲れ様である。これより一時ではあるが休憩するがよい。」
「そうするよ……。買い出し行く時間まで、もう動かない……。」
そう言うと直幸は左腕を両目の上に置き、レースのカーテンから降り注ぐ春の陽光を隠す。
日頃疲れ切った精神と身体に暖かな光は心地よく、このまま眠ってしまいそうである。
ハクバイは彼の様子を見て、はぁと一つ溜め息をついた。
「はぁ……疲れ切っておるな。そなたの働きぶりを観察していて思ったのだが、そなたの上司は酷いものだな。なんというか……心根が腐っていると申すか……あのような場所におっては気も疲れようぞ。」
「そうなんだよ!勝手に自分の仕事押し付けるし、その納期の締切が本日でその日中にしないと間に合わなかったり、渡された資料が足りなかったり………上手くいかなければ怒鳴りつけるし、圧かけてくるし………でも、自分は仕事を部下に押し付けて定時で帰るし………。もう……いや……死にたい………つかれた……ねむい……つかれた………しんどい………。」
段々と目が死んでいき曇り始め終いには虚無を映し、言葉も段々とカタコトになっていく直幸に、ハクバイは憐れみを持った目で彼を見つめた。
「あの男は悪縁で雁字搦めになっておるゆえ、そのうち破滅しそうではあるが……。そなたもそなたで、妙に絡まれているというか、悪しきナニカで縛られそうになっているのがなぁ………。不憫と申すか、哀れと申すか……。」
「不憫って……何も言い返せないけどさ………。」
自身があまり運が良い方とは思っていないので彼は少し落ち込むが、はたとハクバイの言っていた事を思い出す。
「あれ?お前、もしかして悪縁が見えるのか?」
最初の二日間で教えてもらった他にもまだ何か能力があるのかと、寝そべっていた直幸はガバリと起き上がり、座り直してハクバイをその目に捉えた。
彼は右前足を顎の方に持っていき、考える仕草をした後に口を開く。
「……まあ、我が身はこれでも神の末席の付喪神であるし、窯を守護してきた窯守であるからな。縁結びや縁切りの神々ほど視えてはおらぬが、周囲の者らの【縁】に関してはぼんやりと善し悪しぐらいはわかるぞ。……そなたに関しては別だが。」
「俺は別……?」
何故別枠なのか、とんと見当がつかない直幸は首を傾げる。
「そなたに関しては、我が身が真名を握っておるからな。故にそなたの【縁】はハッキリと知覚出来るが、その他大勢の【縁】となると……良いか悪いかぐらいしかわからぬ。【縁】を司る神々にかかれば何処ぞの誰と繋がっているのか、名前とともにどのような【縁】なのか理解できるだろさ。」
「そんなにわかるのか………、なぁ、そもそも【縁】って何なんだ?」
『御縁がある』や『縁もゆかりも無い』等、ことわざとしては聞いたことがあるけれど、あまりその意味を深く考えた事の無かった直幸は、なにやら知っていそうなハクバイに問いかけた。
問いかけられた彼は一つ頷き、話し始める。
「【縁】は“エニシ”や“ユカリ”とも呼び、物事の巡り合わせ、つながり等の意味がある。例えば血のつながりの『血縁』、幸運な事や目出度い事があった時に『縁起が良い』と言ったりするだろう?」
「気にしたことが無かったけど、確かにそういった時に言うかもしれないな。」
「そうだろう?ゆえに【縁結び】とは繋がりを結ぶという事だとされ、男女の縁を結ぶ……夫婦となれるように願掛けするといった意味に捉えられておるな。」
直幸はハクバイからの説明を受ける前から、【縁結び】と呼ばれる事柄を思い浮かべると恋愛関係しか思いつかなかった。
その認識は間違いでは無かったのだと安堵するが、改めて【縁】と呼ばれるモノは、意味はシンプルであれど奥が深いモノだと直幸は感じる。
そんな彼の考えは気にせず、自分自身が知っている事を話すハクバイは、後はそうだなぁと思い出した知識を口にした。
「【縁結び】の神として有名なのは、出雲大社の大国主大神であろう。毎年、神無月の頃になると全国の神々は出雲に集い、色々と話し合う。それゆえに出雲では神無月の事を神在月と呼び、出雲の国に迎えられた神々は神議りという場で議論を交わすのだ。」
旧暦の十月、神無月に出雲でおこなわれる神々の集まりについては聞いたことがあるようで、直幸はやっとわかる話が来たと少し顔を明るくした。
「あっ、その話は知ってる気がする。」
「ふうん?まぁ、有名な話であるからな。そなたが知っていたとしても、不思議には思わんぞ。」
「そういえば、お前って付喪神だって言ってたけど、その神無月には出雲に行くのか?」
ふと直幸は、付喪神であり窯の守り神らしいハクバイは、その神々が集まる神無月に出雲へ行くのかと気になる。
神の末席やら何やら言っていたと思い、彼もその神様の会議に赴くのかとハクバイへ尋ねると、彼は黒黒とした眼を見開き驚いた表情を浮かべて叫んだ。
「何を言うとるのだ、そなた!?!?!?行くわけなかろう!!??畏れ多いわ!!!」
「えっ、でも末の神とか窯を守護する神とか言って無かったか?神様が集まるんだろう……?」
「まぁ、そう言うたが……。付喪神の神様であるという線引きは結構曖昧でな、いわゆる諸説ありというヤツなのだ。霊験あらたかな物が神の依代や神のごとく祀られておったら神の枠組みに入るであろうし、言い伝えられている通りなれば妖怪と言えるだろう。」
神であるのか妖怪であるのか、妖怪であり神であるのか、それはその道具や建物がどういった経緯で付喪神に成ったかで決まるものなのだろうか?
では、直幸が確認出来る付喪神の彼は神なのか妖怪なのかどうなのか気になり、聞いてみることにした。
「お前は、どっち寄りな存在なんだ?」
そう彼が尋ねると、ハクバイは爬虫類独特の切れ長の瞳を愉快そうに歪めてニヤリと笑う。
まだ出会ったばかりの人間にそこまで教えてやる程ハクバイはお人好しではないし、憎らしく思う人類共にぽんと自身の情報を与えるほどハクバイは許していなかった。
「そなたには秘密ぞ。我が身が神であろうと妖怪であろうと、どうでもいいだろう?それは妻を探す事に必要無いものであるし、特に気にせんでもいい。」
「……秘密にされると、余計に気になるんだけど。」
「まぁ、人間は詮索する生き物であるからな。知識欲がそうさせるのかわからぬが、我が身の行動を見て推測するが良い。考えるだけならばいくらでもするが良いぞ?」
笑みを浮かべながら真っ直ぐに直幸を見つめる瞳は黒く、その漆黒の裏側で何を考えているかはわからない。
だが、瞳の内側か裏側で何かドロリとした感情が蠢いているような気がして、直幸は彼の顔から目を反らした。
その反応がどうにも可笑しく、ハクバイは声を上げて笑う。
「ハハッ、我が身とそなたの時間は、これから幾らでもあるのだから時が来ればいずれわかるかもしれんぞ?」
「それは……いずれ教えてくれるってことか?」
好奇心に満ちた直幸の問いに、ハクバイは微笑みを湛え沈黙で返す。
この答えを出すのは今では無いと、彼は何となく思ったのだ。
何分か静寂に包まれたが、静かな空間に耐えきれなかったのか、直幸のハクバイから目をそらした仕草を話の区切りにして、ハクバイは【縁】の話に戻していく。
「……では【縁】についての話に戻るが、【縁結び】は先程から説明している通り【縁を結ぶ】ものだ。しかし世の中には良縁ばかりではなく、悪縁もまた存在する。」
「悪縁は自分にとって悪い事をもたらす縁……って解釈であってるか?」
「それで良いと思うぞ。そういった自身に悪影響をもたらす縁は、ほっとくと死をもたらしかねん。で、あるならば切るべきだろう?そんな時に願われるのが【縁切り】であろうな。」
「【縁切り】………。」
【縁切り】という単語を耳にし、直幸はチリッと胃が焼けるように痛む気がした。
彼が成人する前、実家に居た時に母や二人目の父、その間に産まれた妹に散々吐かれた言葉の中に「未成年じゃ無かったらとっくに縁を切ってやったのに!!」や「血縁とも思いたくないから早く縁切って消えてよね。」といった内容の会話があったのだ。
嫌な記憶を思い出して彼は思わず気持ち悪くなり、手を口に当てて吐かないように努める。
ハクバイは元々の顔色の悪さから更に悪化した直幸を見つめ、過去の出来事でも思い出しているのだろうとそこには触れず会話を進める事にした。
「神道では【縁切り】の神と呼ばれる事解男命がおるにはおるが……そなたはこの神の事を知っておるか?」
「えっ、知らないよ!!神道はアマテラスとかスサノオとかメジャー……有名どころは知ってるけどさ、その神様の名前は初めて聞いた。【縁切り】の神様ってお前は言ったけど、どんな神様なんだ?」
初めて耳にした神の名前に、直幸は思わず困惑する。
元々そこまで神道に興味の無い彼は、一度も日本書記や古事記を読んだこともなかった。
天照大御神や須佐之男命といった有名な神々の名前はわかるが、どういった生まれなのかどんな御利益があるのかはさっぱりわからない。
質問したハクバイもそこまで詳しい訳ではないらしく、前足を腕組みのように組んで困ったような複雑な顔をしていた。
「我が身が知っておる範囲だと、そうだな……その神は熊野三社及び熊野神社で祀られておって、悪縁を掃き消す神であったり、事が解ると名にあるため学問の神の側面も考えうると伝え聞いた事がある。」
「そんな神様がいるんだな……。」
「うむ、神道の神は八百万であるからな。何処にでも生まれる可能性があり、何処にだって存在して、静かにそなた達を見守っているだろう。それにしても【縁切り】なぁ……、うむ……。」
ハクバイは数十秒程考え込んだ後、一つ頷いて何かを決めたのか彼に問いかける。
「なぁ、直幸よ。」
「なんだ?」
「そなた、『すまほ』なる絡繰で縁切り神社を調べてみてはくれぬか?特にこの地域の中にあれば上々なのだが………。」
「暇だしいいけど……。ここらへん限定で調べれば速いと思うし、調べてみるか。」
直幸は屍のごとくやつれて帰宅した昨夜のうちに、布団へ倒れる前にスマートフォンを充電しておいて良かったと思った。
いそいそと充電器に繋がったままのスマートフォンを手に取り、電源を入れてスリープモードを解除すると検索エンジンに『縁切り神社 近場』と入力する。
一秒もしない時間ですぐさま出た結果には、東海地方にある縁切りに関係した神社仏閣と、全国的に有名な社寺がいくつも書かれていた。
「縁切り神社で調べて直ぐに出てくる名前は、京都にある神社だな。なんでも良縁結びと悪縁切りの願いを書いた御札?形代?が、石に所狭しと貼られているみたいだ。」
ほら、と彼がハクバイに見せる画面には、大きな灰色の岩らしき物に沢山の白い札が密集して貼られていた。
一枚一枚重なる札の塊はそれだけで神聖なようにも感じるし、怨のような得体のしれなさを醸し出している。
また画面を自分の方へと戻した直幸は、いくつもあるその集合体の写真をスクロールしながら、ポツリと感想が口から漏れる。
「石にそれを貼れるのは祈願をした人だけだから、……こんなに貼られてるということは沢山の人々が願いに来たんだろう。……なんだか、パワーみたいな物を感じるな。」
彼の言葉を聞いて、裏からでは見えないスマートフォンに映っているであろうその強い願いの塊を、人への怨念を持つ付喪神は目を細めて見やる。
「これだけの願いが捧げられておるからなぁ……『ぱわー』の意味合いは良くわからぬが、それが念や欲、力のような意味ならばそなたの感覚は正解である。ここにはそういった想いが満ちているのだろう。」
「そうなのか……。」
「この社寺は京にあるようだが、ここから赴くには些か遠いと思うぞ。他に、そなたが気になる所は無いのか?出来れば近場が良いが、そなたの琴線に触れる場所が良いと思うぞ。」
次だ次だと、新たな神社仏閣の検索を急かすハクバイに、直幸は閲覧していたサイトを閉じて他の場所を探す。
検索結果で出てくる縁切り神社の名前は有名な場所もあったが、彼が聞いたことの無い名前も数多くあった。
何処に行こうかと選べるほどに縁切り神社が有るみたいだが、神社仏閣についてそこまで知っている訳では無い直幸は、どんな神社があるのかと画面をスクロールして眺める。
すると、一つの名前に目が止まった。
電子の海の片隅にひっそりと書かれたそこは【曽鷹神社】と言うらしく、県内ではあるが乗り換えが容易では無い地域にあり、片道が電車とバスの乗り継ぎで約三時間半かかる場所のようだった。
その名称を覚えたのちにマップアプリを開いて【曽鷹神社】の名前を入力すると、位置と経路等の他にも評価と感想が表示されたので、直幸はそのレビューを確認してみる事にする。
アプリ上で書かれている【曽鷹神社】の評価は星四であり、十月に行われる例祭と春の桜の時期が見所だとの記載があった。
引き続きそこに投稿されている情報を見てみると、どうやら【曽鷹神社】は本殿に祀られている神様が縁切りの神力を持っている訳では無く、末社の【御糸切社】にその様な言い伝えがあるので縁切り神社と呼ばれているらしい。
画像の欄に移ると、そこには美しい風景が広がっていた。
カラフルに染められた繭玉が、同じく鮮やかな組紐で括り付けられた神輿を担いでいるお祭りの様子や、細くしなやかな枝に紅白の繭玉が交互に刺さっている飾りが大きな枝垂桜と共に境内を華やかに彩っている画像が多くある。
それが秋の例祭や春の景色なのだろう、沢山の高評価が付いて、とても評判はいいらしい。
どの画像を見ても雑草やゴミが落ちていたりということも無い綺麗な境内で、大切に守られている地域の神社なのだろうと直幸は予想する。
探す指先が止まったからか、じっと見ているそれが気になったのか、ハクバイは彼の手にしている画面を覗き込んだ。
「ふむ?そこが気になるのか?」
「いや……県内で近くは近くだし、ここも縁切り神社らしいから見てるんだけど………電車とバスを乗り継いで片道三時間半はちょっと遠いな……。」
「気になるというのもまた【縁】ぞ。……うむ、ゆくぞ!!」
「は?何処に……。」
いきなり「行くぞ」と言われ困惑している直幸の側を離れ、ダンッとちゃぶ台に跳び乗ったハクバイは、彼の目の前で腰に両腕を当て胸を張る。
「その【曽鷹神社】と呼ばれる場所に、今から行くのだ!!今の世の技術ならば、本日中には帰って来られるのだろう?」
「いやいやいや!!!待ってくれ!三時間半なんて道のり、前の日から準備をして当日は朝早くに家を出るくらいの距離だぞ!?それに今からその【曽鷹神社】に行っても、そんなに滞在出来ないと思うけど……。」
そこにどうしても行きたいのなら前もって行く日にちを決めてからにしようと、直幸はハクバイに提案した。
しかし、彼は今日のうちにそこに行きたいらしく、首を横に振って直幸に拒否の意を示す。
「そなたの次の休日が、何時になるかわからぬではないか。ならば掃除も終わり、時間のある今日にこそ縁切り神社に出向くべきであろう?」
「いや、まぁ暇ではあるけど………。」
「善は急げだ、行ってみれば気分も変わるかも知れんぞ?」
「うーん、でもなぁ……。正直、三時間半は行くの面倒臭いし……。」
やはり行くのを渋る直幸に苛立ちを覚えたハクバイは、目蓋は無いもののスッと目を細める。
直後に背筋へ寒いものを感じた直幸が彼の方へ視線を向けると、彼の周りではどんよりとした苛立ちの感情が渦巻いているような雰囲気が辺りを満たしていた。
重く苦しい圧力で直幸が固まる姿に、ハクバイは怒りを込めた目つきで睨み、口を開く。
「そなた、なにやらグチグチ言うておるが、我が身に逆らえると思うておるのか?」
「お、俺にだって言い分が………!」
「我が身に反逆するのなら、使うしかあるまいなぁ?」
「〈加藤直幸〉、我が身を【曽鷹神社】なる場所へと、本日中に連れて行くのだ。」
放たれた言霊を聞いた直幸は、脳が縛られたように痺れ、貧弱な体躯は硬直し、心臓のある付近がキュッと何かに掴まれた感覚を覚えた。
自らの意思としては嫌だと逆らいたいと思っているのに、その命令を守らなくてはならないと魂や身体は感じている。
それが酷く不快で、直幸は顔を歪めてハクバイの命令を受け止めていた。
「わかった!了解、しました……。」
「わかったのなら良いのだ!では行くぞ。」
「でも、本当にちょっと待って欲しい!今から時刻表とか乗り換えとか調べて、そこに行く準備をするから数分時間が欲しい。」
「うむ、道順を調べなくては行けぬからな。その時間はやるが……早くするのだぞ。」
ギロリと直幸はハクバイを鋭く睨むが、彼は何処吹く風の涼しい顔でその怒りのこもった視線を受け流す。
張り詰めた重い圧力から解放された彼は、一つ溜め息を吐いた後にスマートフォンを立ち上げて、検索エンジンを使用することにした。
入力欄に【曽鷹神社 行き方】と入力をおこない道順を調べると、直ぐ様、複数のルートが詳しく書かれた画面が表示される。
その中でも最短で最速のルートを念の為にスクリーンショットで残しておいて、画面は開いたままスマートフォンを一旦端に置き、リュックサックへ出かける為の荷物を乱雑に詰め込んでいく。
今日は外出するつもりも無かったものだから、現時点で着ているクタクタの部屋着から、グレーのトレーナー地の右側の二の腕部分に臙脂色で二本の線が描かれた長袖パーカーと、濃紺のジーンズに着替えて、いつものナイロン生地の黒いリュックサックを背負い、スマートフォンと家の鍵を手で持つとそのまま玄関へと向かった。
嫌々そうな直幸の重い足取りの様子を満足気に眺めていたハクバイは、彼がスニーカーを履いている間に右肩へと登っていく。
ただひたすらに火を想い、安全を祈り、窯を守護してきた彼は長年、付喪神として窯の守り神として廃窯の有る地から離れたことの無かった。
彼にとって、初めての遠出である。
(初めてこの現代の生活を目の当たりにした時のように、きっとまだまだ変わった点があるのだろうな。
知識を更新するべく、道中は観察に勤しむとしよう。)
ハクバイはそう心に決め、早くせよと直幸を急かす。
「はいはい」と嫌々に返事を返した彼は、急いだほうがハクバイの機嫌を損ねず良いだろうなと、駅へ向かう速度を速めた。
彼らの鉄道とバス旅珍道中については、この物語で語るには些か蛇足であるため、別の機会にてお話するとしよう。
第三話へ続く