#4
翌日。日曜日。
「それでは、行きましょうか!」
「お、おう……」
どこか少しテンションの高い雲雀さんに並びつつ、彼女の向かう先へと一緒についていく。
昨日の夕方。雲雀さんに料理を教えるべく、彼女の家の冷蔵庫の中身を確認したところ、卵と味噌と、あとは多少のものくらいしか入っておらず。
とりあえず、そのまま卵焼きと味噌汁を教えて。
しかし、さすがにこの程度であれば雲雀さんも調理実習などである程度やったような経験もあるため、そこまで大きな成長になったか、というと微妙なところらしく。
やはり、改めて別途教えてほしい、ということで。彼女に料理を教えるため……に、現在、そのための食材を買いに来ようとしていた。
「楽しいですね!」
「そ、うだな、うん。そうだな!」
まるで、遠足に来た子供にも負けないくらいのそんな声色の雲雀さんに。ちょっと戸惑いつつ。そんなに楽しみなものなのだろうか、と。
しかし、たしかに自分の記憶を掘り起こして見れば、初めておつかいにきたときの記憶というものは、それこそ一世一代の探検に来たような気持ちで。
もちろん、実際にどうだったか、という話をしてしまえば、そんなことは微塵もないのだけれども。けれど、そういう要領の話なのかもしれない、と。そう認識すれば、雲雀さんのそのテンションにも合点がいく。
合点はいく、が。それはそれとして。
「…………ううむ」
なにも思わないかといえば、それとこれとは話が別ではある。
俺の声に対して、雲雀さんは顔を覗き込みつつ、どうかされましたか? と。
そんな彼女には、なんでもないよ、と。短く返すものの。なんでもないわけがなくって。
(これ、いちおう外からの見た目的には、デートだよなぁ)
目的が目的であることや、雲雀さんのテンション基準なんかは少しズレてはいるものの。しかし、見てくれだけで言うなれば、高校生の男女が、休日に連れ立って歩いている、という体裁になる。
裏の事情など知るわけもない人間からしてみれば、これがデートに見えてしまうというのは当然だろうし、俺だってそっちの立場だとすると、そう思ってしまう。仕方のないことだろう。
だけれども、いざ自分が見られる側、としてそういう立場になってしまったとなると。なんとも絶妙に恥ずかしいような、やりにくいような感覚を覚える。
決して、雲雀さんのことが嫌だとか、そういうわけではない。どちらかというと、彼女との立場の違いを考慮するならば、むしろ勘違いを引き起こしてしまったならば変なことに巻き込んでしまって申し訳ない、と。そう感じてしまうくらいだったし。
とはいえ、生まれてからこちら十六年ほど。ほぼ感じたことのないような奇妙な感覚に襲われつつも、彼女の隣を歩いて。
そして。当然ではあるものの、その道について。
さすがは雲雀さん。一人暮らしをしているとはいえ、神宮寺グループの令嬢である。
いつも俺がお世話になっている格安スーパーに向かう道とは全く別の方向で。そりゃそうだよなぁ、なんて考えつつ。明日のおまんまにすら悩みが尽きない俺とは、同じ程度の部屋に暮らしているはずのに、天と地ほどの差があるよなぁ、と。そう感じてしまう。
しかし、同時にこっちの方にスーパーなんてあったかなぁ、と。そんなことも考えてしまう。
ショッピングモールなんかはあった記憶があるけど、スーパーの類は記憶にない。
基本的には格安スーパーのお世話になることは多いものの、安いものはしっかり安かったりするため、普通に別のスーパーも利用したりする。そのため、この周辺のスーパーはある程度把握していたつもりだったのだけれども。
(もしかしたら、雲雀さんのことだし。俺が訪れるのとは真逆の高級なスーパーに行くのかもしれない)
そうだとすれば、まあ知らないことにも納得がいく。
それでも見かけはするような気はしなくもないけれど、俺が興味を持つことがそもそもなくなるため、覚えていないだけという可能性が出てくる。
とりあえず、浮かんだ疑問にはそうやって自分なりの回答をつけつつ。納得して。……理解をした、ような気分になって。
あとからしてみれば、きちんと先にどこに行くつもりなのか、と。疑問に対して推測だけで話を決めずに、キッチリと尋ねておくべきだった、と。そう痛感をした。
まあ、そんなもの。怒ってしまった後からしてみれば、もうどうしようもないことなのだけれども。
到着です、と。そう声をあげる雲雀さん。
眼前に広がる大きな建物に。俺は二秒ほど固まってから。
「ええっと、雲雀さん?」
「はい、なんでしょう」
「ここは、どこです?」
「複合商業施設ですね!」
うん、知ってた――、なんとなく、途中からそんな気はしていた。
もしかしたらなにか別のところであるという、あり得ないような可能性に賭けたかったのだが。まあ、当然というべきか、そんなことがあるはずもなく。
やはり、記憶の方に間違いはなかったようで。こちらの方面にあるのは、ショッピングモールだったようだ。
「ええっと、一応確認してもいいかな?」
「はい、なんでしょう!」
「今日って、料理のための食材を買いに来たんだよね?」
「ええ、そうですね」
うん、やはりこの認識に間違いがないようだった。……いっそ、ここになんらかの間違いがあってくれたらよかったのに。
「なんでショッピングモール?」
「クラスメイトの方が、ここに来れば大体のものは揃う、と!」
ニッコリと、満面の笑みで答える雲雀さん。その純粋な笑顔が眩しく突き刺さる。
そんな彼女に対して、俺はどうにも苦笑いしか返すことができず。しかしながら、反応が芳しくなかった様子を見た雲雀さんは、どこか不安そうにしながら。
「もしかして、なにか、間違っていたのでしょうか?」
「あ、ええっと。それは……」
たしかに、ショッピングモールで料理のための材料を買う、という目的は、問題なく遂行できる。それこそ、そのクラスメイトが言っていたように、それなりのものであれば大体のものを揃えることができるから。
とはいえ、では、目的に即しているか、というと、かなり微妙なラインになってしまう。食材を買いに来ただけ、という目的であるならば、ショッピングモールは規模として過剰である。
「まあ、今日のところはここで買っていくことにしようか。今度からは、別の、もう少し便利なところを紹介するから」
「ぜ、ぜひ。よろしくお願いします!」
雲雀さんは、ぎゅっと胸の前で拳を握りしめながらに。こちらを見つめつつ、そう言ってくる。
かわいらしい所作だなあ、と。そんなことを思いつつ。
……しれっと、これが次の約束になってしまっていることには、気づかないのだった。
「いろいろな店がありますよ! あ、悠也くん。あちらを見てください、たい焼きを売っていますよ! その隣は、なんでしょうか?」
「ジュースの販売店だな。果物や野菜をミキサーでジュースにしたものを提供しているところだ」
まあ、俺のお財布事情からしてみれば高級品なので手を出したことはないのだが。
だがしかし、この状況は。……先程までの体裁を保っている状態であれば、いちおうは食材の買い出しのための同行、と。そう言い張ることが(苦しくとも)可能ではあったのだが。しかし、今のこの状況はどうだろうか。
ショッピングモールの中を、男女連れ立って歩きながら、あれやこれやと見て回っている。
うん、非常によろしくない。なにがよくないのか、ということを挙げ始めるとキリがないが。ただひとつ言えることとするならば、間違いなく変な誤解を生みかねない。
それこそ、例えばここは俺たちの通う高校からもそれなりに近い位置にあるわけで。ともすれば、ここに同級生が訪れてくる可能性は十二分にある。
俺の方は、いい。正直顔なども知れ渡っていない、ただの一般生徒だからだ。しかし、その反面で雲雀さんは学年どころか、学内単位での有名人であり。そんな人が男子と一緒にショッピングモールに訪れていて、あろうことか談笑しつつ、買い物を行っていたともなれば。……うん、波乱が起きるのが目に見えている。
「あ、あの。雲雀さん――」
とりあえず、目的を果たして早くに帰ろう、と。
そう伝えようとした、その一方で。
「楽しいですね! 悠也くん!」
キラキラとした、純粋な瞳を向けられてしまっては。それに抗える人間があるだろうか。
うん、必ずしも休日のショッピングモールに高校生が訪れているとは限らないわけだし。万が一誰かが来ていたとしても、こちらに気づかれなければ大丈夫なはずだし、と。
自分でも無理がある論理展開なのはわかっている。その言葉たちの意味するところは、そうあってほしいなあという希望的観測なのはわかっている。
「あ、悠也くん。こちらに来てください!」
だがしかし、この彼女の手を振り解けるほどに、俺の理性は頑丈ではなかった。
どうせ、時間ならあるのだ。なら、この時間をじっくりと楽しんだって、いいだろう、と。
ショッピングモールの中をしばらく歩いていると、ふと、雲雀さんが足を止める。
店舗を見てみると、どうやら調理器具の類が販売されている店であった。
入り口から、中をジッと見つめている彼女に向けて、どうかしました? と、そう尋ねる。
雲雀さんの家は、たしか調理器具の類はそれなりに揃っているはずだった。曰く、たまに使用人が作りに来てくれるから、そのときの道具が置かれている、と。
ちなみに、卵と味噌なんかが置かれていたのは、その使用人の人が「あったら便利ですよ」というので買っておいたものらしい。実際便利だし、それがあったから、簡素ではあるものの、昨日はなんとかなった。
まあ、使わなくともその使用人の人が作ってくれるときに消費をしてくれるので、置いておいて損もないのだとか。
ふと、その使用人の人に料理を教えてもらえばいいのではないだろうか、と。そんなことを考えもしたが。まあ、立場云々などもあり、聞きにくいか。あるいは、使用人の人も教えにくいとかあるのだろう。きっと。
しかし、調理器具も、特別なにか凝ったものを作りでもしない限りは十二分に揃っているし。仮にそういうものであれば、今度は俺に経験がないので教えられなくなるのだが。
そんなことを思いつつ、一体雲雀さんがなにをみているのだろうかと考えていると。
彼女はくるりとこちらに振り返って。そして、ひとつ尋ねてくる。
「あの、悠也さん」
「どうしたんだ?」
「料理をするのに、エプロンってつけたほうがいいんでしょうか?」
……なるほど、そういう話か。
たしかに、家に調理器具があったとしても、普段料理をしないのであれば、エプロンを持っていないことは普通にあり得る。
いちおう、調理実習のときは身につけていたはずではあるのだが。どうやら話を聞く限りでは、母親のものを借りていたらしく。まあ、十二分にあり得る話ではあるかな、と。
「正直どっちでもいいといえばどっちでもいいかな。ただ、エプロンをすれば、服が濡れたり汚れたりすることを防げるってのはそのとおり」
もちろん、完璧に防ぐことはできないものの、それなりに被害を防ぐことはできる。
特に小麦粉などの粉末を扱ったり、あるいは揚げ物なんかをするときなんかはあると重宝はする。
「そうなんですね。ちなみに、悠也くんは持ってるんですか?」
「あいにく俺は持ってないよ。正直面倒くさくてあんまり使わなかったってのもあるけど」
まさか差し押さえで物品まるごと持っていかれたとは言えるわけもなく。とはいえ、その一方で嘘は言っていない。実際、揚げ物でもしない限りはほとんどつけなかったし、家でほとんど揚げ物はしなかったために活躍した場面はほとんどない。
おそらく、あのエプロンを家で着用した回数より、調理実習で着用した回数のほうが多い気がする。……まあ、もう俺の手にはないので、その回数も更新されることはないのだけれども。
「なるほど。悠也くんも持っていないんですね」
「俺のことは別によくないか? でもまあ、あって困るものでもないかな。もし雲雀さんが買うのなら、見ていこうか」
「はい! ぜひ、お願いします」
そのまま、店内に入って、エプロンが陳列されているところに向かう。
そういうアパレル関係の店ではないため、大人サイズのエプロンに関しては比較的シンプルなデザインのものが多く。とはいえ、胸元に小さく動物の刺繍などが入れられていて、少しかわいらしい。
「ねえ、悠也くん。どれがいいと思います?」
「え? ……うーん、そう、だね」
まさかその手の話題を振られるとは思っておらず、少しびっくりしつつも、考える。
普段服は着れればそれでいいとか思っていたのだが、こういうときに困るのだな、と。
まあ、それでいうとこうして雲雀さんと並んで歩くのに、そんな服装でいいのかという話もあったりするのだけれども。ただでさえ手持ちの服がなくなっている上に、当初の想定では食材だけ買うつもりだったのだから、その点については許してほしい。
ともかく、並んでいるエプロンたちをジッと見回して、一巡、二巡。
そうして、ひとつのエプロンを手にとって。
「これとか、どうかな?」
薄緑色のエプロンに、胸元に小さな鳥が描かれたもの。
「なるほど、まだまだ料理を始めたばかりの初心者だから、小鳥、と」
「いや、そういう意味じゃないからね!?」
慌ててそうやって否定しておくと、雲雀さんはふふふっと楽しげに笑って、冗談です、と。
そんな彼女に、俺は力なく笑いつつ。
「選んでくれて、ありがとうございます」
「まあ、このくらいでよければ。……俺にセンスがあるかはわからないけど」
「いえいえ、選んでもらえることに、意味があるので」
まるでなにかの感触を確かめるようにして、雲雀さんはそう言う。
「それでは、買ってくるので。悠也さんは店の表で待っていてください」