第二話 ハクバイ初めての現代探検(二)
使い込まれた紺色のスニーカーを履き、ニスで塗られていたかもしれない剥げた焦げ茶色の扉を開いて、直幸達は外に足を踏み出して歩く。
雲一つない晴天はどこまでも続いていて、空の彼方にある宇宙の星々さえも見えてしまいそうな気がした。
今日は例年よりは暖かい陽気のようで、昨日の冷たい雨を体感したからか太陽の陽射しが心地よく感じる。
アパートの部屋から出たハクバイは、二階から一階へ降りる直幸の肩から周辺を見渡した。
直幸の歩くトントンと小気味良い足音が、狭い金属の階段から響いてくる。
赤だったのだろうトタン屋根に、象牙色の所々汚れた壁の古い昭和レトロなアパートは、二階に三部屋、一階に三部屋あるらしく、直幸が出た部屋には【ニ〇三】と名札がつけられている。
側面には【コーポ吹雲】と書かれている錆びた大きな看板が貼り付けてあり、一部の壁に蔦が蔓延って縦横無尽に育っていた。
蔦が壁を這って繁る姿から、長くこのアパートはここに存在しているのだろうとハクバイは思う。
直幸の住むこの地域は氏神の神社がある為か、はたまた保存活動が活発なのか、江戸の武家屋敷や庄屋の住む屋敷の様な建築物も少なくは無い。
向かいを見ると立派な白壁の塀が長く続き、その塀の上には綺麗に手入れされた松の木が天へと健やかに伸びていた。
アパートの隣にはハクバイの見たことがない、現代的な建売住宅が数戸ほど似たような様相で建ち並んでいたり、錆びたトタン屋根の家屋があったりと色々な時代が混在して存在している感じを思わせる。
しかしながら江戸時代前生まれの彼にしてみれば、その全ては初めて見るものばかりだった。土塀こそ見覚えはうっすらあれど、トタンや硝子の窓などは見たことも無かった。
砂利や小石の混ざった土の道は黒く硬い石…アスファルトで覆われ、コンクリートの電柱に森から見えていた黒い線…電線が張り巡らされているそこは、ハクバイにとっては異なる世界に来たように思えるだろう。
彼はキョロキョロと、周囲を眺めて観察していた。
「改めて周りの景色を見渡しても、えらく奇っ怪よの。あの廃窯にいた時は森の外が燃えておったり、轟音や甲高い音が響いておった事も稀に有ったので何事かと思っておったが……何があればこのように様式が変わるのか……。」
「……気になるなら、コインランドリーの待ち時間の時に年表を調べてやろうか?」
「うむ、よろしく頼む。」
コクコクと楽しそうに頷き、ハクバイは周囲の観察に戻っていった。
その様子に直幸はため息を一つついて、雨上がりのまだ少し濡れているアスファルトの道路を歩き始める。
長く続く白壁の終わり、十字路の信号を屋敷から離れる様に右へ曲がり、車の走る一車線の道路を左に見ながら進んで行った。
この道にはコンビニエンスストアやカフェ、陶磁器の卸問屋等があり、このまま真っ直ぐ進みもう一つの信号を越えると、この町内の氏神神社である練生神社へ行くことが出来る。
先程曲がった信号から数十メートル先にある行きつけのコンビニ、その隣の同じ敷地に今回の目的地のコインランドリーがある。
入口のある前面がガラス張りで、洗濯機の中の使用状況が一目でわかりやすく確認出来る店内には、利用客の姿は見えない。
横長の店内には十数台のコイン式全自動洗濯乾燥機と、青い座面のベンチが四基設置されており、つるりとしたフローリングみたいな床材が室内に温かみを与えている。
壁際に何台も洗濯機が置かれている光景に、ハクバイは目を見開き、直幸の肩に手をつき前へ身を乗り出して眺めた。
「おぉ…これは丸い窓か?窓が付けられた同じ物がいくつも並んでいる……。これが『こいんらんどりー』なるものなのだな……。」
チラリと店内に誰も居ない事を再度確認して、彼はハクバイの質問に答える。
「…まぁこの施設の名称自体がコインランドリーって名前だよ。この洗濯機って機械に洗濯物を入れてお金を投入してスイッチを押すと、大体三十分くらいで洗濯が終わるんだ。」
「ほぉ…?三十分とはどの位の時なのかわからぬな…。」
「あ、江戸時代って今と時間の数え方が違うのか…。少し待っててくれ、先に洗濯物を入れちゃうから。」
直幸は空いている洗濯機に持ってきた洗い物を放り込み蓋をして、お金を入れてコースを決める。
中身が回り始めたことを確認したのち近くのベンチに座り、リュックサックからスマートフォンを取り出した。
端末をスリープモードから起動してパスワードを入力すると、立ち上がったホーム画面の上にある検索エンジンにキーワードを打ち込んで、良さそうな説明を選び内容を伝えた。
「お前の生まれた時代は一日十二刻で別れていて季節によっては一刻が長かったり短かったりしたみたいだけど、現代は原子時計っていうなんか凄い正確な時計を基準にしているんだ。秒、分、時って言う単位があって、六十秒が一分、六十分が一時間になる。お前の感覚だと…半刻が大体一時間かな?三十分だと半刻の半分くらいになると思う。」
「ふむ?つまりは四半刻だな。なるほど、一定の時を刻むのは正確さが出て良い事だ。日ノ本の時間は何処か基準となる場所はあるのか?北は陸奥国から南は薩摩国や大隅国まで広いだろう?」
「廃藩置県が江戸幕府が無くなった後おこなわれて、今は薩摩とかは無いんだ。今の日本は北海道…昔の蝦夷地から琉球王国のあった沖縄県までが今の日本だよ。」
ほら、と直幸は今の四十七都道府県が記入されている地図を画像検索して、画面を見せる。
ハクバイは画面を覗き込み、自身の覚えていた地域と地図の名前を照らし合わせているようだった。
「で、えっと基準になる場所だったな。イギリス…は、わからないか…えっと日本の外の国にある本初子午線がこの世界の標準時になっていて、この国はその世界基準から約九時間離れているんだ。ちょうどその時間ぐらい離れてる場所が兵庫県明石市にあって、日本の標準時の基準になってるんだよ。明石市の場所は……昔の播磨国の辺りになると思う。」
「外つ国と言うよりは異国の者等と言ったほうが良いか…伴天連の国だろうか?徳川の世でも多少交流があったと記憶しているが、今の世は密接に関わり合っているのだな…。地図を見るにどうやら江戸幕府は滅んでいるようだが、その後の歴史も教えてもらうぞ。」
「ああ、わかってる。年表を見ながらわかる範囲で説明するから少し待ってほしいんだけど…。」
検索エンジンに今度は日本史に関するキーワードを入れて、日本の歴史が簡潔にまとめられた年表を探しだす。
昨今は小中学生もインターネットから情報を検索出来る時代である為か、その辺りの世代が理解できそうなわかりやすい表が複数検索出来た。
その中でも直幸が伝えやすそうでわかりやすい年表を発見し、それをハクバイに見せながら江戸時代初期から近現代までを簡単に説明する。
明治以降は世界地図も調べながら、歴史に関わる大国が何処にあるのかもフワッと曖昧に教え、ついでに今後の生活に関わるので産業革命の説明の時に、今の動力は電気で動く物が多い事も伝えた。
「…で、今は西暦二〇二X年。色々と世界ではまだ紛争や争いが起こってるけど、日本国内での戦いは無いよ。まぁ、嗜好や思想は個人の自由になってるから意見の対立とかはある。特にインターネットを使うSNSとかは匿名性があるから、批判も言いやすくなって良い事も悪い事も雑多に混じってるかな。」
「意見の対立はいつの世にも有ることよ。しかし…ふむ…異国…西洋で起こった産業革命と二度の世界的な大戦…。発展した科学の証明により、自然への畏れも薄まったか…。なるほど、だから神の気配も薄いのだな。」
「神の気配?神様には気配があるのか?」
「それは…おっと、洗濯機なる絡繰が止まったようだぞ?」
四十分ほどの時間はあっという間に経ち、洗濯機は役割を終えて止まっていた。
ハクバイは話を一旦止め、直幸に次の行動を促す。
「神の気配については、また今度でもいいだろう。そう神に会えるわけもなし、特別伝えたほうが良い事でも無いからな。次は飯を『こんびに』なる所へ調達する為に行くのだろう?」
「えっ、途中で止められると気になるけど……わかった。でも荷物になるから取り出す前に、隣のコンビニに行くよ。いつもは洗濯を待っている間に行くんだけど、お前への説明もあったし…。」
「ふむ?確かに荷物を一旦取り出さずに置いた方が、邪魔になるまい。しかし、長く置いておく事もないから、早急に昼餉を買いに行くのだ。」
よっとと、少し勢いをつけてベンチから立ち上がり、リュックサックを背負い準備をする直幸の肩に居るハクバイは、黒く艶めいた双眸を電灯の明かりで煌めかせている。
それは未知なるモノへの好奇心も合わさっているのか、無機物で出来ているはずなのに生き生きと輝いていた。
彼等はコインランドリーの自動ドアを出たあと、同じ敷地内にあるコンビニエンスストアに向う。
入口の硝子で出来たドアを手で押すと、軽やかなメロディーが店内に木霊して一人と一体を出迎える。
「いらっしゃいませ~!」と元気に挨拶をする店員の声を聞きながら、入り口付近に積まれていた小さな買い物カゴを手に取り、まず最初にと飲み物を選ぶためペットボトルの飲み物を売っているゾーンへ足を進めることにした。
その間もハクバイは窓側に置いてある雑誌やATM、課金用のカードやちょっとした日用品を物珍しそうに眺めているようだ。
「ふむふむ、色々な物があるのだな……カタカナ表記の物はきっと外来語なのだろう?豊富な種類の品物が綺麗に並べられており、種類の多さが観察していて楽しいな。」
「そうか、まぁ、楽しいなら良かった。」
直幸は彼に対しての返答の言葉を呟いてからハッとして辺りを見渡し、誰も近くにいない事を確認してホッと安堵するが、その様子を見たハクバイは、ニヤリと愉快そうに笑った。
「気にせんでも良かろうに、小心者であるなぁ。ここには店の者以外に人なぞおらんぞ?」
「いないけど…!」
あまり話したくはない為に、直幸はヒソヒソと声の音量を下げて囁く。
「ま、良いだろう。そなたが声をひそめて話す事は許そう。我が身もそこまで鬼では無いからな、声の大きさは問わない事とする。して、この硝子戸の棚に置かれている透明な瓶が飲み水の入っている商品なのだな?」
「…そうだよ。」
「回答が端的過ぎるぞ、もう少し説明やら何やら入れて話すのだ。…それとも言霊で縛られたいのか?」
「…ッ!」
ただでさえ一番望んでいた〈自ら死ぬ事〉を禁止されている中、行動が制限されるモヤッとした焦燥は、長らく罵詈雑言を受け続けた直幸にとって苦痛でしかない。
これ以上命令されたくも無い直幸は、ハクバイを憎々しげに睨んだが、その後何もならないと諦めてため息を一つ長く吐いた。
「ハァ……お前の推測通り、この棚には飲める品物が置かれてる。水もあるけど、お茶やコーヒー、ジュース…はわからないか、甘い飲み物とかあるよ。」
「ほぉ?して、そこな徳利に似ている容器は何という名なのだ?」
ハクバイがその爬虫類独特な指で指し示した物は、麦茶の入ったペットボトルだった。
「あれはペットボトルだよ。作られている詳しい素材は知らないけど、ガラスで出来てるわけじゃない。それにペットボトルはガラスより割れにくいし、軽いから持ち運びもしやすいんだ。」
「『ぺっとぼとる』…それがこの容器の名前なのだな…。そうだ!そなたが『ぺっとぼとる』なる物を取り出すとき、触らせてもらえるか?」
硝子戸の内側にある商品達を眺め、ハクバイはそう直幸へ告げた。
先程の掃除の時にゴミ袋を触っていたので、そういった素材に興味があるのだろうと想像し、何も疑問に持たず直幸は了承する。
「ああ、いいけど…。ほら、どうぞ?」
開き戸の扉を右手で取っ手を掴んで開き、空いている左手で麦茶の入っているペットボトルを取り出して、冷気が必要以上外に漏れ出ないよう素早く扉を閉める。
そのままハクバイの近くに容器を持っていくと、彼はその独特な指をペットボトルに這わせ真剣な眼差しをそれに向けた。
一瞬、困惑した様な表情をした後、ハクバイは触れていた手を離さずに呟く。
「ふむ……ふむ?ペットボトルと呼ばれるこれは……ぽ、『ポリエチレンテレフタレート』という名前の物質で出来ているのだな。分類としては人工で作られた樹脂であり、性質は耐熱・耐寒・耐水に優れ加工がしやすいのか……なるほど良い素材であるな、野外に放置すると劣化しやすいのは難点だが。あのゴミ袋もポリ…えちれん?なる名前の物質らしかったが…昨今の世の中では『ポリ』なる素材がよく使われているのか?」
ポリエチレンテレフタレート……それは普段購入している直幸も気にしていなかった、ペットボトルの表記にある『PET』の正式名称だった。
ゴミ袋の時に何も質問されなかった素材の名称であるポリエチレンも、直幸がまだ教えていないのにその口から単語が出てきたので彼は目を見開く。
横文字の発音にまだ慣れていないのだろうスラスラと話せている訳では無いが、間違いなくその名称の事を指していた。
直幸は思わず驚愕して、少々大きな声で話してしまった。
「何で教えてないのに、その名前を知っているんだ!?」
「うむそうだな……今、ここでそれを説明しても良いのだが…店員が訝しげにこちらを見ているからな、後で説明してやろう。」
ハクバイの言葉を聞いてチラリと後ろを振り向くと、レジの中で眉を顰める若い女性の店員がいて、直幸は思わずぺこりとお辞儀をしてしまう。
その姿を見た店員は、こちらに向けていた視線をサッと逸らした。
気不味い雰囲気が店内に漂い始め、直幸も居心地が悪そうに飲み物売り場の硝子戸に目を戻す。
すると一連の様子が可笑しかったのか、ハクバイはクスリと笑っていた。
「気を付けていたのにっ、くそ…。」
「ふふ、愉快である。が、そなたが岡っ引きに捕まっては妻を探せぬからな、他に手にする物が無いのなら次の場所に急ぐがよい。」
「わかってる…!」
そう言うと、直幸は手にしていた麦茶のペットボトルをカゴに入れたあと、天然水の入ったペットボトルを取って同じようにカゴの中へ入れた。
それから弁当やおにぎりが陳列されている場所へ向うが、その途中でハクバイの目が輝き、直幸の首を掴んで引き留めようとする。
「直幸、そなた少し待つのだ!!そこなる場所に置かれているこの綺麗な物は、一体何なのだ!?」
「うぐっ……首が締まっ………!!!」
「何をボサッとしておる!ここにあるぞ、ここだ!!」
興奮したハクバイは気付いているのかいないのか、前足に力が入り直幸の首が締まっていく。
直幸は段々と息をする事が苦しくなって、思わず首に手をやってその拘束を外そうとしていた。
「いや、わかったから…く、首から、前足…手を離して……。」
「あ、すまぬすまぬ。面白き物を見てしまい興奮してしまってな、そなたをこの場に留めようとつい首に手を掛けてしまった。」
直幸の首から五本指の手を離しながらハクバイは謝るが、それでも彼はその一点から目を離さない。
直幸は彼が熱烈な視線で見つめ続ける何かが気になりそちらに目を向けると、そこにあったのは冷蔵用の陳列棚だった。
ヨーグルトやプリンは勿論のこと、ケーキやティラミス等のコンビニ限定のスイーツやスーパーでも市販されているデザート系の商品が種類別に陳列されている。
上の常温のゾーンには饅頭や羊羹などの和菓子が個包装で置かれ、和菓子好きにも嬉しい物になっているだろう。
甘い物好きならどれを買おうか迷ってしまいそうなほど種類に富んでいるそこで、ハクバイが興味を示しているのはゼリーだった。
上層の透明なゼリーの下……ちょうど中層にあたる部分に果物の果肉が沈んでいて、下層は白く不透明な…杏仁豆腐か牛乳プリンになっている。
その少し凝った作りをしているゼリーを、まるで宝物を見つけたかのようなキラキラとした瞳でハクバイは凝視していた。
「その水菓子が中に入っている、透明で美しい物は何なのだ?白い層の上に水菓子が乗っていて、二層になっている様子がとても麗しい…。まるで、細工された玉のようである。」
目を細めて眺める様子は、秀麗な美術品を鑑賞するそれに似て、素晴らしい物を見て感動しているようだった。
「これは、このコンビニ限定のゼリーだな。ところで水菓子って何だ?どれの事を言ってるんだ?」
「うむ?今の世では水菓子と言わぬのか?白い方は多分桃だと思うが…こちらに見えるのは柑橘だろう?切り身になっているが、それぐらいはわかるぞ。」
そう言ってハクバイが指で指し示す物は、確かに果物の蜜柑や白桃であり、果物の事を水菓子と呼んでいるらしい。
「この物の括りの事を言ってるのなら、現代で呼ばれているのは果物か、そうだな…後は果実とかフルーツかな。」
「水菓子は、果実や果物と呼ぶ……ふむ、あいわかった。『ふるーつ』とやらは外来語なのだろうが……言葉とは如何様にも解釈出来るモノであるし、洒落た言い回しも生まれるモノである、のだが…ここまで言葉が変わっていると面白いな。」
ジェネレーションギャップは感じつつも時代がだいぶ離れているからか、むしろ新しい場所に訪れた様に楽しんでいるのか、ハクバイの顔に困惑の表情は見られず、キラキラと好奇心に目を輝かせている。
その知識を得ようとする姿勢には感心するが、直幸自身は色々な物を知っている訳ではないので、上手くハクバイの質問に答えられずもどかしさを覚える。
彼にスマートフォンの使い方を教えた方が早いのでは?とさえ思っていた。
なので直幸は、尋ねるのは面倒ではないかと、ハクバイに聞いてみることにする。
「いちいち俺に聞くのは、面倒じゃないか?俺もあんまり知らないから、上手く答えられないし。」
「良い良い、今の庶民が持ち合わせている常識を知る事が出来ればよいからな。大名の様な財を持っている者は持っている者で、常識やルールなどもあるだろうが見た所そなたはそうでは無さそうだ。そなたとて、高貴な者と会う機会など滅多にあるまい?」
直接的な単語ではないが直幸の事を、金持ちでは無いし、また、裕福な者と会う機会も無いだろうとハクバイに言われてしまった。
直幸はそれに苛つきはするが、確かにお金持ちでは無いし知り合いにもいないので、言葉に詰まってしまい返答を返せず、顔を苦々しく歪める。
その行動を無言の答えと受け取ったのか、ハクバイは楽しそうに笑っていた。
「ふふ、大半の者はそうであるが故、気にするでない。さて、その『ぜりぃ』なる物を食してみたいから、そなたが手に持っている素材の違う竹籠に似た容器に『ぜりぃ』を入れるのだ。勘定の仕方は昔とそう変わらぬとは思うのだが………今の世も、買いたい品をまとめて店の者へ持っていくのだろう?」
「会計方法は大体そんな感じだけど、そのゼリーが欲しいのか?まぁ、いいか…。」
直幸は見慣れているゼリーにそこまで興味津々なのかわかりかねたが、高価な商品では無いし買ってあげることにした。
ふと、ハクバイは甘い物が好きなのか気になり、彼は質問してみる事にした。
「お前は甘い物が好きなのか?」
「そうだの…供物として捧げられた物の中だと好きな方ではあるが…甘味は饅頭等の菓子よりは、水菓子…果物の方が好いておるぞ。後は酒だな、特に高い酒が贈られた時は嬉しかったなぁ。」
古い記憶を思い出すように、ハクバイは目線を斜め左上位に向けて話し始めた。
どうやらハクバイの居た豊結窯では、窯に供物を供えていたらしい。
酒の話題になると舌舐めずりを一つおこない、つばを飲み込む姿はその時の味を思い出しているようだった。
直幸的には付喪神が、供物を味わえるのかが気になっていた。
「供物…?お前は実体が無いんだろ?実際に食べられたのか?」
「捧げられたのだから食していたぞ?しかし完食するとなぁ……何をせずとも無くなったと怖がられてしまうからな、一口一舐め程度しか食せなかったが……。しかし、供物に乗せられた祈りは、全て受け取り、願いを成していた。」
自身に……というよりは、自身が守護していた登り窯に捧げられた供物について述べていたハクバイは、その捧げ物に込められた意味や願いの話になると、先程までとは違い、凛と清廉な雰囲気を纏わせながら語っていた。
たとえ祟り神に成りかけていたとしても、窯守であり付喪神であるという矜持が、そうさせているのだろうか?
現代日本では無宗教な一般人も大勢いるが、昔は宗教と日常が今より近かったのかもしれないと、直幸は話を聞いて思った。
次に彼が気になったのは、毎日供物を供えられていたのかだった。
「いつも供物を捧げられていたのか?」
「ん?いや……いつもではなかったな。主に窯を焚く時に供えられていた。…火が何処にも燃え移らぬように、良き陶磁器が焼けるように…そういった願いが全てだった。」
「そうなのか…。捧げられた物はどんな物が多かったんだ?」
「基本は御神酒と塩だが、正月の初窯や節句に窯焚きが重なる時は、目出度い品や旬の物が多かったな。スルメが供えられた時には、それはそれは酒が進んだものよ。」
楽しげに供物の種類を述べていたハクバイは、やはり御神酒…酒とおつまみの印象が強いスルメの話をしている時が、一番弾んだ声を出している。
どうやらこの窯をずっと守護してきた付喪神は、お酒とスルメが好物のようだ。
「ふむ……供物の話をしていたら、早く『ぜりぃ』なるものが食べたくなってきたな。人間なぞ憎き憎きと思うが…人世の知見を広めると、新たな良き物に出会える。物を創る事は、やはり人間が大神より与えられた恩恵よな。」
頷きながら納得するように話すハクバイに、直幸はこの神か何なのかよくわからない存在は、本当に人へ憎しみを持っているのか疑問に思う。
そんな彼の考えなど気にもせず、ハクバイは彼を買い物の続きへ戻す。
「さて次はそなたの飯を買うがよい。話し込んでしまったから、早急にな。」
命令されているようで直幸は嫌悪感を感じたが、確かに少々長く店内に居た様な気はしたので、彼は足早におにぎりや弁当の置かれている棚に向かう。
包装フィルムに包まれ綺麗に並んだおにぎりやサンドウィッチなど片手でも持てる物や、種類豊富な弁当の並ぶ陳列棚も好奇心旺盛な瞳でハクバイは見つめていたが、その口から質問が漏れる事は無かった。
先程まで話していたせいもあるのか、直幸はつい質問は無いのか聞いてしまうが、そうやって聞かれるとは思っていなかった彼はキョトンと直幸の顔を見つめる。
「一息に話しては、楽しみが減るというもの。脳内でその物の意味を思い描く事も、また意味のあることぞ。」
と、彼は述べてまた商品を眺める行動に戻っていった。
直幸も気を取り直して、今日の昼飯と夕飯を選ぶ。
少々迷っていたが、彼は梅と鮭のおにぎりを一つづつと豚カルビ丼に決めたようで、それぞれの商品をカゴに入れてレジに運んだ。
ハクバイとの会話…他人には独り言に聞こえるそれや、思いの外長く居た事もあって、不審者を見る様な目で店員から見られていた。
その視線に直幸は耐えきれず、羞恥心から思わず下を向いてしまう。
店内に気まずい雰囲気は流れたものの、お金のやり取り自体はミスもなく終わり、有料のビニール袋に入れて貰った商品を受け取って、「ありがとうございました~」という店員の声を聞きながら一人と一体はコンビニを後にした。
第二話(三)に続く