#5
「すみません、お待たせしました」
両手で丁寧に紙袋の紐を持ちつつ、雲雀さんはパタパタと小走りで駆け寄ってくる。
俺は大丈夫ですよ、と。そう返しておいて。まあ、多少待ちはしたものの、実際そんなに長い時間は経過していないし。ちょっとレジが混んでいればそんなものだろう、と。そう思うくらいだった。
夕方のスーパーのレジとか比べ物にならないくらい並ぶしね、うん。
それにしても、思っていたよりも紙袋が大きい。現物を先程見ていたときの、あくまでその体感にはなるが。もう半分くらい小さいサイズでも入りそうな気はするが。
まあ、服飾品ではあるのでシワがつかないように大きめのものに入れてもらった、とかだろうか。
「雲雀さん、それ、持とうか?」
「いえ、大丈夫です。お気遣いいただき、ありがとうございます」
ニコリと、雲雀さんは笑いかけてくれつつ、そう言ってくれる。そういったちょっとした仕草に、少しドキリとしてしまう。
そんな照れを隠すかのようにして、それじゃあ行こうか、と。俺は言う。
そのまま、二人で並んで歩きながらに。そういえば、強はなにを作ってみたいの? と、そう尋ねてみる。
「そうですね。……オムライス、なんてどうでしょうか?」
「オムライスか。卵ならまだ冷蔵庫の中のやつが残っていただろうから、チキンライスに必要なものを買わないといけないね」
あとは、併せてサラダや簡単なスープくらいつければ、雲雀さんのお眼鏡に適うだろうか。まあ、作るのは俺ではなく、本人なのだけれども。
頭の中でざっくりと必要なものを概算しながら、ショッピングモールの中に入っている食料品店へと向けて歩いていく。
楽しそうに周囲を見て回る雲雀さん。普段だとこうやって目的外のものへと視線をやることはほとんどない……というか、そんな余裕がないのだけれども。しかし、こうした買い物の楽しみもあるんだなあ、なんて。そんなことを考えていると。
ふと、目についたそれに。俺は思わず、雲雀さんの手を取る。
「あ、あの。ちょっとこっち!」
「……えっ?」
俺の突然の行動に、雲雀さんが素っ頓狂な声を出しつつ。しかし、それでも引っ張るその腕についてきてくれる。
しかし、痛かっただろうなぁ。とか、そんなことを考えつつ、後でなんて謝ろうか、なんて。しかし、とりあえずはこの場から去るために、ひとまず視線を遮れる細い通りに入り込む。
「と、とりあえずここなら大丈夫かな……」
トイレや自動販売機、喫煙所なんかが設置されているそこには、人はいるにはいるものの主には休憩しに来ている人ばかりで、メインの通りと比べてみれば、随分とゆったりとした時間が流れているように感ぜられる。
ふう、と、ひと息つきながら俺が安心していると。不思議そうな顔をした雲雀さんがこちらを覗き込んでくる。
「あの、どうしてこちらに? その、ええっと」
「あ、ああ。ごめんね? なにも言わず、急に連れてきちゃって」
もしかしたらトイレに行きたいのかと疑われているのかもしれないので、それについては否定をしておいて。ついでに、ちゃんと理由を説明しておく。
視界の端に間違いなく映った、見覚えのありすぎる制服のことを。
「ええっと、つまり。高校の人がいたから、慌てて逃げてきた、と?」
「まあ、そうなるね。誰がいたかまではわからなかったけど」
「……それは、なにか問題なのでしょうか? ここは学校からも近いですし、訪れる方も多いとは思いますし、大丈夫なのでは?」
キョトンとした様子で、雲雀さんはそう言い放つ。
そう、本来ならば微塵も問題はない。別に出禁を食らっているわけでもなければ、休日に身近なショッピングモールへ訪れるなんて、茶飯事とは言わずとも、ごく普通のことだ。
実際問題として、俺がここで誰かと会ったとしても、普段であればこんなふうに逃げることはしない。こちらからしても、相手からしても、それは普通のことなのだから。
だかしかし、今は違う。なにより、隣にいるのが雲雀さんなのだ。
俺の方は有名でもなんでもないから、制服を着用していない現在、知り合い以外で所属がバレることもない。なので、特段問題になることはないのだが。
しかし、校内でも顔が知れ渡っている雲雀さんはそうはいかない。
彼女が、男と連れ立っていた。なんて、そんなことを噂されてしまえば、間違いなく野次馬が雲雀さんのもとに訪れてしまう。
「ま、まあ。その。もし知り合いだったら、ちょっと恥ずかしいかなーって、あはは……」
「ふふ、それでここまで逃げてきたのですね。わかりました。それでは、ちょうどいいことですし、少し休憩していきましょう」
そのまま雲雀さんは自動販売機に近づいて、なにか飲まれますか? と。
さすがに自分で買うよ、と。そう言ったのだが、これくらいなら大丈夫ですと、そう言われてしまう。……情けない話だが、正直ちょっとありがたくはある。
「じゃあ、水で」
「そんな遠慮なさらないでください」
「ええっと、なら、お茶で」
「こちらのジュースにしますね!」
ガコン、と。そう音を立てて、取り出し口へとペットボトルが落下する。
はい、と。差し出されたそれに、俺は少し申し訳なくなりつつも。ありがとうと伝えて、それを受け取った。
ちょっとしたハプニングはありはしたものの、ひとまずなんとか必要な買い物を終えて、アパートへと戻ってくる。
「それじゃあ、早速だけど、いろいろと準備を――」
「あ、その前に。せっかく買ってきたのでエプロンを着ましょう!」
そう言って、雲雀さんは先程まで持っていた紙袋から、エプロンを取り出す。
そのまま手際よく着用していって、くるりとこちらへと振り向いて。そして、ニコリと笑いかけてくる。
「どうですか?」
「ええっと、その……」
突然に振られたその言葉に、思わず一瞬ドギマギしつつも。しかし、ここでなにも言葉をかけないわけにもいかず、よく似合ってるよ、と。そう伝える。
実際、とてもよく似合っている。こういう視線で見るのは失礼になるかもしれないが、はしゃぐようにしてくるりと回りながら自身の身体を確認しているその姿はあどけなくて。そんな姿にエプロン姿が相まって、少し背伸びした子供のように見えてくる。
「それで、オムライスを作ろうって話だけど。とりあえずひとまずはお米の準備を……」
「あ、その前に!」
雲雀さんは言葉を遮ると、そのままさっきの紙袋に手を突っ込むと、中からなにかを取り出す。
黒色の、布っぽいなにか……なんというか、さっき見たような、そんな気がするのは気のせいだろうか。
「これを、悠也くんに」
「ええっと、これは……エプロン?」
受け取ったそれを拡げてみると、ああ、そうだ。雲雀さんのエプロンを買ったときに、同じ棚に横並びで並んでいたエプロンの中のひとつだ。
サイズも違うし、意匠としても雲雀さんのイメージとは合わないな、と。そんなふうに思っていたから記憶の端に押し込んでいたのだが。……というか、さっき雲雀さん。これを俺に、って?
「はい、今日せっかく付き合っていただいたので。そのお礼に、と。……あまりエプロンは着用されないとの話でしたが、あって困るものではない、とのことだったので」
まあ、それ自体は事実だ。しかし、エプロンだって安くはないだろうに。
いくらだったっけ? と、そう聞くも。忘れちゃいました、と。そうとぼけられる。……レシートを見ればわかることなのだが、果たしてそれに気づいていないのか、あるいはわかっていてとぼけているのか。
「よかったら、それをつけて一緒にやりましょう!」
「……わかった。それなら、ありがたく受け取るよ」
ふと、一瞬これってペアルックなのでは? なんて。そんなことを思いはしたものの、エプロンだけでペアルックだなんてそんなことはないだろうし。なにより、雲雀さんにそういう気は無いだろうから、ひとまず忘れておくことにした。
ひとまず、頂いたエプロンを身に着けて。お世辞だろうが、雲雀さんから「とてもよく似合ってます!」と、そう言ってもらって。
……ちょっと、嬉しいな、これ。建前だとわかってても。
ともかく、ふたりともに準備ができたので、料理を開始していく。
「とりあえず時間がかかって、なおかつ放置で料理が進むご飯から作業しようか」
「はい!」
とは言っても、昨日に確認したときに雲雀さんの持っている米が無洗米だということは把握している。なので、特段研ぎ洗いの必要性はなく、必要分だけ計量して、炊飯窯に入れ。水を張る。
ついでに、炊飯器についても最新式の高性能なもの(なぜか俺の部屋についているのも同性能のものなのだが)なので、浸漬などの必要もなく。そのままスイッチを入れておけばOKという素晴らしい代物だった。
「その、昨日も思ったんですが、浸漬とはなんでしょう?」
「ああ、古いタイプの炊飯器とか、あるいは鍋とかでご飯を炊こうって場合に必要な工程なんだが。ご飯って炊く前に、あらかじめ米にある程度水を吸収させる必要があるんだよ」
昔、俺がそれを知らずにやらかして、芯の残ったご飯が炊きあがってしまったことがある。
「まあ、さっきも言ったように最近の炊飯器ならそのあたりも勝手に調整してくれるやつも多かったりするから、使う前に説明書とか確認してみるといいと思うぞ。まあ、他の家電についても同様ではあるが」
意外としっかり読んでみると、思っていた以上に多機能だったりする。
特に、ことご飯――もとい炊飯器については、日本人という人種が尋常じゃないくらいにうるさく。そして企業がそれに答えるために心血を注いでいるために、めちゃくちゃな発展を遂げている。
ともかく、スイッチを入れて準備完了。続いて、別の作業に取り掛かる。
「サラダに関しては、正直誰かのために作るとかでなければ、適当に、好きに作ればいいとは思ってる」
「買い物のときにもそう仰られてましたよね。だから、好きな野菜を買うといい、と」
もちろん、特定の料理に合わせる、とか。そこまで気にし始めるといろいろと食材の取り合わせとかを考えたりするのだが。少なくとも自分で食べるだけなのであれば、主に栄養バランスを整える目的で食卓に並べることになるので、自分の好みでいい……と俺は思っている。
「処理についても基本的に傷みなどがないかを確認して、軽く水洗い。それから、切るなりちぎるなりすればそれでいい」
「ちぎるんですか?」
「レタスなんかはちぎるだけで十分だ。もちろん包丁で切ったらだめってわけではないが、わざわざ切るほど硬くもないし、基本的に盛り付けるときもある程度の大きさを維持するからな」
ちなみに今回は、シンプルにレタスとキュウリ。それからトマトを購入している。
レタスは先程伝えたように、ちぎって小さくして。そして、キュウリは斜め切り、トマトは櫛切りに――、
「あの、悠也くん。ええっと、その、包丁は……」
「ああ、そうだな。危ないから使い方を説明しておかないとな」
そう言いながら、俺は少し彼女に近づいて、持ち方なんかを説明する。
「そう、それで左手は丸めて食材をその手で抑える感じで」
「あっ、聞いたことあります。にゃんこの手、ってやつですね!」
「にゃん!? ……あ、ああ。そうだな。にゃんこの手だな」
間違ってはいないのだが、思っても見なかった言葉に思わず驚いてしまう。
「そう。それで斜め切りはキュウリを斜めに置いて、そのまま切っていく感じ。それから櫛切りは――」
そうやって説明をしようとしていたのだが、思っていたよりも雲雀さんの手際がいい。
パパパッとキュウリとトマトを切り分けてしまって。俺が説明を終わるよりも先に完遂させてしまった。
トマトも、ちゃんと櫛切りになってるし。説明してないのに。……まあ、教科書とかにも乗ってるし、それを覚えてたのかな。
「それじゃ、それはお皿に盛り付けておいて。そしたら軽くまな板を水ですすいでから、今度はスープの準備をしよう」
とは言っても、こっちは簡単。
タマネギをいくらか薄く切って、お鍋に水とともに入れて。コンソメなんかで味を調整するだけ。
手早く作れて、ついでに美味しいので重宝してる。キューブコンソメ万歳。ありがとう食品メーカー。
料理したことがないという雲雀さんだが、その手際は本当に良くて。これで初心者なのか、と。そう疑ってしまうほどだった。
これについては、ただ単純にすごい、と。そう思う。
「スープについては出来上がったらそのままフタをしておけば、しばらくは温度が高いままだから。もし仮に冷めちゃってもあとから温め直せばいいだけだしね」
これに関してはコンロが三ツ口であることがとてつもない強みになる。
別の五徳に鍋を置いておけるし、そのまま加熱もできる。
今回はやっていないが、並行で作業もできるし。
前の家は一口しかなかったので、そのあたりがまあまあ不便であった。
「そしたら、次はオムライス……もといチキンライスを作っていこうか」
材料としては、さっき使っていたタマネギの残りと、それから鶏肉。ニンジンやピーマンなんかも入れてもいいが、とりあえず今回はこの二種類でシンプルに。
「タマネギは微塵切りにするんだけど、やり方わかる?」
「あっ! ええっと、その! 教えてもらってもいいでしょうか!」
俺がそう尋ねると、雲雀さんは大きな声でそう言う。
それならば、と。俺は彼女から包丁を受け取ると、そのまま見本代わりに半分を微塵切りにしてみせる。
「タマネギの場合は元々が層状になってるから、こんな感じで先に切れ込みを入れてから切ると、こんなふうになるよ」
「そうなんですね、なるほど……」
食い入るようにして見つめてくるので、ちょっと緊張しつつ。しかし、見本になるようにと丁寧に行う。
「どう? やれそう?」
包丁をまな板に置いて、離れつつそう聞く。
彼女は、はい、と。そう返事をして、包丁を握りつつ。
しかし、しばらく包丁を握ったままで固まる。
どうしたのだろうか、と。そう思っていると
「悠也くん! それで、ここはどうすればいいんでしたっけ?」
もう一度、近くに来て教えてくれませんか? と。
一度包丁を置いてから、クイクイとエプロンを引っ張って、彼女は俺を引き寄せる。
少し動けばあたってしまいそうな、そんな距離感で。
「……あの、雲雀さん? なんか、近くありませんか?」
あまりにも近すぎる距離と、それからくる緊張で。思わず敬語になってしまう。
「けれど、包丁は危険だと聞きました。やはり、悠也くんに手取り足取り教えてもらうべきではないでしょうか」
ふんす、と。そう自信満々に言い放ちながら。……いや、自慢げに言うことではないとは思うんだけど。
そうして、雲雀さんは包丁を握ると、さあ! と。
「ええっと、つまり俺はどうすれば?」
「ぜひとも、文字通り手取り足取り教えて頂ければ!」
それはそれでむしろ危なくないだろうか、と。……ついでにさっきの包丁捌きを見ている限り、わざわざ俺のアシストが無くてもできそうな気がするんだけど。
そんなことを思いながらも。さあ、さあ! と。そう急かしてくる彼女に、どうしようもなく。俺は彼女の手に身体を添えながらに、そのまま教える。
なにか、イケないことをしているような気がして。しかし、刃物を扱っているときにそういう邪念はよくない。
なんとか、邪念を頭から振り払いつつ。そのまま、彼女に教えていった。