#2
「お邪魔します……」
及び腰になりながら、神宮寺さんに案内されるままに室内に入る。
当然といえば当然なのだけれども、間取りなんかは先程自室で確認したそれと同じで。こちらにもバッチリ家電の類が設置されている。
この部屋は神宮寺さんが既に住んでいる部屋だから、という可能性もなくはないが。しかし、メーカーなども一致している様子を見る限り、やはり標準装備なのだろう。
そのままリビングへと通されて座卓に座るように言われる。
緊張いっぱいのままに座っていると、神宮寺さんがふわりとした笑顔を携えながら、急須と湯呑とを持ってきてくれた。
「ごめんなさい、間に合わせのものしかなくって」
「いやいや、急に押しかけたのは俺の方ですから」
「なにも聞かずに緑茶にしてしまいましたけど、大丈夫ですか?」
「緑茶、家でもよく飲んでたので大丈夫です」
彼女が急須を傾けると、コポコポと静かな音を立てながら湯呑に緑茶が注がれる。
落ち着いた、暖かな香りが広がってくる。
ありがたく口を付けさせてもらうと、緑茶だというのにほのかに甘みがあって。
俺が今まで飲んできた三番煎じの出枯らしを、おこがましくも同じカテゴリに入れようとした自分が恥ずかしい。
「そういえば、制服なんですね。部活の帰りとか、でしょうか?」
「あ、あはは。……いやあ、まあ、そんなところ、かな?」
実際にはこれしか持っている服がないというのが理由なのだが、そんなこと言えるわけもなく。
適当に笑いながらごまかしていた。
ちなみに部活には所属していない。理由は単純、その時間でバイトをするため。
まあ、神宮寺さんに変に追及されなくてよかった。
「それで、たしか悠也くんは隣に引っ越して来た、と」
「あっ、はい。そうなんです」
そうして俺は理由を話そうとして、そこでピタッと止まってしまう。
不思議に思った彼女が首を傾げながらこちらを見つめていた。
いきなり隣にクラスメイトが引っ越してきて、その上で重たい身の上を話されて、なんて。神宮寺さんからしても突然のこと過ぎて迷惑ではないだろうか。
大家さんのときについては、流石に事情を話さざるを得ないことだったので仕方がなかったが、あくまで彼女とはクラスメイトであり、お隣さんだし。
……あとはまあ、ちょっとカッコつけたかった、というか。いや、正確にいうならカッコ悪いところを見せたくなかったというか。そういうどうしようもない理由もあったりするのだけれども。
「ちょっと諸事情で、ひとり暮らしをすることになってね」
無理があるのはわかってる。いくら学生のひとり暮らしと言っても、かばんひとつでやって来ることがあり得ないということはわかってる。
今はまだ誤魔化せても、あとあと俺の荷物を運び込んでいる様子がないということに気づかれたらバレるということは、わかってる。
……でも、同時に嘘をついていないということも、たしかだった。
「そうなんですね。……あれ? でも悠也くんのご自宅ってここからそんなに離れてなかった気も」
痛いところをつかれてしまい、思わず言葉に詰まる。
というか、俺の家の場所割れてるの?
……まあ、俺たちの通っている高校はここから近い位置にあるし、クラスの中で徒歩で通っているということを言ったりしていたので、そう考えれば、そんな不自然でもない、のか?
「ええっと、その。社会勉強、的な?」
ある意味では、既に痛いほどに痛感したしな、うん。
俺がなんとか捻り出した言い訳の言葉に、パンッとひとつ手を打ち鳴らして。
「社会勉強! 私もです!」
まるで友達とお揃いのアクセサリーだったことを喜ぶかのように、神宮寺さんはそう言う。
「そういえば、神宮寺さんはどうしてここに?」
会話の流れがそちらに向いたということもあり、俺はそう尋ねる。
神宮寺 雲雀。神宮寺グループの令嬢であり、才色兼備というその言葉が似つかわしい彼女は、どうしてか俺たちの高校に通っている。
彼女であれば、学力的にも金銭的にももっと上の学校に行けただろうに、と。なぜか七不思議のひとつにまで数えられている。
まあ、早い話が、こんなボロアパートに住んでいるということが、ちょっとした。……いや、かなりの違和感なのだ。
どちらかといえばひとり暮らしをするにしても、最低限でもオートロックとかのしっかりとしたマンションなんかに住んていそう、というような。そんなイメージがあるというか。いやまあ、勝手な妄想ではあるのだけれども。
「さっきも言ったとおりではあるんですけど、私も社会勉強としてここにひとり暮らしすることになったんです」
曰く、今までは両親と、そしてお手伝いの人たちにおんぶに抱っこで生きてきて。
このままではできないことが多いままで成長してしまう。それを危惧した結果、自活できるようにひとり暮らしをすることになった、と。
「大変だね、神宮寺さん」
「いえ。私自身も願ったことではあるので」
なんともストイックなことで。……さすがは、男女ともに人気がある神宮寺さんだ。
その整った顔つきはもちろん、優しい性格と、自身を律する面。勉学も、運動も。なにをさせても完璧。
そんな彼女だからこそ、学内での人気は非常に高く。……俺自身、畏れ多くも憧れを抱いている人物でもあった。
「でも、心細かったので、近くに知っている人がいてくれてよかったです」
「ははは、俺なんかでよければいつでも力になりますよ」
調子のいいことだ、なんて。自分でもそう思う。
つい数時間前まではこの世の終わりだとでも言わんばかりの心境だったくせに。ひとまずは屋根を獲得して。さらに神宮寺さんに会えたというだけで随分と回復してしまっている自分がいた。
だからこそ、こんな軽口を叩いてしまったのだろう。
「なにか、俺に手伝えることあります? せっかくお茶も頂いたことですし。俺にできることだったら」
完全に調子に乗ったひとこと。言ってから、自分の言葉に後悔をする。
神宮寺さんのことだからからかうなんてことはないだろうけど。社交辞令的な言葉を交えて、そのままやんわりと断られるだろう、と。そう思っていた。
しかし、思わぬ言葉が飛び出してきた。
「そっ、それなら! 悠也くん。私に、料理を。……家事を教えてくれませんか!?」
「……えっ?」
まさかそんなことを言われるだなんて、と。思わずそんな声を出してしまう。
「料理、苦手なんです?」
「え、ええ。そうなんです。料理もそうですし、家事全般、やり方をしっかりと把握できていないといいますか……」
「あれ、でも家庭科の調理実習では普通に料理できていたような」
「あっ、あのときは班の皆さんにとても助けてもらいまして」
たしかに調理実習はひとりでするものでもないし、それもそうか。
勝手な想像ではなんでもできるものだと思っていた。家事ももちろんできると思っていたけど、たしかにさっきまでの話ではお手伝いさんがいるっぽいし、そういう意味ではできなくても不思議ではない、のだろう。
そんな納得をしながら。……どこか、違和感があるような、そんな気はしつつも、それくらいならお安い御用、と。
家事であれば、たしかに俺が教えることができる。
料理を始めとして、得意か不得意かで言えば得意な部類だ。なにせ、家での家事の担当は俺だったし。
「ありがとうございます!」
俺が快諾したことに、神宮寺さんは表情を明るくして。ああ、そうだ! と、なにかを思いついた様子で立ち上がった。
うん、この笑顔が見れただけでプライスレス。どうせ、これからどうしようかって悩んでいたところなのだから、誰かの役に立てるのであればそれでいい。
(そう、だよなあ。……本当にこれから、どうしよう)
さっきまで、少し夢見心地でいた俺の感覚が、グイッと現実に引き戻されたような気がした。
神宮寺さんに会うことができて浮かれていたものの、よくよく考えると未だ問題はなんら解決していないということに。
唯一解決しているのは住む場所のみ。衣食住のうちひとつしかなんとかなっていない。
ついでに現状では高校生という立場の維持もどうしたものかという現状だ。そのあたりの金回りの話がどうなっているのかがわからない以上、とりあえず学校に問い合わせてみない限りはどうにもわからない。
あと、割と急務なのは服の方。良くも悪くもリュックサックひとつで放り出されたという都合、現状の俺には着替えが無い。
最悪今着ている制服があり、なおかつ最新式の洗濯機が部屋に設置されているため。やろうと思えばこの1枚でやりくりすることが可能ではあるだろうが。
素っ裸で、たった一枚の衣服の洗濯、乾燥を待っている自分の姿を想像して。そのあまりの酷さに考えるのをやめた。
あと、制服で私生活を送るのは色々と不都合が多い。
うん、服は必要だ。少なくとも数枚は。
そう強く確信をする。……だが、問題はやはりお金の方。
服はなんだかんだでそこそこ値を張る。夏場や冬場では服を替えないといけないというような話は先のことなので今はいいとしても。今使うぶんだけの数枚、でも数千円単位、あるいは五桁オーダーで支出が発生する、
正直、現状の手持ちはビックリするほど心もとないし。そこからの支出となると、やはり苦しいものは存在する。
「悠也くん、こちらを!」
カタッ、と。硬質な音が鳴って。考え込んでいた俺は顔を上げる。
そこには銀色のなにかと、それから笑顔の神宮寺さん。うん、かわいい。
と、今はそちらではなく。おそらくこの銀色のものが神宮寺さんの言っているものだろう。
視線をそちらに移すと、そこにはなにやら見覚えのある形状のものが。
「……鍵?」
「はい、この部屋の合鍵です」
「なるほど。どうりで見覚えがあるわけだ」
そうそう。俺が今借りている部屋の鍵もちょうどこんな感じで――、
同じ建物なのだから、鍵が似るのは至極当然……なんだけど。
なにか尋常じゃない間違いと違和感があるような気がするのだが、どうにも頭が回っていない。
見逃しちゃいけないようなことに気づいていないような気がする。
……状況を浚い直そう。神宮寺さんはこの部屋の合鍵を取ってきて、こうして俺の前に持ってきて。
そして自信満々な笑顔をこちらに向けてきている。
うん? 合鍵を俺の前に持ってきてる? なんで?
「あの、神宮寺さん? これは?」
「どうぞ!」
「どうぞって。……え?」
状況と、言動とを加味して。彼女の言わんとしていることは、なんとなくわかる。わかりたくなかったけどわかってしまう。
「こちら、悠也くんの分です!」
「なるほど。って、言えるわけ無いでしょ!」
あまりのことに、思わず少しだけ声を荒らげてしまう。ついでに、意識せず敬語が外れてしまう。
突然のことに神宮寺さんの身体がビクッと反応して。しまったと確信すると同時に、けれどこの反応に関しては仕方ないだろうと、そうも思ってしまう。
ただ、謝りつつ、口調を戻そうとすると。彼女からは「同い年なのですから、楽に話してくださって大丈夫ですよ」と。それを言うと神宮寺さんも丁寧な言葉遣いかのだが、曰くそちらのほうが彼女離れているから、とのこと。
しかしながら、初対面……ではないにせよ、直接的な絡み自体はほとんどなかったはず。いちおうはクラスメイトだけれども、それ以上の関係ではない。
そんな相手に対して、この令嬢はあろうことか自室の合鍵を渡そうとしてきたのだ。
「でも、鍵がないと部屋に入ってこれませんよ?」
「俺がこの部屋に入ることがあるにしても、そのときは神宮寺さんがいるはずだろう?」
「でも、私の使用人は持ってますよ?」
「使用人の方と俺とでは立場が全然違いますから!」
貰えるわけなかろうてそんな合鍵。
コテンと首を傾げる神宮寺さんに、合鍵はそう簡単に渡していいものじゃないということを説得して。
「悪用される可能性だってあるんだからな?」
「悠也くん、悪用するんですか?」
「いやまあ、しないけどさ」
「なら大丈夫じゃないですか!」
それでもなお、なぜか渡してこようとする彼女との押し問答がしばらく続いて。
結局、なんとか受け取りを拒否することには成功した。……いやまあ、受け取るだけ、であれば。それによってなにかが起きるわけではないから、受け取るだけならば構わないといえば構わないのだけれども。
隣の部屋で、一人暮らししてる、美少女で、世間知らずな令嬢な、クラスメイトの合鍵。うん、数え役満だ。
合鍵の所持に伴って発生する緊張や心労、その他諸々がとんでもないことになりそうなので、こればっかりは勘弁願いたい。
なぜか少しむくれっ面で、ぶうと不満そうにしている神宮寺さんのその姿に。俺は疑問符を浮かべるしかできなかった。
「それじゃあ、悠也くん。これからよろしくね」
「うん。こちらこそよろしくね、神宮寺さん」
あの後、どうにか神宮寺さんの機嫌も元に戻り。
家事云々の話を軽くまとめてから、ひとまずは明日から、という話になった。
「せっかくだから、もっといてもいいのに」
「あはは。さすがに用事もないのに居座るのも申し訳ないしね」
玄関まで見送ってくれた彼女は、そんなことを言いながらどこか名残惜しそうにしていた。
……まあ、帰ると言っても隣の部屋なのだけれども。
「なにかあったら、できる範囲なら協力するから!」
そう言って立ち去ろうとした、そのとき。
神宮寺さんは「あっ」とひとつ、声を出して。
「どうかしたの?」
「いえ、それならひとつ。お願いしたいことが」
そう言って、彼女は少し恥ずかしそうに顔を赤らめさせながら。
「その、神宮寺ではなく、雲雀、と。名前で読んでいただけませんか?」