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18/20

#18

 玄関を開けたら両親がいた。


「ああ、よかった! 無事だったのね!」


「私も母さんも、ずっと心配してたんだぞ!」


 そう言って、俺に抱きついてくる両親。


 ふたりの顔を見なくなってから、どれくらいが経ったのだろうか。そろそろ六月という頃合いだから、もう二ヶ月くらい経つのか。


 抱擁が離されて、ふたりの顔を改めてジッと見ることができる。


 懐かしいふたりの顔に、嬉しいと、思っているはずなのに。

 どうしてだか、感情がまとまらない。


 言葉が、出てこない。


 まさか会えるとは思っていたが、もし会うことができたなら言ってやりたい言葉がいくつもあった。


 なのに、なにも言えないでいる。


 両親がこちらに向けていろいろと言葉を投げかけてくれている。

 だが、全て耳を素通りしていって。なにを言われているのかがわからない。単語だけを抜き取れば、なにかの謝罪とか、心配の言葉とか。

 あとは、借金がなんとかとか、一緒に暮らせるとか。


 なにか、言わないといけない。そう思った俺は、なんとか言葉を探す。

 思いついた言葉を言おうとする。言えない。

 また、別の言葉を考える。言えない。

 ちょっとした恨み言混じりの言葉を吐こうとする。言えない。


 言ってやりたかった。今までどこにいたんだよって。

 言ってやりたかった。借金、そんなに多かったのかよって。

 ……言ってやりたかった。なんで、置いていったんだよって。


 だけれども。言えない、言えない、言えない。

 いつかの過ちが、鎖のように巻き付いてきて。言葉がうまく形を成さない。


 唯一言葉にすることができたのは、


「ふたりが、無事でよかったよ」


 という。そんな無難な言葉だけだった。


 そんな最中――、


「すみません、悠也くんのお父様とお母様」


 凛として、割り込んでくる声がひとつ。






 まずい、と。私はそう確信した。


 よりによって、なぜ、今なのだ、と。


 治りかけとはいえ、悠也くんは現在体調を崩している。有り体に言えば、弱っている状態だ。

 私に諸々を許可してしまうほどに判断力などが落ちてしまっているし、それくらいに誰かを頼りたいと思ってしまう精神状態だ。

 ただでさえ、血縁という関係を振りかざされてしまっては、雲雀の立場からしてみれば分が悪いなどという話ではない。


 自分を捨て置いて、蒸発したはずの両親。言いたい言葉も積もる言葉もあるはずなのに、悠也くんは、ただ、ひとことだけ。無事でよかったよ、とだけ。


 当のふたりはというと、悠也くんのことを心配するような素振りを見せながら、それ以外には借金がなくなったから、これからは一緒に暮らそうとか、そういうことを言っているのがわかる。


 その言葉に、ギリッと。奥歯を噛み締めてしまう。


 理解してしまっているから。私自身、それが正しい形なのだ、と。

 悠也くんにとっては、それが正しい家族の形である、と。


 思い出すのは、動物園でユリちゃんと会ったときのこと。

 あのときの悠也くんは、両親と再会したユリちゃんを見て、とても安心していた。

 去っていく家族の姿を見て、慈しむような。いや、ある種の羨みのような。そんな視線を向けていた。


 そう。あのときの話になぞらえていうならば、彼の両親は迷子になっていただけなのだ。

 ひどく長い期間、行き先もわからないほど広範囲で。もはや再び出会えるかなどわからないほどの、迷子に。


 だからこそ、体裁上の正しさを追及するならば。迷子が家族と出会えたのならば、祝福をしなければならない。

 家族が離れ離れになるなんて。そんなこと、無いに越したことはないのだから。


 ない、のだけれども。


 ふつふつと、腹の底から沸き上がってくる怒りが。そんな体裁だけの正しさなどひっくり返せと、叫ぶ。


 今、私がここにいる理由を。すべきことを。

 悠也くんを守るという、ただ、それだけを成し遂げろ、と。


「すみません、悠也くんのお父様とお母様」


 彼らの間に割り込むようにして。いや、祐也くんを守るようにして。私は身体をねじ込みながら、そう言葉を発した。

 三人は私の登場に、目を丸めて驚く。特に私のことを認知していないらしい彼の両親は、君は? と。そう質問も投げかけてくる。

 まあ、息子の部屋の中から出てきたのだから。関係性を疑るのは当然だろう。無論、それが、今の今まで自分たちの保身のために逃亡して置いてきた息子であったとしても。


 そんな怒りは、一旦鎮めておく。うまく話をするためにも、その感情は邪魔でしかない。


「私は雲雀、といいます。悠也くんのクラスメイトで、隣の部屋に住んでいます」


 あくまで平静を保ちながらに、私は言葉を紡ぐ。

 ふたりからは、私の立ち位置は理解できたものの、ではなぜ家に、というその疑問が解けていない様子だった。

 ……言うしかないか、と。少し、躊躇いながらに言う。


「悠也くんが体調を崩されてしまったようなので。ひとり暮らしでは大変だろうと、看病をしに来たんです」


 私がそう答えると、ふたりは驚いた様子を見せる。

 あの悠也が体調を崩すなんて、と。そう小さく言葉を漏らしながら。母親のほうが口を開く。


「ありがとうね、雲雀ちゃん。あとは私たちが引き継ぐから、帰ってくれて大丈夫よ?」


 柔らかな笑みを浮かべながらに投げかけられた言葉に、私は渋面しそうになって、なんとか表情を笑顔のままで制御する。


 まだだ、まだ、ふたりに敵だと思われてはいけない。

 ここで抗っても、私には発言権がない。


 立場上、圧倒的に私のほうが劣勢なのだ。だから、確実に斬り返せるタイミングまで、待たなければいけない。


 私の割り込みも虚しく、彼の両親は、より悠也くんに近づこうとする。


「これからは、一緒に暮らそうな!」


「ええ、またお父さんと私と。三人で協力していきましょうね!」


 肩を叩かれながらに、そう言葉をかけられる悠也くん。

 悠也くんは、それらの言葉に。なにか思うところがあるような様子は見せつつも。しかし、絆されてゆっくりと首を縦に振ろうとする。


 彼の首が、落ちようとする。その、寸前。


「ダメです!」


 私の叫んだ言葉に、その場にいた全員がこちらを向く。

 特に父親なんかは、なぜ部外者の私が口を挟んでいるのだ、とでも言いたげな視線をこちらに向けている。


 家族が離れ離れにならず、共にある。

 それが、正しい家族の形。それが、悠也くんにとっての、幸せな形。

 ……などという幻想、捨て置け。


 無論、一般論としては正しいし、幻想でも妄想でもなんでもない真っ当な理想であることは、そうだろう。

 だが、例外は存在する。そして、目の前のそれは、その例外なのだ。


「悪いが、雲雀ちゃん。これは家族の問題なんだ。いわば、広瀬家の問題で。だから、君が首を突っ込むことではなくて――」


「いいえ、挟ませてもらいます。悠也くんのお父様。……それとも、広瀬社長とお呼びしたほうが良いでしょうか? ああ、元、でしたね。以前お会いしたときはまだ、社長でいらしたので」


 その言葉に、父親は目を丸める。いや、彼だけではない。母親も、そして、悠也くんまでもが目を丸める。


「まだおわかりになりませんか? 雲雀、という名前になにか聞き覚えはありませんか? ああ、失礼しました、こちらも名乗り直したほうがいいですね」


 あのときの私は、まだ、きっちりと社交界に出てくるよりも前だった。だから、雲雀という名前だけでは伝わらない。


 だから、私はしっかりと名前を伝える。


「神宮寺 雲雀、という名前に。心当たりはありませんか?」


 正直、家の威光を使うのは憚られる。だが、この二人との私の唯一の面識がそこでしかない。ならば、使わざるを得ない。


 その宣言に、青くなるふたり。

 どうやら、きちんと覚えてくれているらしかった。


「まっ、まさか。では、あのときの――、いや、だからといってそれがなぜ私たちの家族の話に口を挟む理由になるんだ!」


 青褪めていた父親だったが、すぐさま持ち直して、怒気で顔を赤く滾らせる。


「先程、借金がなくなった、と。そう仰られていましたよね? それは、なぜですか?」


「そんなもの、返したからに決まっているだろう!」


「それは当然です。どうやって、返したのか。その手段を聞いているのです」


 ぐっ、と。彼は苦虫を噛み潰したような顔をする。


「働いて返したんだ。それ以外に方法なんかないだろう!」


「夜逃げするほどに嵩んでいた借金を、たった二ヶ月働いただけで返せたのですか?」


 私がそう追求すると、父親は明確に目を泳がせた。動揺している証拠だ。

 浅かな嘘をつくものだ。私は諸事情から顛末を知っているが、これが嘘であることなんて、言われずともわかる。


「そ、そうだ!」


 だが、それでもなお。親としてのプライドか。あるいは、ついてしまった嘘を隠し通すためか。彼はそう嘘で塗り固める。

 私は小さく息をつきながら、それは嘘ですね、と。キッパリ言い切る。


「なぜ嘘だなんて言い切れる!」


 息を巻き、怒気を募らせながらにそう吐き散らす。

 まるで子供の癇癪のようだ、と思ってしまうそれに。ここまで醜くなれるものかと、そう思う。


 なんなら、悠也くんだって嘘だと理解しているはずだ。

 だって、彼は知っているから。


 両親が、消えたその日に。同時に、借金までもがなくなったということを。


 無論、その理由は知らないだろうが。

 だから、私はその場にいる全員に。わかるように宣言をする。


「あの借金を肩代わりしたのは、私です。一部の差し押さえ品を引き取るという名目で、借金を私の資産で相殺しました」


 その言葉に、その場にいた両親はもちろん、悠也くんまでもが瞠目する。

 まあ、そこに悠也くんの私物が欲しかったという私情がないわけではない。だが、同時に支払ったのが私であるというのは紛れもない事実だった。


「それに、本当に借金はなくなったんですか? 悠也くんにバレている、借金がなくなった、という意味にすり替わっていませんか?」


 その私の言葉に、目の前の二人は渋い顔をする。

 図星、だということがはっきりとわかる。


 でしょうね、と。私は小さくつぶやく。

 このふたりが、借金がなくなったからといって、では、生活を再スタートさせられるとは思っていなかった。


「ギャンブル狂いの父親と散財癖持ちの母親では、また、どこかで借金を作ってきたのでしょう? それもいくら現在に尻目がないとはいえ、過去の経歴からまともな借り口は無いでしょうし、消費者金融(高利貸)から」


 なにも言い返して来ない。ただ、ひたすらに驚いているのは、悠也くんのひとり。

 この人は、両親にそんなところがあったことを知らなかったのだろう。無論、私も調べるまでは知らなかった。


 だが、たしかにおかしいのだ。たしかに、借金が積み上がっていたのは事実だった。それによって、生活が困窮してきたというのも事実。

 だが、悠也くんの両親が二馬力で、そして彼が高校生になってアルバイトで助けるようになって。それでいて、生活は質素を通り越した貧相なもので。それでもなお、借金が減るどころか異常に膨れ上がり。

 そして、ついには悠也くんの学費までもが払えない状態で夜逃げするまでに至って。


 それなのに、自己破産をしていない。


 調べてみて、その理由はすぐにわかった。


 父親が、ギャンブルに耽っている。一発逆転で借金を返そうと、まともに働いているとも言いにくい、仕事の少ない給金のほとんどを注ぎ込んでいた。

 母親が、異常なまでに散財をしている。裕福だった頃の癖か、あるいはその際に壊れた金銭感覚か。それとも現状へのストレスか。仕事はするが、給料のほとんどは手元に残らなかった。

 そんな状態では、借金の返済がままならないどころか、生活を維持するためにはさらなる借金を重ねるしかなかった。


 それでいながら、厄介だったのは。ふたり揃って、家ではマトモに振る舞っていた、ということだ。

 ストレスをそれぞれが別な所で発散できていた、という皮肉な事情もあっただろうが。だが、それ以外にもふたりには打算があった。


 悠也くんの存在だった。


 幼い頃から優秀だった彼は、しかしながらそれに驕ることなく、努力を続けた。

 健気なものだっただろう。家が困窮しているのだから、自分がそれを助けるのだ、と。


 そんな優しさに、ふたりはつけ込もうとした。


 計算外だったのは、ふたり揃って浪費をし続けていたために、いよいよ誤魔化しが利かないところまでくるのが早すぎたということ。

 まだ悠也くんがまともに働けるようになる前に。――自分たちにとって都合のいい稼ぎ口になってくれる前に、限界が来てしまったこと。


 だから、ふたりは悠也くんを身代わりに、逃げることを選んだ。


 なんとも、反吐が出る話だ。


「……でも」


 黙りこくる両親の前で、しかし、声を出したのは悠也くんだった。

 信じられない、というような表情をしながらに。だが、どこか責任を感じているような様子で悠也くんは言う。


「会社が、父さんの会社が潰れたのは、俺が原因で。……だから、借金は、俺のせいで。たしかに、息子に押し付けるような形になるのはおかしいのかもしれないけど、そうなるのも間違ってはいなくて」


「――ッ」


 ああ、やっと理解した。


 なぜ、久しく出会った彼が、ここまで自信を喪失していたのか。

 自分自身を喪失して、他人を優先するようになってしまっていたのか。


 それを理解したからこそ。


「反吐が出る、なんて。そんな生易しい話ではありませんね」


 マグマなんて目じゃないほどに、腹の底から怒りが高温を以てして沸騰しようとしてくる。

 今すぐにでも、このふたりを叱りつけてやりたい気持ちになる。


 だが、先決なのは悠也くんだ。

 悠也くんの持つ、誤解を。彼の抱える、責任感を。


 怒りを抑えて、冷静になりながら。くるりと、悠也くんに向き治る。

 今にも泣いてしまいそうなほどに、弱った様子の彼に。いたたまれない気持ちになる。


 守れなかったことを。ここまで、気づけなかったことを。


 だが、謝罪などあとからいくらでもできる。


 だから今は、


「安心してください。悠也くんのせいで、会社が倒産したわけではありません」


「でも――」


「そもそも、倒産など、していません」


「……えっ?」


 絶望の縁にいる彼を癒やさなければならない。

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