#13
少々恥ずかしい気持ちを抱えたままに、ふれあいコーナーから離れて。
ちょうど、時間的にもいい頃合いだろうということで、昼食を取ることにした。
「このあたりでいいかな?」
「ええ、そうしましょう」
園内にある広場、草っぱらが大きく広がっているそこに、俺たちはレジャーシートを広げる。
持ってきていたカバンなんかを重しにしながら、その上にふたりで乗る。
(……なんというか、変に意識してしまうな)
別に、周囲から特別こちらに視線を向けられているとか、そんなことはないはずなのだけれども。しかし、先程のことがあったからだろうか。些細なことにまで、感情が動いてしまう。
例えば。それこそ、こうしてふたりで同じレジャーシートに座っているが。もしかしなくても周りから見れば一種のいちゃつきのように見えるのではないだろうか、というような。
そして、そういったことを意識すればしていくほどに、どんどん俺の中の感情が揺れ動いていってしまう。
(ダメだ、ダメだ。俺は彼女を手伝うって、雲雀さんの想いが成就するようにって、そう決めただろう)
煩悩を払うようにして、俺が首を横に振る。そんな様子だから、雲雀さんは不思議そうにこちらを見つめながら、小さく笑っていた。
「ほら、悠也くん。座りましょう?」
「あ、ああ。……そうだな」
俺一人だけが変に舞い上がったり気を動転させたりしているという現状を再確認して。今までとは別ベクトルの恥ずかしさを覚えながらに、俺は腰を下ろす。
「悠也くん、ほら。早く食べましょう!」
自身の弁当箱をすでに取り出していた雲雀さんにそう言われ、俺も自分のカバンから弁当箱を取り出す。
今日は、お互いに自分でお弁当を用意しよう、という。そういう話になっていた。
「ふふふ、どれだけ私が上手になったのかの、その成果報告の場ですね!」
真っ直ぐな瞳でこちらを見つめながら、彼女はキュッとその拳を握りしめた。
力強い彼女のその様子に、俺は少し笑う。
……いや、まあ。雲雀さんが上手になってることは既に知ってるんだけどさ。
そもそも、彼女の料理であれば、どういう運命のめぐり合わせか、ほぼ毎日夜に食べさせてもらっている。
いちおう体裁上は雲雀さんに俺が教えて、そのお礼として俺が相伴に与るというものだが。つまるところが、俺が彼女の料理を食べているという事実には変わりないわけで。
だから、彼女の料理が、既に非常に上手くなっていることは知っているのだけれども。
数日前。せっかくならば、と。雲雀さんが言った言葉。
「悠也くん、動物園で食べるお弁当。それぞれで作ってきて、おかずを交換しましょう!」
その際にも、彼女は言葉の上では「どこまで上達したかを確認してもらいたいですし!」と、そうは言っていたものの。その表情には、別な目的なあるのが明白で。
あたかも「そういうのに憧れていたんです!」とそう言わんばかりに。目をキラキラと輝かせ、口角を上げている雲雀さんの様子を見てしまっては、殊更断ることはできず。こうして、お互いにお弁当を作ってくることになった。
(……それにしても、過去の俺。なんでレジャーシートを二枚用意してなかったんだよ)
自分で自分のことを責め立てるが、どうにもならないことなど百も承知で。
そもそも、準備をしていた頃はこんなにも気にするだなんて思っていなかったし。そもそもレジャーシートで食べるという機会も今までほとんどなかったために、こんなにも近い距離になるだなんて思ってもみなかった。
つまるところが。パッケージに二人用と書いてあるのを見て、これでいいか、と。そんな短絡な思考から選んだことによるツケである。
「見てください、悠也くん! 気合を入れて作ってきたんですよ!」
「おお、たしかにすごいな。……準備も大変だったろうに」
「まあ、それはそうですが。なんのこれしき、悠也くんとおかずの交換を……ではなく、実力を見てもらうためと思えばなんら障害でもありません!」
「……そっか」
なんか、もはや隠すつもりがあるのかないのか、裏の目的がかなり全面に出てきてしまっているところにはあえて触れず。しかしながら、彼女の色とりどりの弁当箱の中身に、思わず息を呑む。
ハンバーグやエビフライのような洋食なものから、卵焼きや煮物のような和風然としたもの。他にも唐揚げなんかもあって。
そういったものたちが少しずつ、キレイに詰められている。
子供なら諸手を上げて喜びそうなものなのだが、曲がりなりにも彼女に料理を教えている立場の人間なので、いろいろと察する。これがめちゃくちゃに面倒だということを。
「悠也くんがどんなものがいいかわからなかったので、思いついたものを色々作ってみました!」
その言葉に、自身の失敗を理解する。
そういえば週中の雑談で好きな食べ物を訊かれたが。そのときは本当にただの雑談だと思っていたし、それがこうしてお弁当を作るための参考にするだなんて思っていなかったから。ひたすらに素直に「特にはない」と答えてしまった。
よく「なにが食べたい?」という質問に対して「なんでもいい」と答えるのがご法度であるとは聞くが。なるほど、これはその亜種のようなものか。……いや、実際そういう場面に出会ったことはないけど、たぶんなんかちょっと違う気がする。
種類が多いということは、すなわちひとつひとつの量が少ないということでもある。ならば作る手間もそれだけ小さくなるのかというとそんなわけもなく。なんならちょっとずつ作るほうが難しく、かつ、手間がかかる。
ぱっと見、冷凍食品のたぐいは見られない。つまり、これを全部、用意したということになる。正直、かかる労力については考えたくない。せっかくの料理に雑味が混じりそうだから。
ついでに食材の準備の観点から言っても、少しずつ用意するほうが圧倒的に金額がかかるわけで。
……はたして、しっかりと笑えていることだろうか。いや、なにがなんでも笑顔は維持さねばならないんだけれども。
「悠也くんはどんなものを作ってきてくれたんですか?」
「えっ? ああ、悪い。今見せるな」
驚きから硬直していた身体を動かして、俺は手元に持っていた弁当箱の蓋を開く。
タコやカニなんかに飾り切りをした赤ウィンナー、牛肉の甘露煮。卵焼きに、ブロッコリーなど彩り。
正直、雲雀さんがここまで気合を入れてくるだなんて思ってもいなかったから、彼女のものに比べればかなり簡素なものではあるのだけれど(今までの俺からしてみれば結構奮発気味ではあるが)。
……うん、これに関しては俺が準備不足であるとか、そういうわけではないのは明白だけれども。それはそれとして、いちおうの体裁でおかずの交換を行うというのにこのラインナップの差があるので、申し訳なさであるとかそういう感情がめちゃくちゃに沸いてくる。
「わあ、すごいです!」
「いや、雲雀さんのを見せられたあとだと、どうしても見劣りするというか」
「そんなことはありません!」
威勢よく言われるその言葉。ここまではっきりと言ってもらえると、たとえお世辞であっても嬉しく感じてくる。
それじゃあ、食べようか。ということで、揃って合掌してから、いただきますと挨拶をして。
「ええっと、それじゃあ雲雀さんはどれを――」
「悠也くん、はい、あーん!」
「……えっ?」
さて。突然の出来事に状況への理解が追いついていない。
今一度、ひとつひとつ切り分けながらに考えてみる。
おかずの交換という話だったから、ひとまずどれを食べたいのかと訊こうとしたのだが。それを遮るようにして彼女はスッと腕を差し出してきた。
その手に握られた箸には、卵焼きが挟まれていて。行為、発言、その両者どちらをとったとしても、まるで手ずから食べさせてくれようとしているみたいに見えて。
というか、むしろそれ以外の可能性が見えてこないというか。
「ほら、悠也くん。口を開けてくれないと、食べれませんよ?」
「いや、その。えっ、と」
むしろ、食べさせようとしている様子そのままである。
えっと、これは。いい、のか? いや、さすがにだめではないか?
いやしかし、このままおかずを橋で掴んだままの雲雀さんを放置するわけにも行かないし。
様々な考えが頭の中を駆け巡って。どうするべきなのかを考える。困ったことに、どの選択肢をとったところでなんらかダメなところがあるのだが。
しかしながら、ここで一番良くないのは雲雀さんに恥をかかせることであろう、と。
なにせ、これほどまでに手間のかかる、気合の入ったお弁当を用意してきてくれたのだ。ならば、彼女の要望に答えるべきだろう。
俺は意を決しながら、口を開けると。そこに卵焼きがそっと置かれる。
正直、緊張から味がわからなくなりそうになるが。この場で味覚を見失うのは絶対にあってはならない。気合で、しっかりと味を汲み取る。
俺が自分で作るものよりも甘みの強いそれは、おそらく雲雀さんの家庭で作られているものの味付けなのだろう。
「どうでしょうか?」
「うん、美味しいよ。俺が普段作るやつとは味付けが違うから新鮮な気分で食べれる」
ほら、と。俺は自分自身の弁当箱を彼女に向けて差し出す。丁度といわんばかりに、そこには俺の作った卵焼きが入っているため、比較対象としてもってこいである。
そして、彼女がそれを食べるのを期待しながら少し待ったのだが。箸がどうにも伸びてこない。
不思議に思って俺が顔を上げてみると、そこには目を伏せつつ、口を開けて待っている雲雀さんがいて。
だいたいを納得してしまった俺は。もう、こればっかりは乗りかかってしまった船であろう、と。そう思いながらに。箸で卵焼きをつまむと、彼女の口に向けて差し出す。
ぱくり。彼女がそれを口に含んで。そして、美味しいです、と。そう頬を緩める。
「それなら、よかったよ」
正直俺としては、味云々がどうであるとかの心配はもはや遠い昔のもので。別次元のことで心臓がバクバクと早鐘を打っているのだけれども。
「それでは、悠也くんは次にどれを食べたいですか?」
「あー、えっと。その。別に自分で食べれる、ぞ?」
「でも、おかず交換とは、このようにするものなのではないのですか?」
なんだその俺の全く知らない世界での常識は。
「ちなみにそれは、誰かに聞いたのか?」
「はい、クラスメイトの方から、こういうときにはそうするものだと」
おい誰だよそんなことを吹き込んだやつは。いや、女子同士のノリでならあり得る、のか?
いや、だとしてもちゃんと、男女の友人間で行うものではない、と注釈を入れておいてくれ。
「その、もしかして。嫌だったのでしょうか?」
「えっ? ああ、いや。別に嫌というわけではないし。むしろ、嬉しくはあったのだけれど――」
ただ、周りの目とか、恥ずかしさとかがあるかな。と、そう言おうとした俺の言葉は。
「では、もっと食べさせてあげますね!」
「違う、そうじゃない!」
今度は、差し出されたハンバーグによって。ついぞ発されることはなく、黙ることになってしまうのだった。
雲雀さんに食べさせてもらったり。なんとか彼女の押しをくぐり抜けて自分で食べたり、と。謎の攻防が繰り返された昼食を終えて。
「うん、美味しかった。ごちそうさま」
「こちらこそ、悠也くんの作ってくださったおかず、とても美味しかったです!」
次の行程に向かうために、弁当箱やレジャーシートなどを片付ける。
「そういえば、雲雀さんの料理の腕のことだけど」
「……あっ、はい! そういえば、そうでしたね!」
そういえばって。いやまあ、既に色々と透けていたからこれに関しては驚いたりするわけではないが。いちおうの体裁はそれだっただろう、と。
まあ、それをツッコんでは余計に慌てるのが目に見えているので収めておくが。
「うん、十二分に上達してると思う。本当に、お世辞抜きですごく美味しかった」
「ありがとうございます! これも、悠也くんが教えてくれたからですね!」
いや、まあたしかに教えはしたのだが。この上達に関しては間違いなく俺の力よりも雲雀さんの個人の力のほうが大きい気がする。
「じゃあ、あれか。ちょっと名残惜しいが、夕飯のときに料理を教えるのも、もう必要ないか」
「…………えっ」
雲雀さんが、ポトリと持っていた弁当箱を落として。慌てて俺がそれをキャッチする。
「いや、わざわざ教えなくても十分作れるようになったわけだし。今まで、教えるお礼として俺も食べさせてもらっていたが、二人分だと食費もバカにならないだろう?」
自分の分は払うといったのだが、彼女にはそれを、お礼だから、と。断固として拒否されていた。
正直俺としては助かるっちゃ助かっていたのだが。しかし、その分雲雀さんが割を食っていたわけで。そのままではいけないだろう、とは思っていたのだ。
「あの! えっと、その! ……私はまだ、未熟だと思うので!」
「いや、このお弁当を作れるのなら十分だと思うぞ?」
「私はっ! まだっ! 未熟だと思うのでっ!」
ものすごい圧でそう言ってくる。それに思わず気圧されながら「お、おう……」と所在のない返事をする。
「だから、その。これからも一緒に作ってくれませんか?」
「……まあ、雲雀さんがそれでいいのなら」
あの有無を言わせぬ雰囲気を見たあとに、それでも――だなんてことは言えないだろう。
「ありがとうございます、これからもずっと、一緒に食べましょうね!」
「あ、ああ。……うん?」
なんか、ニュアンスが変だった気がするんだけど。気のせいか?
少し、それについてを考えようとした、そのとき。その俺の思考は中断されることになる。
「びえええええん!」
そう、遠くないところから。そんな泣き声が聞こえてきたからだ。




