#19
「倒産、してない?」
「はい、倒産などしていません。現在も、変わらず事業は続いております。無論、社長は変わっていますが」
驚き、絶句している悠也くんから視線を話さないままで。私は、やや声に怒気を混ぜながら「ですよね? 広瀬元社長」と、そう詰める。
彼からは、返事が来ない。だが、それがなによりも肯定の返事と受け取ることができた。
「でも、俺が社交界の場で問題を引き起こしたから、会社の取引が――」
「そんなもの、悠也くんに責任感を植え付けるためだけの嘘に過ぎません。そもそも、多少の子供の不始末程度でなくなった取引で会社が傾くなど、よほどのことがないとあり得ません」
だが、このやり取りのおかげで私の中にあったいくつかの疑問が氷解していく。
ああ、本当に。この両親は。どこまでもいらないことをしてくれたものだ。
「悠也くんのお父様のギャンブル狂いは、彼が社長の頃からでした。ですよね?」
「そ、それは……」
「そうして、お母様の散財についても同様。……むしろこちらは、当時の癖が未だに残っている、という方が正しいでしょうけど」
ふたりから、反論は来ない。反論したところで無駄だとわかっているのだ。
自分たちが言ったところで、それが嘘だと看破されるから。
証拠なら準備してある。だから、別に喰らいかかって来てくれても良かったのだけれども。まあ、いい。
「そして、おふたりは踏み越えてはならないラインを超えた」
会社の資金への着服。無論、あってはならないことだ。
そして、それが明るみに出てしまった。だが、世間体を気にした役員たちや、社員の生活を守るために、それらは全て内々で処理された。
その代わり。社長の交代と、横領したお金にプラスで賠償を付け加えた借金の付与という形で、決着した。
「ただ、ひたすらにタイミングが悪かっただけなんです」
悠也くんが責任に感じていることが起きたときと、両親の不祥事が発覚したタイミング。
それらが、残酷なまで揃ってしまった。
ただ、それだけだったのだ。
「そう、だったんだ」
「はい。……悠也くんは、なにも、悪くなかったんです」
すとん、と。悠也くんはその場に崩れ落ちる。
私は慌てて彼の身体を支えようとするが、ツーッと流れた涙を見て、その動きを止める。
……大丈夫だ。ただ、ずっと縛られていた責任の枷が外れて、楽になって。そして、力が抜けただけだ。
そのまま寄り添ってあげたい気持ちは山々なのだが。しかし、私にはまだやることがある。
悠也くんを、守らなければならない。
くるりと振り返り、呆然自失としているふたりに面と向かう。
「さて。それでは少し、話の軌道を戻しましょう。家族の問題に首を突っ込むな、でしたっけ」
「……あ、ああっ! そうだ! 今までの話があったとしても、家族であることは間違いない! だから、たとえ神宮寺の御令嬢とて、血縁ではない。私たちの話に食い出しする道理など」
「ええ、ありません! 血のつながりもなければ道理もなにもありはしません! ですが、私は悠也くんの友達です。隣人です。仕事仲間です。その立場から、ひとつだけ言わせていただきます!」
すう、と。大きく息を吸って、声を荒らげる。
「あなたたちは、血のつながりがあるだけの、他人です! 父親や母親である資格など、ありもしません!」
雲雀さんが目の前で、両親に向かって言い放った言葉。
血のつながりがあるだけで、他人。その言葉に、スッと胸がすくような思いがした。
両親はその言葉に食ってかかろうとするが、しかし、それらの言葉が吐き出されるよりも先に、雲雀さんの言葉が先行する。
「借金がなくなったと気づいたあなたたちは、ふと、悠也くんのことを思い出したのでしょう」
彼女は言葉を続ける。
俺のことを思い出した両親は、今ならなんとか言葉を巧みにうまく繋げば、まだ俺を利用できるだろうと考えた。
俺が負い目を感じているからこそ、そのまま今までどおり、都合のいい存在として。
特に借金がなくなった今ならば、食い扶持を維持してくれる存在として。
もちろん、可能性でしかない。俺がどこかしらで野垂れ死んでいる可能性もあった。
だが、俺は生きていた。大家さんや雲雀さんの存在もあって、生かされていた。
生活圏の様子を見ている限り、なんなら、きちんと学生生活を送りながら、食生活などもしっかり整っている様子だった。
それはすなわち、現在の俺にしっかりとした収入があるということ。それも、学生生活を送りながらでできる範疇で。
なにせ、学費すら払われていなかった状態なのだ。だから、本来ならば学校にすらいけないはずなのに、俺が学生生活を送っている。ということは、学費が払われている。
それでいて食事も摂れているとなると、俺の性格をよく知る両親からしてみれば、借金という択は無い。だから、なにかしらの仕事にありついているはずだ、と。
実際、その推測は正しい。超破格のアルバイトを紹介してもらって、その給金で現状を維持している。
学費だけは、大家さんから奨学金という体裁で借りているが、こちらも無期限無利子でという状態だった。
「つまり、あなたたちは悠也くんのことを、テイのよい金の成る木だと考えた」
俺の貰っている給金から考えれば、それだけで家族三人を養おうと思うと不可能という数字ではない。無論、生活自体は質素になるだろうが、それはかつてと変わらないのでさほど苦ではない。
正直、それが可能な給料であること自体が異常ではあるのだが、ひとまず置いておく。
「否定できるなら、否定してください。ここにいる、悠也くんに向けて、違う、と。そんなことを思っていない、と」
そう言って、雲雀さんはスッと横にズレる。
両親の様子が、俺の視界に映る。
ひどい顔で、なにかに取り憑かれたように必死で。
そして、ふたりは縋るように俺に近寄ってきた。
「なっ、なあ! 悠也は、私のことを信じてくれるよな! だって、私は父親だから」
「そうよね! あんな子の言うことより、お母さんのことを信じてくれるよね!?」
そう言って、自分たちへの同意を求めてくるふたり。
だがしかし、その口から出てくるのはひたすらな保身。信じてくれ、あの子の言葉に騙されるな、というものばかりで。ついぞ、先程までのことを否定する言葉は出てこず。
雲雀さんは、そういうことです、と。そう言わんばかりに、そっと目を伏せた。
「そっ、そうだ! たしか、アルバイトをして繋いでいるんだよな!? 私や母さんもそれを手伝おう! ひとりでも十分な稼ぎなんだなら、三人でやれば――」
「そうよ! それに神宮寺のお嬢様と懇意なんでしょ! その、苦しいときはその、助けてもらったり――」
「……やめてくれ」
目の前のふたりの有様が、見ていられなくなって。思わず、そう言ってしまう。
このアルバイトは、信頼で勝ち取ったものなんだ。そんな、安っぽく言わないでくれ。
雲雀さんのことも、先程まで信じるなとかなんとか言っていたくせに、そんなテイのいいように言わないでくれ。
俺にしていたように、都合のいい存在だと解釈しないでくれ。
俺の大切な存在たちを、バカにしないでくれ。
「やめてくれ! 父さんも、母さんも。せめて、記憶の中のふたりだけは、立派だったと思わせてくれ! そんな、醜い姿を見せないでくれ!」
両親だって、大切な存在だったんだ。……今までは。
いや、わかっていた。わかっては、いたんだ。見捨てられたと確信したその時に、自分の両親がどうしようもない人たちだったんだな、と。それ自体は理解していたんだ。
だけれども、大切だったから。せめて、記憶の中だけは、と。そう思っていたのに。
「せめて、大人ではあってほしかったのに」
それすらも、汚さないでくれ。
雲雀さんに、両親の醜聞について聞かされたときは、絶望こそしたが。しかし、それでもなお、まだ、両親の存在は「育ててくれた人」として映っていた。
でも、目の前にいるふたりは、もう、そんな面影は喪われていた。
もう、そこにいるふたりを、両親だとは思えなくなっていた。
俺がふたりを振り払うと、絶望したような表情でこちらを見た。
「……私からの、お願いはただひとつです。もう二度と、悠也くんに近づかないでください」
もはや生気すらあるのかもわからないふたりに向けて、雲雀さんはそう言い放つ。
「ですが、両親のおふたりからしてみれば、息子に近づくなということをただで了承しろ、というのも無理な話でしょう。法的な意味合いで言うなら、私のほうが劣勢です」
血のつながりは、想像以上に厄介だ。
婚姻とは違って、切ろうと思っても断ち切ることができない。例外こそありはするものの、俺の場合はその例外には当てはまらない。
だから、ここでふたりがゴネることは可能だった。
――だが、
「春恵」
「はい、お嬢様」
雲雀さんが誰かの名前を呼ぶと、部屋の外から聞き覚えのある声がした。
現れたのは、なぜか大家さん。その手には、銀色のアタッシュケースが提げられていた。
「ここに、一千万円があります。手切れ金と、そしてここまで悠也くんを育てて貰ったということに対しての謝礼です」
たしかに、曲がりなりにもここまでの十六年間は、間違いなくこのふたりに育ててもらっていた。
まだ、両親だったふたりに。
「これは、私のお金です。これで、私が悠也くんを買い上げます。ああ、もしかして足りませんか? ならば、もう一千万足しましょうか」
大家さんが無言でアタッシュケースをひとつ追加する。
そうして、それらを二人の前に差し出す。
ふたりが開くと、中には見たことのない札束が入っていた。
数えているわけではないが、本当に二千万円と言われて納得しそうな量が、そこにはあった。
「これを持って、ここから消えてください。そして、二度と現れないでください」
雲雀さんは、ただ、淡々と。そう言い放った。
「ごめんなさい」
ふたりが立ち去ったあと。部屋の中では土下座をする雲雀さんの姿がそこにあった。
なぜ謝るのか、と。俺があわあわとしながらに彼女の身体を起こす。
「悠也くんの気持ちを考えず、それでいながら、あなたのことを買い上げるなど、物扱いするような言い回しを」
「大丈夫、大丈夫だから! 気にしてないし。それに、守ろうとしてくれたんでしょ?」
そう。結局、ふたりは立ち去った。
両親だと、血縁だと。そうゴネることもできた。
だが、それをすることなく。ふたりは俺よりも二千万円を選んだ。代わりに残されたのは、誓約書。
正直、安心する気持ちがあった。
雲雀さんは物扱いをしたことを謝罪しているが、それはおそらく、両親も同じくだっただろう。
今になってみれば、会社での立場が健在だった頃、両親は俺を都合のいい存在になるように扱っていた。
それに嫌気が差して、色々と反発することもあったが。例の件があってから、俺は素直に両親の言うことを聞くようになった。
それこそ、今までの俺は両親に物のように扱われていたのだろう。
だからこそ、夜逃げのときもテイのいい身代わりとして、切り離された。
……いや、だからこそ、雲雀さん自身がふたりと同じように俺を物扱いしたことを気にしているのか。
そうして縮こまっている雲雀さんの姿を見て、ふと、重なるものを思い出した。
まさか、と思っていた。そんな、可能性。
両親が、社交界の場で雲雀さんと会っている。
俺は、ついていった社交界の場で、先程の雲雀さんと重なる姿を見ている。
「ねえ、雲雀さん。もし、違ったら、笑ってほしいんだけどさ。……もしかして雲雀さんって、ヒイちゃん?」
雲雀さんは、ぽかんと口を開ける。
しまった、間違えたか。めちゃくちゃに恥ずかしいなこれ、と。そう思いかけた、その瞬間。
ポタポタ、と。雲雀さんの目から涙が溢れる。
「えっ!? ちょっと、雲雀さん!? 大丈――」
「思い出して、くださったのですね」
「……えっ?」
「はい。私です。あのときは、名前をきちんと名乗っておらず、申し訳ありません」
彼女は手で涙を拭って。そして、真っ直ぐにこちらに視線を向ける。
前髪は、しっかりと手入れされていて。その目がはっきりと見える。
いつか見た、吸い込まれるような濃紺の瞳。
「はい! 私がヒイです。あなたに言われたとおり、しっかりと前を向いて、上を見て。ここまで、やってきました」
「そっか。そうだったんだ。……うん、見違えるように、キレイになったよ」
「ふふふ、十年以上も想い続けていた方にそう言っていただけると、とても嬉しいですね」
「そっか。それなら、うん。言った甲斐があるよ。……うん?」
そういえば、雲雀さんの恩人は十年前に迷子のときに声をかけてくれた人で。
そして、俺は十年前にヒイちゃん……つまり迷子になっている雲雀さんに手を差し伸べた。
「つまり、雲雀さんの好きな人って――」
「はい! お慕いしています! 悠也くん!」




