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#3

 悠也くんが帰ってから、しばらく。

 私はそっと玄関を開くと、外廊下に彼の姿がないことを確認。

 手提げの袋を片手に持ちながら、足音を立てないように、ゆっくりと歩いて行く。


 管理人部屋。そう書かれたドアの前まで来ると。その錠に、私は鍵を差し込む。

 ひねると、カチャリと音がして。そのままにドアを押し開ける。


晴恵(はるえ)、いる?」


「雲雀様、どうかされましたか?」


 ここに入るのがさも当然と言わんばかりの態度で私がそう言うと、部屋の中にいた大家……役の侍女(晴恵)がこちらを向いて頭を下げる。


「とりあえずの現状報告と、それから、ここからの作戦について話しておきたくって」


 そうして、私と晴恵とが対面するように座ってから。

 神妙な面持ちで、お互いの顔を見つめて。ひとつ、息をついてから。


 そして、


「ねえねえ晴恵聞いて! 悠也くんに雲雀さんって呼んでもらえたの! 雲雀さんって! 名前で!」


「お嬢様、嬉しいのは百も承知の上で言いますが、いろいろと崩壊しています。体裁とか、その他諸々も」


 晴恵に指摘されて、私は今さっきまでの自分自身の様子をハッと自覚する。

 コホンとひとつ咳払いをしてから、なんとか平静を取り繕って。改めて、現状の報告と確認を始める。


「とりあえず、ひとまず計画通りにはなってる」


 グッと、拳を軽く握りながら、ここまでのことを振り返る。


 このアパートに悠也くんが引っ越してきて、そして私とお隣さんになって。……という、ここまで。全て私の計画通り。


 悠也くんの両親に借金があることは知ってた。なにせ、神宮寺グループの系列のところから借りてたみたいだし。

 ……まあ、まさか夜逃げするだなんて思ってもみなかったけど。

 これだけは、全くの想定外。それも、あろうことか事情を全く知らない悠也くんだけを置いてだなんて。

 けれど、お金の紐付きがあったことで、突然のことだったけれど即座に反応することができた。こればっかりは助かった。


 なにせ、そのことを知ってすぐさま。このアパートを突貫で建設したのだから。


「……まあ、厳密にはアパートですらないんだけども」


 見た目だけはボロアパートなこの物件。その実、文字通りの新築であり。なおかつ厳密にはアパートですらない。

 なにせ然るべきところに賃貸としての書類を出していない。このアパート(もどき)は体裁上は私と悠也くん、そして晴恵がそれぞれ住んでいる三軒が並んでいるだけということになる。

 ……まあ、細かいことは私より詳しい人がなんとかしてくれている、らしい。税金とか。


「それに、料理――もとい家事を教えてもらう、という接点も手に入れた」


「お嬢様も、よくあんなこと言いましたね。……全部、できるというのに」


 嘆息を漏らす春恵に、しかし、そんなチャンスを逃すわけには行かないでしょう? と、私はそう返す。

 そう。家事ができない、なんてことはない。むしろ、ひと通りきちんと出来るように、と。諸々は仕込まれている。


「ああ、そうだ。春恵、この食材や調味料は春恵が使ってくださいね」


「これは……もちろん、私が使うのはも構わないのですけれど、どうしてそんな急に?」


「単純な話です。料理を教えてもらうのに、冷蔵庫の中身が使用感満載だと問題があるでしょう?」


 当初の予定としては、私がわざと料理に失敗して、それを相談しにいって、と。そういう流れでお願いするつもりだったのだけれども。

 まさか、こんなにもトントン拍子で話が進むと思っていなかったので、ある程度の食材や調味料を持ち込んていたのだが、それが裏目に出てしまった。

 まあ、こうして引き取り手が身近にいたので、それほど困る話ではないのだが。

 それに、計画が狂ったわけでもなく、むしろ早くに進んだ、と考えることもできるので、嬉しい誤算ではあったりする。


「それでは、代わりに新品の調味料なんかを用意しておきますね」


「ああ、それについては不要です。すこし、考えがあるので」


 ふふふ、と。そう笑いながらにそう言うと。呆れた様子で春恵がため息をついていた。


「とりあえず、計画自体はこのまま進めていきましょう。春恵の視点から、なにか問題になりそうなことはありますか?」


「そう、ですね。……少なくとも、お金の問題は間違いなく、かつ、すぐさま発生するかと」


 それは、至極当然の事柄だった。

 両親の夜逃げ、旧家の差し押さえ。ことごとくを失ってしまった悠也くんには、現在、ここに来るときに持っていたリュックサックひとつしか手持ちの物品が無い。

 手持ちの金銭も多少はあるだろうが、そんなもの、あっという間に尽きるだろう。


「それに、お嬢様も知ってのとおり、悠也さんの私物のほとんどは差し押さえ済みです」


「ええ、借金と相殺する前提で私が買い取りましたから」


「その都合、悠也さんは現在、着替えの類を持っていないはずです」


「あっ……!」


 そう。当時家の中になかった、悠也くんのリュックサックの中身以外の全ては差し押さえ済み。

 つまり、衣服も含めた全てが無くなった状態なのだ。


「昨今では、品質に糸目をつけなければ、千円未満でもTシャツなどの購入は可能ですが、1枚だけ、というわけにもいかないでしょうし。それなりの金額がかかってくるでしょう」


 そうすると、今度は食費などが逼迫してくることになり――と、どこまで行ってもお金の問題がつきまとってくる。


「そ、それなら私が直接援助を――」


「は、ダメでしょう。悠也さんの性格的に素直に受け取ってくれることはないでしょうし、そもそもここまで迂遠な作戦をとったその意味がなくなります」


「うっ……」


 春恵が言っているのは、この新築ボロアパートのことだ。


 悠也くんは、わかりやすく苦労人だった。そして、それでいて他人のために動こうとする人だった。私に対して手伝いの申し出をしてくれたのも、隣に住んでいるクラスメイトだからとか、緑茶のお礼とか、そういう意図もあっただろうけど。その底にはただただひたすらな善意があった。


 そういったこともあって、仮に他人からの施しがあったとしても、それを素直に受け取ることは彼の性分的に難しい。

 だからこそ、あくまで賃貸である、という体裁で。彼に住居を支援する必要性があった。例えそれがどれだけ安くとも、金銭のやり取りが発生している、という事実があるだけで、悠也くんは受け取りやすくなる。


 ただ、ではひたすらに安くすればいいかというと、そういうわけでもなく。

 受け取り方はともかくとして、彼からの警戒心というものも十分に考えなければいけなかった。

 立派な賃貸が、超絶格安、となれば。なにかしらの裏を疑ってしまうとのが人の心だろう。正直、今の悠也くんであれば事故物件くらいなら問題なく住んでしまいそうだが、それを超えるような値段不相応だと、警戒が先行して敬遠しかねない。


 だからこその、見た目だけの、ボロアパート。

 そのための、賃料一万円に相応しい、見た目である。


 ……正直、それでもなお一万円は異常な安さな気がするけれども。

 しかし、そこの警戒が多少緩んでしまうほどに、悠也くんがお金に困窮しているということがわかる。


「けれど、直接の支援は無理……」


「そうなるかと。そして、これをこのまま放置するとなると、お嬢様としても厄介な状況になりかねないです」


「厄介な状況?」


「はい。生きるためにお金を稼がないといけない。と、なれば今の悠也さんに取れる最大の方法はアルバイトを増やすということです」


 お金が必要ならば、働くしかない。その、あまりにも当たり前すぎることに。

 しかし、私は戦慄する。


「つまり、私が悠也くんとイチャイチャする時間が減ってしまう、ということですか?」


「……時間の使途についてはこの際触れませんが、お嬢様と悠也さんの関わり合いの時間が減るのは必然でしょう」


 ぐぬぬ、と唸り声を出してしまう。それだけは避けたい。避けなければ、ならないのだけれど。しかし、わかりやすい解決方法では失敗が見えている。

 どうにか、間接的に。かつ、悠也くんが罪悪感なしにお金を受け取ってくれるような、そんなシステムを考えなければいけない。


「……ひとまず、これについては持ち帰りの課題としておきます。私も考えておきますので、春恵もなにかいい案があれば教えて下さい」


「わかりました」


 そう言いながら、恭しく頭を下げる春恵。


 春恵がこうして私に仕えてくれるようになったのはここ数年の話ではあるのだが、付き合い自体は私の幼い頃まで遡る。

 小さな頃から、友人のように姉のように付き合ってくれた彼女だから、こうした、暴挙のような計画にも付き合ってくれている。


 付き合って、くれてはいるものの。それは、それとして。


「……しかし、こんな方法で、本当に大丈夫なんでしょうか」


 春恵は、言葉にこそ出さないものの、こんな強引な方法で、と。そう言いたげな表情を浮かべていた。

 そのことについては、私自身自覚している。むしろとんでもないことをしでかしていることについては、当事者である私が一番理解している。


「けれど春恵。私の知り合いの令嬢の方は、想い人の家に押しかけてメイドとして働き詰めて、そして成就されたらしいですよ?」


「それは、あまりにもレアケースでは?」


 呆れ半分という様子の彼女に。しかし、私は自信満々に言葉を返す。


「レアケース上等です。そもそも、曲がりなりにも財閥令嬢が一般人と深い関わりになる方がレアケースですから」


 私や、そして悠也くんにいろいろと事情はあるとはいえ、それでもなお、言葉を悪く言ってしまえば本来住んでいる環境が違うのだ。

 だからこそ、そんなふたりが添い遂げるためには、常識を逸脱した強引さが必要になる。


「やってやります。必ず、必ずや――」


 あなたのことを、救ってみせます。






「そういえば、合鍵はどうやって渡せば受け取ってくれるでしょうか」


「……立場上のこともありますし、聞かなかったことにしておきます。なので、それは自分で考えてください」






 とりあえず、ずっと制服だけで過ごすわけにはいかず、ひとまず衣服だけは購入してきて。

 着ることができれば正直それ以上は要求しないので、いつも行っているスーパーへ。

 ありがたいことに、ここは食料品に限らず、日用品から衣料品まで取り扱っており、そして、安い。かなり安い。

 バンザイ、七百円弱のTシャツ。ありがとう、千円弱のズボン。


 しかし、手持ちの資金の都合、ひとまずは数組だけ購入してきたが、それでもまあまあな出費になった。

 季節も、現在の春を通りすぎれば夏がやってくるわけで。そうなるとまた追加で必要になるわけで。


 いや、そうでなくともとりあえず、食料品や日用品なんかも準備しないといけないわけで。……まずい、本当に、本格的にお金がない。


 ううむ、と。頭を抱えているとき。コンコンコン、と。玄関のドアがノックされる。

 誰だろう、と。一瞬疑問に思ったが、引っ越してきたばかりの俺を尋ねて訪れてくる人なんて、数えるほどしかいなくって。


 大家さんか、あるいは――、


「こんにちは、悠也くん!」


「神宮……じゃなかった。ええっと、雲雀さん」


「はい、雲雀です!」


 なぜか俺の呼びかけに対して元気よく返事をした彼女だったが、なにはともあれ、一度話を戻す。


「それで、どうしたんですか?」


「ああ、そうでした。そろそろ時刻も夕方にさしかかる頃なので、夕食の準備をしようかと」


 ふと、掛け時計を確認してみると、そろそろ六時になろうかという頃合い。作るものの規模にもよるけれど、それなりに時間がかかるときはかかるものだし、特に教えながらとなると時間猶予は更に必要になるだろう。


「わかった。それじゃあ、ええっと、どうしようか」


 料理を教える、とはひとくちに行っても。さてはてどうやったものか。

 ただ、ひとつだけ確実に言えることはあって。


「とりあえず、申し訳ないんだけれど、やる場所は雲雀さんの部屋でも大丈夫かな?」


「はい、大丈夫です」


 まあ、俺の部屋でも不可能ではないものの、いろいろと不都合が多すぎる。なぜかある調理家電のその一方で、包丁であるとかまな板であるとか。そういう根本的な調理器具がない。

 ついでに、越してきたばかりということもあって。冷蔵庫の中身が空っぽである。

 つまるところが、いろいろ買ってきたり、あるいは雲雀さんの部屋から持ってきたりしないと、ここでの料理は現状不可能ではある。


 まあ、謎に充実している調理家電のおかげもあってか、やりようによっては比較的少ない調理器具でもそれなりのものは作れそうなのだが。


 改めて再び雲雀さんの部屋に訪れるということになり、ちょっとした緊張を感じる。

 大丈夫、ただ料理を教えるだけだから、と。自分自身にそう言い聞かせながら、なんとか落ち着かせる。


「それで、なにを作ろうかとか決めてるの?」


「ええっと、それが、全く決めていなくって」


 えへへ、と。そう小さく笑う。……かわいいなぁ、ほんと。


 しかし、かわいさだけで腹が膨れるほどこの世界は甘くはないので、許可を貰って、冷蔵庫の中身を確認する。


「……思ったより、無いんだね」


「すみません、私は、その、作らないので」


 うん、なんとなく想像はしていた。だから、最悪買い物に行かないといけない可能性についても考えていたのだけれども。

 ただ、存外に卵や味噌なんかは最低限あるので、ある程度のものなら作れそうではある。雲雀さん曰く、あると便利らしい、と聞いたとのこと。実際、あると便利なのは間違いない。


「それじゃあ、今日はあるもので作れそうなものを作って。それで、改めて買い物をしてから、いろいろとやっていくことにしていこうか」


「あの、それなんですけど」


 俺の言葉に、雲雀さんが少し悩んでいる様子を見せながらにそう言ってくる。

 もしかして、明日からではなく、今日からがいい、とか。そういうことだろうか。それならば今から買い物に行かないといけないが、まあ、多少遅くなるくらいで問題はないだろう。明日も、日曜日だし。

 と、そんなことを考えていた俺に向けて、雲雀さんは思いもよらない言葉を投げかけてくる。


「その、明日。一緒に買い物に行ってくれませんか?」

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