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#1

 どうしてこうなった。というのは、正しく今の俺――広瀬 悠也(ゆうや)の心情だった。

 齢十六。高校二年生にして、人生が詰んでしまったかと思っていたのだけれども。幸運なことに、案外なんとかなっていた。


 なんとか、は。なっていたのだけれども。


「悠也くん! それで、ここはどうすればいいんでしたっけ?」


「……あの、雲雀(ひばり)さん? なんか、近くありませんか?」


「けれど、包丁は危険だと聞きました。やはり、悠也くんに手取り足取り教えてもらうべきではないでしょうか」


 そう言いながら、彼女はもっと近くに寄るようにと要求してくる。

 ふわりと石鹸のいい匂いがして。いけないことをしているような気がしてしまう。


 両親に夜逃げされて人生詰んだと思っていた俺が格安のボロアパートを借りたら、たまたま隣の部屋に住んでいた同級生の令嬢に家事を教えることになった。……って。


 これなんてラノベ?






「終わった……」


 どうにもならなくなると、ただ立ちすくむしかできなくなるんだな、と。そう痛感した、金曜日。バイト帰りの夕方。

 俺の荷物は、現在背中に背負っているリュックサックの中身のみ。比喩でもなんでもなく、これだけしかない。強いて言うならば今着ている制服くらいなもの。


 それを裏付けるかのように。アパートの一室。両親と三人で暮らしていたはずの、手狭な俺たちの家、……いや、元俺たちの家だったところで物品の差し押さえ作業が為されていた。

 聞いた話によると、両親が作っていた借金がとんでもないことになっており、ついには差し押さえられることになったのだという。


 貧しくはあったが、そこまで困窮していたのは初めて知ったんだけど? というか、当の両親はどこに!? 様々な疑問が沸いて出てくるが。それには怖そうなお兄さんが丁寧に答えてくれた。


 とりあえず、早い話が俺の両親は夜逃げしたらしい。

 俺がまだ幼い頃にそれなりの規模の会社を経営していたのは朧気に覚えていたが、どうやらその会社でのいろいろが原因で抱えていた借金が膨れ上がりに膨らみ切って、手も足も回らなくなったのだろう、と。


 見捨てられたということに気づいたのは、ひとしきり絶望し切ったあとだった。このときは、それ以上に心配と驚きが勝っていた。


 見た目は怖そうなお兄さんだったが。どうやら俺のことを随分と心配してくれていたようで。せめてもの温情として、俺に借金が振りかからないようには取り計らってくれたらしい。

 その代わりといってはなんだが、異常な速さで差し押さえの物品たちの競売が成立しており、家の中の物たちもすぐさまがらんどうにってしまうとのことだった。

 二束三文で買い叩かれたのかと思ったが、意外によそんなこともないらしい。そんな価値が高いものがあった覚えもないけれど、変なこともあるものだ。……おかげさまで、俺に借金が残らなくて済むことになったのだから、悪いことではないだろう。


 ちなみに、家賃の方についてもかなり滞納していたらしく。ついでに契約者も失踪してしまったがために、こちらについても退去せざるを得なくなった。

 ごめんねぇ、と。そう言ってくれた大家さんだったが、その目が冷ややかだったのは痛く覚えている。


 まあ、結局のところどうなってしまったのかというと。


 なにかがあったときに頼ることができた両親も。

 雨風を凌ぎ安心して眠ることができた家も。

 その他様々な物品に至るまで。


 その全てを喪ってしまったということだった。


「さて、どうしたものか」


 辛うじて、お兄さんが俺の持っているものに関しては見なかったことにしてくれたので、リュックサックの中身だけは持っていた。

 奇跡的にバイト帰りで先月の給金を引き出していたので、最低限のお金はある。だがしかし、これでは部屋を借りるのが厳しいのはもちろん、死活問題である飲食すら満足にできそうにない。

 公園のベンチに座りながら、既に暮れてしまった日に、ただ乾いた笑いを、力無く出すしかできなかった。


 満開の桜が、人の気なども知らずに咲き誇っては、風に揺られて花びらを舞わせていた。

 こんな状況でもなければ、夜桜がキレイだなんて、そんなことを思えていただろうに。

 そんなふうに卑屈に思ってしまうくらいには、俺自身、追い詰められていたのだろう。


「……ダメだ、寝よう」


 起きていても、ひたすらにお腹が空くだけだし。ついでに、考えも悪い方向にしか流れていかない。

 このままだと悪循環に陥るだけだとそう判断した俺は、制服のブレザーを身体の上に掛けつつ、無理矢理にでも眠ることにした。


 ここまでのことが、ただの悪い夢だということを信じて。






 その晩、ここから少し離れたところで尋常じゃないスピードで工事が起こっていたのだが。

 現実から逃れるようにして眠ってしまった俺に、そんなことを知るよしもなかった。






 眩しさを感じて身体を起こす。めちゃくちゃに痛む身体になにごとかと思ったものの、すぐさま理由に気づく。

 硬いベンチに身体を預けていたのだ。こうなって当然だろう。むしろ、下に落ちていなかっただけよかった。


 とはいえ、この痛みがあるということは、すなわちこれが。……もとい昨日のことが夢なんかではなかったということであり。

 つまるところが、俺が家無し物無しの孤独の身になってしまったということを意味している。


「今日は……土曜日か。なら、学校へは行かなくてもいいな」


 まあ、行こうにも制服もなければカバンも、教科書もないので、はたしてどうしたものかということではあるのだが。

 そもそも、ここまで我が家――もとい、元家族の両親が窮地にあったというのであれば、俺の学費が払われているかすら怪しい。仮に払われていないのならば……いや、今は考えるのをやめておこう。


 なにを考えていたわけでもない。強いて言うなら、なんでもいいから助けになるものがないかと、そう思っていたのかもしれない。

 ただただアテもなく、生気を喪ったままにフラフラと歩いていた。

 途中なんども通行人とぶつかってしまってはそのたびに謝って。申し訳なさからその場からそそくさと逃げるようにして進んで。

 そうして適当に歩いていたとき。ふと、ひとつの建物が目に止まる。


「……こんなところに、アパートなんかあったっけ」


 こちら方面に来ることはほとんどないため、あまり土地勘に明るい方ではないのだが。しかし、家から歩いてくることができた範囲なため、景色にそれなりに見覚えはある。

 見覚えがあるはずのその景色に、見覚えがないボロアパート。……いや、ボロアパートなのだから、以前からあったはずなのだけれども。


「俺の記憶違い、か?」


 もはや入ることができない元の家にも負けず劣らずの古さに見えるそのアパート。あのアパートは俺より年齢が高かったはずなので、これもそのはずだろう。

 だとすると、やはり俺が勘違いしていただけ……なはずなのに、どうにもなにか引っかかる。


 とはいえ、これだけ古いのであればもしかして家賃が安いかも、なんて。そんな淡い期待をいだきながら、入居者募集の貼り紙を見てみる。

 しかし、なんだかんだで以前の家だって相場から見れば安いは安いのだが、家賃である以上そこそこの値段にはなる。

 ここも、正直今の俺の経済状況からすると厳しのだろうな――って、


「なんだこれ!?」


 敷金礼金ゼロ円。これはまだいい。

 だがしかし、家賃が一ヶ月一万円って、なんだこれは。格安とかいう域を超えている。


 なにか見えていない条件とかがあるんじゃないかと、目を皿にして紙を読み込むが、そういったものは見当たらない。強いて言うならば築年数についての記述がないなどのちょっと怪しい点がありはしたものの、逆に言うとそれくらいだった。


「怪しい。めちゃくちゃに、怪しい」


 だがしかし、それと同時に、めちゃくちゃ好条件すぎる。正直一万円であればなんとかなる。今の手持ちという意味でも、これから継続的に支払いをするという意味でも。


「……とりあえず、話だけでも聞いてみようかな」


 たしかに、怪しさや違和感はありはしたのだけれども。

 一万円で雨風を凌げるという、ただそれだけのことが。この上なく魅力的に俺の目に映っていた。


 春の野宿は、不可能ではないけれど。継続して行うには、さすがに厳しそうなものがあると。俺の願望がそう切に訴えかけてきた。






 結論から言うと、入居することができた。正直、契約にあたって未成年がひとりだけなので、半分くらいはダメ元だったのだが。

 大家さんに事情を説明しつつ、どうにか入居できないかと相談したところ。本来、未成年だけでこういった契約を結ぶことはできないのだけれども、両親が行方不明であり、なおかつ急を要する案件だということもあり、特例的に認めてもらえることになった。


「優しい人だったなあ……」


 彼女から貰った鍵を握りながら、ギイと軋む金属製の外階段を登る。

 法律関係で引っかかりそうなところに関しては、知り合いに詳しい人がいるらしく、そちらで諸々処理しておいてくれるとのことだった。

 ついでに、なにか困ったことがあったらいつでも相談をしていい、と。そう言ってくれた。

 見た目で人を測るべきではない、とはわかっているものの。大学生くらいの女性だというのに、あれほどまでにしっかりしているのは純粋に好感が持てた。


 ひとまず、荷物を――というほど量もないが、荷物を部屋に入れてしまおう。


 ガチャリと部屋の鍵を開けてドアを引いてみると、外見からも想像できる、古ぼけたような壁や床。

 大家さん曰く、最近にいろいろとやり直したとのこと。……まあ、おそらくはリフォームしたとのだろう。

 見た目ではパッと見の見た目ではそういう感じはあまりしないが、むしろ値段が値段なだけに、多少の雨漏りや風の流入なとは覚悟していたのだが、そういうのがなさそうなだけありがたい。


「ここがキッチンか。コンロにシンク、オーブンレンジに電気ケトル。炊飯器に冷蔵庫……うん?」


 ちょっと待て、と。なにか、いま変なものがあった気がする。

 コンロやシンクは、キッチンなのでまだいい。……なんか、最新式っぽい雰囲気を感じはするけど、もしかしたらリフォームするときにここもしたのかもしれない。キッチンのリフォームってかなり高額なはずだけど、これはまだ、いい。


 問題なのはそれ以外のやつら。

 なぜか、家電共がさもここにいるのが当然とでも言わんばかりにそこに鎮座をしている。


 慌てて一度部屋から外に出て、部屋の番号と、鍵の番号。そして、大家さんから伝えられた番号とを照合する。……うん、合ってる。なぜか。

 いやまあ、合っていなければ鍵が開くはずがないんだけれども。


 たしかに、大家さんは家具なんかは備え付けだと言っていくれていた。とてもありがたい話なのだけれど、まさか家電までもがその範囲に入ってるとは思わなかった。


「――まさかっ!?」


 ガラッと脱衣所を開いてみると、そこには堂々と構えている洗濯機。これ、コマーシャルで見たことある。最近発売されたばかりのやつだ。

 改めて元の部屋に戻ってみると、キッチンが併設されているリビングには大きな薄型テレビと、そしてエアコンが設置されている。


「いやいやいやいや」


 これが、家賃一万円の物件? 嘘だろ?

 俺が以前住んでた家より余程環境がいいぞ? こっちのほうが見た目ボロいのに。


 いくらなんでもおかしいのだけれども。じゃあそれが俺にとって不都合かというとそういうわけでもなくて。むしろありがたい限りではあって。


 ダメだ、考えてもなにもわかりそうなない。


 頭を抱えそうになったその時。そういえば、部屋を借りるときに大家さんから伝えられたことがあったことを思い出した。

 隣の部屋にはすでに住人がいるから、挨拶をしておいてね、と。


 なにを考えてもわかりそうにないのだから、ひとまずは後回しにしておいて、言われたとおりに挨拶をしに行こう。

 カチャリと部屋に鍵を閉めてから、隣の部屋の前に来て。

 緊張の走る中。すう、はあと大きく深呼吸をしてから、インターホンを鳴らす。


 はーい、という。女性の高い声が聞こえて、パタパタと駆け寄ってくる足音がして。

 そして、ガチャリとドアが押し開けられる。


「あ、はじめまして。今日、隣に引っ越してきた広瀬と言いま――」


「えっ、悠也くん!?」


 名乗っていないはずの下の名前を呼ばれて、思わず顔を上げる。

 そうしてそこにあったのは。整った顔立ち、白磁のようなキレイな肌。そして、長く艶のある黒髪と、吸い込まれるような濃紺の瞳。

 紛うことなき、同級生――神宮寺 雲雀の顔だ。


「どうして神宮寺さんがこんなところに?」


 この言葉は、あまり適切ではないだろう。先程まで俺が体感してきた、ボロいだけで超絶好条件のこの物件のことを思えば、高校生が下宿としてこのアパートを選択するのは十分あり得る話だろう。

 だがしかし、神宮寺さんの場合はこの例に当てはまらない。


 なにせ、彼女は神宮寺グループの令嬢。クラスメイトという接点でもなければ、彼女と俺が関わることはなかったであろう、そんな存在なのだ。

 むしろ、彼女と同級生であるということについてもかなりのイレギュラーだとは思うが。


「ええっと。せっかくですし、一回上がっていきますか? こんなところで立ち話もなんですし、お茶でも飲みながら」


「えっ、と。……その、それじゃあ、よろしくお願いします?」

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