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スエのカミ  作者: 樫花藻
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第二話 ハクバイ初めての現代探検(三)





 濡れて黒く湿り気を帯びていたアスファルトはある程度乾き、元の経年劣化の果てに少し白く乾燥した色合いへと変わりつつあった。

天頂に近い位置にあった太陽は少し西へと傾き始めて、穏やかな暖かさを届けてくれた暖光だんこうも緩やかになり、早春特有の冷たい風が頬を撫でてから空へ戻っていく。

その先程までの暖かさとは真逆の寒さに、直幸は思わず着ていたダウンジャケットの首元に顔をうずめて、風が皮膚になるべく当たらないようにコインランドリーヘ戻ってきた。


 コインランドリーには直幸達が立ち去った後にお客が数人訪れていたようで、空いていた洗濯機のいくつかで衣服が回っている。

自分の洗濯物を入れていた洗濯機のふたを開けると、大雑把おおざっぱにジャケットのポケットへ突っ込んでいたビニール袋を取り出し、手短にその中へ洗濯物をグシャリと畳まずに入れて、中から衣服があふれないように軽く口元を結んだ。

再度、洗濯機の中に忘れ物が無いか確認をし、店の硝子戸を再度開けて帰路につく。

 直幸はこの後に何処かへ寄り道する気も無いので、好奇心旺盛な付喪神にそのむねを伝えることにした。


「じゃあもう帰るけど、何処にも寄らないからな。」

「うむ、足早に帰るがよい。昼時というには過ぎてしまったからな、そなたも腹が減っているだろう?」

「いや…そこまで減って無いけど…。」


 ついハクバイの言葉を否定してしまうが、直幸の腹は素直なようで、キュルキュルと可愛らしい音が鳴ってしまう。

彼はそれが恥ずかしくなり、顔を赤く染め上げて下を向きながら歩を進めた。

その様子を可笑しそうに観察して、ハクバイは笑いながら肩から彼の顔を覗き込む。


「素直に腹が減ったと言えば良いものを…愉快よな、そなたは。」

「俺の事は放っといてくれ!!」

「からかったのは悪かったから、そうかっかするでない。……さて、先ほど後回しにした説明をしてやろう。どうしてペットボトルなる物に使われた素材の名前を、我が身が言葉にできたのかだが…。」


 あの時、説明を後回しにしていた事を教えてくれるようで、内心凄く気になっていた直幸は、からかわれてモヤッとした気持ちを一旦横に置いて彼の話に耳を傾けることにした。


「気になってたんだよな…俺はペットボトルの素材の名前とか、気にしたことが無かった。あんな長い名称とか知らなかったから、どうしてお前は知っているんだ?」

「あれはな、我が身の付喪神としての力である。」

「…付喪神の力?」


 直幸は付喪神と言う単語を聞いて、昨夜の出来事が脳裏を駆け巡る。

暗く冷たい森に雑草の生い茂る廃れた登り窯、壊れた煉瓦れんがの隙間から燃え立つ美しい朱色の炎、そして付喪神及び窯守かまもりと自らの存在を話した大ヤモリ…。

 あの時に握りしめられた右手首がヒリッと痛んだ様に感じて、直幸はそこに触れようと左手を動かすが、両手に荷物を携えていることを思い出したが、少し動かしたせいで持っていた御飯の入っている袋がカサリと揺れ動いた。

 そんな直幸の心情など構わずに、彼は話を進める。


「そうだ。昨夜に話したことは覚えているか?」

「たしか……職人が作った作品には魂が宿り、長く大切にされた物は妖怪や神様になるって感じだったよな?」


 彼の答えはおおむね満足のいく回答だったのか、ハクバイは縦にコクンと頷く。


「まぁ、そうだな……付喪神自体は『九十九』の名の通り、長い年月が経った道具に精霊といった不可思議なモノが取り憑いたり、込められたり生まれたりすることで成るもの。成れる物は様々だが……それは我が身の様な食器や鏡等、『道具』であることが前提にある。」

「道具である事、か……。」


 現状ではヤモリの見た目をしているハクバイだが、その己が身は食器であり道具である。

ながきに渡り大事にされて付喪神と成り、その後に窯の守り神へ成ったがゆえにヤモリという生物の姿をとれるようになってはいるが、本質は夫婦盃めおとさかづきであり酒盃しゅはいなのだ。


 もっとも、直幸はその酒盃を見たことが無いのと昨晩の恐ろしい体験から、ハクバイが道具の付喪神だとは考えていなかった。

彼はどちらかと言うと、あのヤモリのことを大切な存在をうばわれてしまった祟り神や怨霊に近いと思っている。

 そんな事を思っている人間の肩の上で、彼はゆるりと尾を揺らす。


「我が身らは道具であるがゆえ、どのような素材で出来ているのか、どのように使う事が出来るのか、同族に触れればその知識を得る事が出来る。この能力は我が身だけの物ではなく、他の付喪神も持ち合わせている能力だ。」

「その素材や使い方を知る能力って、道具しかわからないのか?生き物とか…例えば人間とかわかったり出来ないのか?」


 触れるだけで使い方がわかるというのは結構便利なのでは、と直幸は思った。

道具だけではなく、他の物の情報を読み取る事が容易ければ何かの役に立ちそうだと彼は感じたが、ハクバイは複雑そうな顔で答える。


「残念なことに、基本的には道具しかわからぬ。人間が操る道具なら読み取れるし…じく屏風びょうぶ、置物等のいわゆる美術品や工芸品といった品々も知る事が出来るが、読み取ることが無理な物も当然存在するのだ。」

「わからないもの……?それは一体何なんだ?」


 ちょっと好奇心がうずき始めた直幸は、彼の返答を待つ。

ハクバイは少し空に答えを思い浮かべてから、必要な情報を並べてまとめた。


「そうだな……まずなのだが人間等の命持つ者等は、触っても知ることが出来ない。例えば牛や馬を畑仕事や物を運搬するための道具だと説明されても、この世に産まれ生きる衆生しゅじょうであるからな。素材や使い方を問われても、有る訳がなかろう?しょせん、付喪神はすえかみ……真理まではまだまだ触れられぬ。土地神や神代の天津国津あまつくにつの神々ならば、生命の情報も読み解けるだろうが……生命の使い方なぞは、神代の神々でさえ『あるがまま』とお答えになると思うぞ。」


 生物に触れても、出来ている素材や使い方はわからない。

そもそも、生命は使う物なのかと言う所で意見は別れそうではあるが……彼曰く付喪神では読み解けない領域らしい。

ハクバイとしては『生命には使い方などと呼ばれるものは無い』と思っているらしいことは、回答の中でポロッと話をこぼしていた。

 生物である直幸にとっては難しい話題であったため、内容を咀嚼そしゃくすることで手一杯の有り様で、その辺りをちゃんと聞いていたのか曖昧だったが。


「そうなのか……ところで、天津国津って何だ?」

天津あまつも知らぬとは……そなた、こういった信仰関係に触れてこなかったのか?」


はぁ…とハクバイはあきれた様子でため息をつくと、直幸は無知を笑われたみたいでカッと怒りが噴き出す。


「知らなくて悪かったな!!どうせ何にも知らねぇよ!!」

「ふむ?……別に知らぬことは悪い事ではないぞ。」


 そう言って、ハクバイは直幸の顔を覗き込む。

ニヤリと笑う顔には慈愛の様な優しさが含まれていて、直幸は思わず言葉に詰まった。


「我が身とてこの世に降り立ったばかりであり、そなたの住む周囲を観察していても今の世はわからぬ新しい物事ばかりだが、これから知らなかった新しい知識を得てゆけば良いのだ。深く叡智えいちを探求するのも大事なことだが、好奇心を持ち、新しい事に挑むこともまた知識の広がりとなるのだから。我が身に答えられる事ならば教えてやろうぞ?」


 人を憎んでいるには優しさが見え隠れしている……まるではは親が子に向けるような瞳に耐えきれず、直幸は赤くしながら顔を背けた。

ハクバイは狼狽うろたえ恥ずかしがる直幸の様子を、可笑しそうに笑うと話の続きに戻る。


「して、なんだったか…そうだそうだ。天津国津と略してしまったが、本来は天津神あまつかみ国津神くにつかみと呼称する。大まかに説明するなら、高天原たかまがはらから天降あまくだり降臨なさった神々を『天津神』、葦原中津国あしはらのなかつくににて既にいらっしゃっていた神々を『国津神』と呼ぶ。今、説明している能力の話には関係が無いから、また機会がある時に教えてやろう。」

「わかった…えっと、他に触ってもわからない物はあるか?」


そう問われるとハクバイは目線をくうに向けて少し考えた後、質問に答える。


「あとはそうさなぁ…家屋や長屋の様に、土地に建てられた物は無理だな。水車やかまど等は道具と言えなくは無いが…読み解くのは少々疲れる。そこは屋敷神や土地神の方が、素早く理解出来るだろう。」

「そういうものなんだな…使い方って誰でも知ってる物は皆わかるし、結構いらなさそうな能力だな。」


 現代ではスマートフォンで調べれば素材や使い方はすぐに検索でき知識を得ることが出来るので、直幸は要らなさそうだとつい口に出して言ってしまった。

そんな心ない率直な感想を言われたハクバイは、心外だというように少し怒った声で抗議する。


「要らないとはなんだ、要らないとは。我が身は重宝しているぞ?使い方もだが素材は気になってしまうからな……それに、情報を認知出来れば永遠に忘れることは無いのでな、我が身は十分活用しているからそれでいいのだ。」

「そ、そうなのか。」


 自身が納得しているなら、それでいいのだろう。

そう直幸が納得していると、小さく呟いた声が聞こえた。


「…まぁ我が身個人が持つ能力が一つあるが……。」

「へぇ、それはどんな能力なんだ?あの出会った時には火が噴き上がっていたけど、火が関係するのか?」


 ボソリと呟かれたもう一つの能力が気になり、興味津々で能力の事を聞く直幸をチラリと見たあと、ハクバイは少し沈黙して前を向く。


「そなたには秘密だ、人間。」


 その言葉を放った途端にピンッと、冷ややかな憎悪が歩いている帰路に張り詰め、思わず直幸はハクバイの方に顔を向けた。


 黒曜石のようなツルリとしたその瞳に映る感情は雲に隠れたようにわからないが、それは明らかに質問の回答を拒否している様な態度だった。

暗く冷たい雰囲気を纏わせたまま、彼は硬い声色で話を続ける。


「妻を探す為に憑いてはいるが、そなたもまた憎き人間だ。我が身の能力を明かす事は、そなたには出来ぬな。」

「…別に、早く命令が解除されればそれでいいし、知りたいと思わないからいいけど…。」

「ま、そなたが気にすること無い物だ。必要ならば時が来ればそのうち明かされようぞ。ほれ、住処すみかについたぞ?」



 短くは無い話をしていたからか帰り道は早いもので、ハクバイの声に反応して周りを見渡してみると、いつの間にかアパートの入り口に着いていた。


 先程までの会話から、ハクバイに対してモヤモヤとした感情を直幸は抱くがひとまず部屋に帰ることにする。

鉄製の階段を軽やかな音をたてて上がり、部屋の鍵を開けて扉を開くと、掃除をした為かいつもの仕事から帰って扉を開いた時とは違い、清々しい空気が辺りに満ちていると直幸は感じた。


 直幸は玄関の中でくつを脱いで入り口付近に適当に片付け、着ていたダウンジャケットとリュックサックを壁側に寄せると、洗った洗濯物が入ったビニール袋と弁当が入ったコンビニの袋二つをその隣に置いた。

 ハクバイはというと直幸の肩から降り、干していた布団の方へと歩いて近寄る。

太陽に当たった布団は干す前よりはふわふわとハクバイの前足を柔らかく受け止め、安眠をもたらしてくれそうな仕上がりになっていた。


「ふむふむ、やはり干したての布団は良い物だと主は話していたが……なるほどわからんでもないな。」

「そうなのか?俺は寝られれば何でもいいから……そこを気にしたことが無かったな。」


 日頃の帰宅時間が深夜を回っていたり帰れない事もあった彼にとっては、布団で眠っている時間は少なく、仮眠できればそれで良いと思っている。

しかしフカフカの布団を見ていると、ついそこへダイブしたくなったが、ふるふると首を横に振り誘惑を振り払う。


「さてと、机を使いたいから布団を畳むぞ。」

「おお、そうだな。机がなくては飯も置けぬからな……これで座布団があればよいのだが。」

「悪かったな無くて……。」


 不貞腐ふてくされた顔をした直幸は布団を三つ折りにして窓側の壁際に置き、干すために立てていたちゃぶ台を本来の四脚にして部屋の中心に設置した。


 机の上に袋ごと買った品物を置くと、ビニール袋の中から豚カルビ丼と天然水のペットボトルを取り出して、掃除した時に綺麗にしておいた冷蔵庫へとしまう。

そして残りのおにぎり二つと麦茶、ゼリーと貰っておいた割り箸とスプーンを天板に乗せると、ゼリーの方へハクバイが歩み寄ってきた。

先程コンビニにいた時より至近距離で観察できるためか、彼はクルクルと顔だけ回り込みながらゼリーを眺めていた。

畳に座りながらその様子を見ていた直幸は、ふと疑問に思った事をハクバイへ問いかける。


「そういえば、お前って箸とかスプーンは使えるのか?」

「我が身は人の身ではないと言っても、畜生ちくしょうでは無いからな。箸を使うことなど容易い。…その『すぷーん』と呼ぶ物はわからぬが…。」

「え、あぁ、スプーンって外国の言葉だもんな……。これだよ、これ。」


 ゼリーの隣に置いたプラスチックのスプーンを直幸が指し示すと、ハクバイは一つ頷いた。


「うむ、さじの事であったか。それは容易く使うことが出来るが…今の世では匙の事を『すぷーん』と呼ぶのだな。」

「俺はその『さじ』がわからないんだけど……。」


 あまり聞き慣れない単語が出て、直幸は匙とは何なのかを聞き返す。


「匙は匙ぞ?もっとも食事で使う事は無く、主に薬師くすしが使うものという印象が強いが。異国では飯を食う時に使うのだなぁ、でも寒天や豆腐の様な柔らかくふるふるとした物をすくう時に便利そうだ。」

「そうだな、そういう時に使う事もある。後は……スープとかカレーとか食べる時にも使うかな。」

「ふむ?『すーぷ』や『かれー』と言う食べ物もあるのだな?また、それを食す時に教えてくれ。それよりも『ぜりー』だ、『ぜりー』をこちらに渡すのだ。」


 催促するようにしまみたいな凹凸のあるてのひらをこちらに差し出し、ほれほれと言わんばかりにハクバイはゆらゆらと手を揺らした。

その様子を見て、おにぎりの隣に置いていたゼリーとスプーンを彼へ渡す。


「ああ、どうぞ?蓋も外すか?」

「それはこの透明な上に被さっている物のことか?良い良い、それぐらいは出来る。しかしその匙が入っている袋の開け方がわからぬから、開ける手順を教えるのだ。」


 直幸がいつも自分がやっている方法を教えると、ハクバイはその方法に従ってビリっとビニールの包装を破って中からスプーンを取り出すと、両手で持ち手を握りしめたのちジッとスプーンを見る。

数秒後、彼にとって少々大きめのそれを右手で掴み、持ち手を握るような感じで持ち替えた。

そして、恐らく素材や使い方を読み取っただろう時の感想をこぼす。


「これは『ポリスチレン』と呼ばれる素材で出来ているな……本当にポリと名のつく物が多い。持ち方は箸を持つようにしたほうがいいのだろうが、我が身の体躯的にそれは少し厳しいな……。」

「食べられるんだったら、どんな持ち方でもいいと思うけど……。……それにしても、本当に使い方や素材が読み取れるんだな…。」

「そうだぞ…なんだ?まだ信じていなかったのか?」


 まだ半信半疑だったのだろう、直幸は顎に手を当てながら信じられないといった風の声をこぼす。

その姿に、ハクバイは少々呆れた目で彼の顔を見つめた。


「いや、だって今までの人生でこんな経験してないし……。」

「我が身は人間にとって空想上の存在であるということは理解しているから、まぁ今はよい。これから共に妻を探す過程で今後も不可思議な現象は起こるであろうから、自ずと信じる事が出来よう。」

「えぇ……?なんか、そうなったら変人扱いされそうだな……。」


 幽霊や超常現象といった、いわゆるオカルトな話題には全く関心が無く、むしろ存在しないと考えていた直幸は、未だにこの状況を呑み込めていない。

そんな物が当たり前の日常になってしまうのかと、悩む彼を尻目にハクバイはパンッと音をたてて両前足を合わせる。

今か今かとゼリーを早く食べたくてしょうがないように、ウズウズと尻尾を揺らめかせていた。


「さてと、我が身は『ぜりー』を食したいのでな、そなたも飯を食うとよいぞ。」

「あ、あぁ……いただきます……。」


 ちゃんとした食事の挨拶を聞いてハクバイは目を少し丸くしたが、微笑ましげに口を緩め自身もまた『いただきます』と食物へ感謝を捧げる。

空いている片手を容器に添えてからスプーンで上層の透明なゼリーを果物も一緒に掬い、パッカリと開いた大きな口へ器用に入れた。

 すると丸い目玉がキラキラと輝きながらさらに大きくなって、その後味わうように口を動かす。

口に入れたものを飲み込んでから、ハクバイは興奮した口調で話し始めた。

 

「うむ、これは良い物だ!!甘さと水菓子の味が実に心地よいな。この柔らかい独特な食感も楽しい……良い、とても良い物である。次もこの菓子を買って、我が身に献上けんじょうするのだ!!!」

「そこまで気に入ったのか?」

「気に入った!!ぜひとも妻に食わせてやりたいと思う位には、気に入っている。」

「いや、まぁ買うのはいいけど…これも人間が生み出したものだけどさ、人間が憎いから食いたくない!とかは無いのか?」


 憎いのならばその存在が創ったものも憎くは無いのか、拒絶をしないのかと問われたハクバイは感情の見えない瞳を彼に向けた。

その瞳の冷たさに思わず直幸は恐怖を抱き、少し後ろへ身を引く。


「何度も言っておるが我が身は人間が憎い……彼奴等やつらは村を襲い、窯の主人等を殺し、妻や値打ちになりそうな陶磁器を盗み、そして村に火を放って全てを灰にした。窯は廃れ、大切な物は何処かに消えた……この状況で恨まない訳がないだろう?」

「……。」


 ハクバイの問いに、直幸は言葉を詰まらせた。

彼の話を聞く限りでは、大切な物を全て奪われた事への怒りは途轍とてつも無いだろう。

直幸は自分だったら恨むし、直ぐに呪っているだろうと感想を抱くのだが、なぜだかその考えを口に出来ない。

 そんな彼を横目に見て、ハクバイは一つ苦笑をこぼして『しかし』と言葉を続ける。


「しかしだ、そんな人間共の生み出した物でも素晴らしい出来の物はちゃんと評価せねばなるまい。道具だけではなく、美術品や工芸品、建築といったものから能や歌舞伎かぶき等の伝統芸能……それらは人々が生み出さねば現れることのなかった物よ。」


 偏見や憶測等の色眼鏡で見るのではなく、素晴らしい物は素晴らしいと、その技術や表現は作者とは別に評価をしたいのだとハクバイは思う。

彼は道具の化身として…そして人間に創られた物として、技術や技法を駆使して生み出された作品や商品は、時として素晴らしい物が生まれると考えているようだ。


「人間共が創造した良き物を良いと思えなくなったら、我が身は完全に祟り神になったということだ。我が身が妻を見つけた時に我が身とわかる様にしないといけないのでな、まだ堕ちる事は無いようにするが……我が身の恨みは深い。そなたは、そうならないように精々気を付ける事だ。」

「……お前が祟り神とか怨霊になったら、俺はどうなるんだ?」

「そんな事を気にするのか?そなたは命が惜しくないのだろう?死にたいと思っているはずだ。ふむ?……我が身がちれば解放されると思っているのか?」

「まぁそうだな……祟り神になったら、俺を呪ってくれるのかなとかは思うし……。」


 怪談等にある『怨霊や悪霊に呪われた人は死ぬ』という話は物語の中ではよく聞く話であるし、死にたい直幸にとっては呪ってくれた方がむしろ都合がいい。

そんな生きる気力の無い彼の姿に、ハクバイはそうだと頷く。


「堕ちてしまったらそうなるだろうな。そなたは楽に死ぬ事が出来なくなって、我が身の手足となり人へ害を成す道具となる。」

「道具って……俺と言う自我が無くなるってこと?」

「そなたは我が身の物になっているから、当然だろう?一度捨て去ろうとした命だ。どうなるのかなど、気にする必要はあるのか?」


 あれだけ死にたいと消えてしまいたいと嘆いていたのに、自我や存在が消えるのがそんなに怖いものなのかとハクバイは直幸を見つめる。

 自分が無くなるという事がよくわからない直幸は、その未知の恐怖に少し青ざめた。


「そなたが自らの意志で我が身を堕ちさせようとしても別に構わないが………そうしたとて、そなたの魂魄が穢れ、腐り落ち、苦しみながら消えてゆくのみよ。来世に期待したとて、輪廻転生も出来ぬだろう。」

「そんな……解放されるだけだと思ったのに……。」

「容易く考えられては困るな。そう安々と事は上手くいかぬもの、我が身を堕とす等と考えず妻を探す方が賢明だと思うがな。」


 相手を堕として解放されたとしても、自身にも影響がある事を知り、直幸は更に顔を青くする。

そう告げたギリギリ祟り神に成っていない彼は、絶望と恐怖に青褪あおざめる人間を冷ややかに見ていた。


「妻を探し出すのは簡単では無い。この葦原中津国……日ノ本は我が身にとってはとても広い。津々浦々を探し回ったとて、見つからない可能性もある。それに今は外津国そとつくにへの交流があるらしいからな、妻が海の向こうへ行ってしまったという事も考えられるのが本当にややこしい。」

「うん………あり得ない事じゃない。輸出入って江戸時代終わった後も頻繁ひんぱんにあったらしいし、外国にあるのは可能性は候補の一つとして考えててもいいと思う。」

「後は妻が壊れ無くなってしまったということも考えられるが、……それは無いだろうな。」


 酒盃であるらしい奥さんの現状について、破壊や紛失等が無いとハクバイは自信をもって断言する。

その自信が何処から来ているものなのかがわからず、つい疑問に思って彼は質問した。


「どうして、その……そう思うんだ?」

「我が身の感覚として、妻が壊れたと感じていないからだな。」

「……なんでお前が感じてないから、壊れて無いと思うんだ?」

「それは、我が身と妻が対の存在であるからだ。そなたには昨晩話したと思うが、覚えているか?」

「あの時のこと……?確か夫婦杯とか酒盃とか言ってたような…?」


 あの時は死にたいと思う事で頭が一色であった直幸だが、朧気おぼろげな記憶を引き出す。

彼の回答は大まかに合っていたようで、ハクバイは一つ頷いた。


「我が身と妻は、美濃みの焼の一種である織部おりべ焼の技法で造られた一対の夫婦杯だ。我が身の方が最初に作られたのだが、次の代の主人がこの身一つで窯に供えられているのは寂しかろうと妻を作ってくれた。妻は黒織部で釉薬ゆうやくほどこされた大層な美人なのだが、赤絵で紅梅が絵付けされている所が黒との対比で洗練さに拍車をかけている。黒織部ということで白土の上に黒釉と鉄絵が描かれている王道ではあるのだが、黒白のそこに赤絵の花弁が見事に映えて、男前な雰囲気を優美なものにしているのだ。鉄絵で描かれた部分は我が身と同じ龍と、紅梅の花芯かしん部分だけであり花弁は本焼きした後に再度描かれ焼かれている訳だが、黒は艷やかに光を放ち、赤はくすまず美しく咲き誇っているのが本当に見事でな………。」


 妻の話になった途端に長舌になったハクバイは、口角を上げ目を煌めかせながら嬉しそうにしている。

生き生きと彼女に対しての賛美を語るハクバイの勢いが止まらず、このままでは一日経ってしまうと、直幸は慌てて彼を止めた。


「な、なんか専門的な用語があってよくわからないけど……奥さんの惚気話のろけばなしは今度聞くから!夫婦杯だから一体なんなんだ?何か特別なことがあるのか?」

「む、妻について語り足りないが……致し方無し話を戻そう。夫婦杯とは大小の酒盃で一揃ひとそろえであり、対というのはそれで一つなのだ。我が身がいて妻がいて、初めて一つの揃いであると言える。二つで一つなのだから、片方が欠ければこちらにも伝わるというものだ。」

「へぇ……そういう物なんだな。じゃあハクバイが消えたり壊れたりしたら、奥さんに伝わるってことか?」


 感覚か思考か……どれが繋がっているか人間である直幸にはわからない感覚であるが、対になっているというのは特別なものであるらしい。

片方がこの世から消えてしまったら、相手にも伝わるのか彼はハクバイに聞いてみると、彼は一つ頷きその問いに肯定をした。


「そうだ。だから我が身は我が身のまま、欠ける事なく妻を見つけなければならん。妻が心配するからな。」

「まぁ、俺はお前に魂握られてるから反抗も出来ないけど……でも、奥さんが無事に見つかるといいな。」

「うむ!だからこれからの長い道行き、色々あると思うがそなたの活躍に期待する。」

「俺も早く解放されたいし、できるだけ協力するよ。」


 直幸はこれから一緒に行動するハクバイに、よろしく頼むという気持ちを込めて右手を差し出す。

その行動に、ハクバイはキョトンと手を見やった。


「その手はなんだ?何か欲しいのか?」

「違うって!握手だよ、握手!!」

「握手?それは一体なんなのだ?」


 行為の意味がわからないのか、差し出された手をハクバイはそのまま見つめている。

その姿に直幸は、握手という挨拶が戦国時代には無かったのだと気付くのに、幾分か時間がかかった。


「えっ……江戸時代に握手の文化は無いのか!?そうだな、えっと…握手は挨拶というか、よろしく頼むって意思表示というか……。改めて握手を説明しようと思うと難しいな……後で検索結果を見せるよ。とりあえずの認識としては、挨拶だって思ってくれたらいい。」

「うむ、わかった。それならばその手を握るとしよう。」


 差し出された右手を、陶器のようなツルリとしてヤモリ特有の凹凸が手のひらにある前足が掴む。

キュッと軽く力が入ったその手は冷たくは無く、しかし温かい訳では無い曖昧な温度であった。

それでも握った手は確かに有ると感じるくらいに、しっかりとした感触を直幸は握手を交わす自らの手から伝わる。


 実感のある感触が、ハクバイの一方的に交わした契約が夢じゃないことを改めてわからせる。


 自分はどうなるんだろう?直幸自身は解放されればすぐにでもこの世界から消えてしまいたいのに、それが叶うのは随分先になるだろうと言う事がわかってしまった。

握手をした手を離して再びゼリーを食べ始めるハクバイを横目に、直幸は今後の事をうれう。


 それでもどうにもならないので、直幸も包装紙を剥き終わったオニギリを一口頬張る。


不安な気持ちや心配、鬱々とした想いを米粒と共に咀嚼し、直幸はゴクンとそれを飲み込んだ。










第二話 了



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