002 黒豹
我が名は『宮本静香』。
二つ名は『気配を消す者』。
我が存在を感知する事は何人たりとも適わん。
「ねぇ、静ちゃん……。あれはやばいよ。絶対、肉食だよ」
私が中二心を発動して現実逃避しているのに、鈴成が現実に引き戻してくれる。
まったく面倒な奴ね。
私だって、あれがやばいって分かってるわよ。
黒豹ってだけでも十二分に危険なのに、体長は2m近く、牙はサーベルタイガーのように突出していて鋭い。
現役女子高生の戦闘能力で倒せる相手じゃないわ。
私の戦闘能力なんて5ぐらいだと思うし。
ゴミね。
「下手に動けば、気取られる可能性があるわ。今は身を潜めて、あいつがどこかへ行ってくれるのを待つ方がいい」
「う、うん……」
私達は身を屈めて、息を忍ばせる。
私一人ならステルスで見逃して貰えるかも知れないけど、今は鈴成が一緒だ。
最悪、相対する事も考えなきゃいけないかも。
私はリュックの中に手を伸ばして、何か道具が無いかと探る。
しかし黒豹はこちらへ向かわず、明後日の方向を向いた。
「きゃああぁ!!」
そして、絹を裂くような悲鳴があたりに響き渡る。
黒豹の視線の先を辿ると、そこには10才ぐらいのボロボロの服を着た少女が腰を抜かして座り込んでいた。
「拙いわね」
黒豹は自分より小さい獲物にも警戒を怠らず、ゆっくりと近づいて行く。
それでも考えてる暇は無い。
「鈴成はここを動かないで!」
「えっ!?静ちゃん、まさか!」
私は姿勢を低くしつつ、黒豹に向かって駆け出す。
野生の動物相手に私のステルスが効果あるかは分からないけど、近づければ手はある。
走りながら、リュックに入れてあった筈の物を手探りで探す。
そして、リュックの中央付近、お弁当の下辺りにそれらしい感触を得る。
「あった!」
素早く取り出して電源を入れる。
黒豹が少女にあと数歩という所まで迫っていたが、なんとか私は黒豹の脇腹付近へ滑り込んだ。
「食らえ!!」
私は右手に握った護身用のスタンガンを、出力最大にして黒豹の胸部に押し当てた。
「ギャワオゥ!!」
バチチッという電気が迸る音と共に、黒豹が大きく吼えた。
少しゆらりと体を揺らして、脇にいる私へと振り返る。
そして、いつの間に居たのかといった風に驚いた表情を見せた気がした。
まだ意識を刈り取れていない!
私は素早く、再度スタンガンを黒豹に押し当てる。
「グギャオォ!!」
断末魔を上げ、白目を向いた黒豹は、今度こそその場に倒れ伏した。
「ふぅ、スタンガンが効いて良かったわ」
一応念のために、黒豹の心臓が完全に止まっているか確認する。
スタンガンのパワーを最大にして、直接心臓の近くに当てたけど、異世界の生物って心臓が2つあったりするかも知れないし。
一応脈は止まっているようだけど、万一起き上がって来たら対応する術が無い。
こんな野生の獣なんて、不意打ちでも無い限り倒せっこ無いもんね。
という訳で、私はリュックの奥にしまっておいたサバイバルナイフを取り出し、それを躊躇いなく黒豹の首筋に突き刺した。
反射も無く、微動だにしない黒豹は完全に絶命しているようだった。
これでやっと一息……と思ったところで、後ろから何かがぶつかって来た。
「静ちゃあん!!なんて無茶するのよぉ!!死んじゃったらどうするのぉ!!」
後ろから私を羽交い締めしながら鈴成は涙と鼻水を私の服に擦りつけてきた。
「ちょっと、止めなさいよ!汚いわね!」
振りほどこうと必死に抵抗するが、以外と鈴成の腕力が強くて引きはがす事が出来なかった。
そんな私達のやりとりを、呆けたように見ている少女。
私はなんとか力尽くで鈴成を引きはがし、少女の側へ近寄ってみる。
「大丈夫だった?」
私の言葉に一瞬びくりと肩を振るわせた少女だったが、直ぐに頭を下げて
「――っ!」
聞き慣れない言葉を放った。
「え?」
「――っ、――っ!」
さらに言葉を続ける少女だったが、日本語でも英語でも無いその言語を、私は聞き取る事が出来ない。
やばい、ここが異世界である可能性がかなり高くなって来た。
少女の髪はやや茶色がかっていて、瞳は黒。
普通に日本人に見えなくも無かったのだが、完全に言葉が通じていなかった。
いや、まだだ。
外国人旅行者が私達と同じ辺りに迷い込んだだけという可能性も……。
「フィーアト世界の言葉だね。ありがとうって言ってるよ」
何時の間にか側に近づいて来ていた鈴成が妙な事を口走る。
「フィーアト世界って何?」
「静ちゃんが読んでた『異世界流浪記』の中に登場する第四の異世界だよ」
ちょっと待って。
何を言ってるの、こいつは?
「なんであんたにそんな事が分かるのよ?」
「だって、その本を静ちゃんに薦めたの私だよ?私は本に書かれてた言語も全部覚えるぐらい熟読したんだから」
異世界の言語を全部覚えるとか、何者よこいつ?
でも嫌だけど、今は鈴成に頼るしか無い。
「この娘の言葉が分かるなら、通訳してよ」
「うん、分かった」
「――っ」
「――っ」
なんか不可思議な言葉で話し出す2人を見ながら、私はリュックに入れておいた『異世界流浪記』を取り出して、第四の異世界『フィーアト世界』のページを開いた。
確かに鈴成の言った通りフィーアト世界についての記述が有り、言語体系や、この世界の主要都市まで細かく載っている。
どうやら言語はアルファベットと同じく26文字で構成されており、母音と子音の組み合わせで発音するようだ。
日本語みたいに50文字+漢字とかいう面倒な言語でなくて助かった。
あれは日本に住んでいるから使える言語だもの。
世界共通語である英語に近い言語の方が学びやすい筈。
しかも、この言語、どうやら子音のみの発音は無いみたい。
日本人には有難い仕様ね。
でも、私にはそんな言語を勉強してる余裕は無いし、面倒なのでやりたくもない。
異世界に来たのなら、言語理解スキルとか発動しなさいよ。
まぁ、暫くは鈴成に翻訳を任せましょう。
それにしても、此処はどうやら本当に異世界で間違い無いみたいね。
なんてこったい。
護身用にスタンガンとサバイバルナイフをリュックに忍ばせておいて良かったわ。
次の問題は食料ね。
それなりに持ってきてはいるけど、いいとこ1日~2日で尽きてしまうと思う。
この黒豹って食えるのかしら?
「ねぇ、静ちゃん。この娘の話だと、近くに街があるみたいだよ。あと、この娘がお礼をしたいって」
「よし、食料ゲット!」
「静ちゃん……遠慮って知ってる?」
「遠慮?それって食べれるの?」
「……そうだね。今はそんな事言ってられないもんね」
緊急時にまで遠慮とか配慮とか言うのは、日本人の悪癖よね。
私も純血のジャパニーズだけど、鉄血にして熱血ではない冷血な女だし、今は余裕が無いのよ。
食料問題が解決した私達は、森からの出口を知っているという少女の後ろを付いて行った。
黒豹はとても私達の力では持てなかったので、サバイバルナイフで牙だけ引きちぎってリュックに入れておいた。
何かの役にたつかも知れないからね。
それにしても山を登っていた筈なのに、何時の間にか平地の森にいるってのが解せぬ。
異世界って平行世界的な所で、繋がっている先の地形はそれ程変わらないんじゃないの?
空間が歪んで繋がってるから、位置情報も変わっちゃうのかな?
暫く歩くと、先程まで散々迷っていた森をあっさりと抜け出てしまった。
地元民の土地勘ってやつ?
少女、スペック高いな。
でも土地勘があるなら、少女は何故あんな猛獣がいる場所に来てたんだろう?
食料不足で、危険を侵してでも深い森に踏み込まなければいけなかったとか?
だとしたら、お礼の食料はあんまり期待出来ないか……。
細かい事をいちいち鈴成に通訳してもらうのも面倒だし、私が言語習得してから聞いてみよう。
森を出て数分歩いただけで、もう街の門が見え始めた。
石作りの城壁が、ここは日本では無いと告げていた。
「わぁ、凄いよ静ちゃん。ほんとに中世ヨーロッパみたい」
鈴成の呑気な声に、私は心底げんなりした。




