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最後の手紙②

朝はまだ鉛色を引きずっていた。雨足はようやく和らぎ、雲の切れ間からかすかな光が差し込んでいる。

リリーはゆっくりとまぶたを開けた。

薬箱や布の束、干し葉の包みが並ぶ診療所の一室。

窓辺の細い光が机の上を掠め、木の匂いが静かに満ちている。

体の節々に鈍い痛みが残り、負傷した腕には包帯の重みがのしかかっていた。

胸の奥がじんと疼く。


枕元に、湿った鼻先がそっと頬をなでた。

ラットだった。

尻尾を小刻みに揺らしながら、ぴょんと跳び乗ってくる。


「ラット……」


リリーは安堵と驚きに顔を綻ばせる。

ラットは彼女の手を鼻先で探り、満足したように鼻を鳴らした。

毛は冷たく湿っていたが、その小さな温もりにリリーの表情はやわらいでいく。


そのとき、扉が軋む音を立ててゆっくりと開いた。

雨の匂いをまとった空気とともに、ハンクが姿を見せる。

泥と雨にまみれ、左腕には簡易的な包帯。

疲労の色が濃いが、目には確かな安堵の光が宿っていた。


「目が覚めたか。よかった……本当に、心配したんだぞ」


ハンクは低く優しく語りかけ、リリーの手を取り包帯の具合を確かめる。

不器用だが、どこか温かいその手つきに、リリーは静かに頷いた。


ラットがふいに身を震わせ、何かに気づいたように窓辺へ走る。

そして窓枠を蹴って、外へと飛び出した。


「ラット!? どこへ……」


リリーは反射的に体を起こそうとするが、腕の痛みと体の重さに阻まれる。

追いかけることもできず、ただ窓の外を見つめるしかなかった。


ハンクが代わって窓辺に立ち、外の様子をうかがう。


「元気だな、あいつは……」


曇天のもと、ラットの小さな影が瓦礫の間を駆けていく。

湿った空気の匂いが漂い、診療所の脇にある外壁の一部が崩れているのが見えた。

そこは先日、マリアの騒動によって壊された場所だったが、リリーにはその経緯を知る術はない。


ラットは瓦礫に鼻を突っ込み、前足で器用に掘り返し始めると、やがて口元に革鞄を咥えて、ぴょんぴょんと戻ってくる。


「おい……これは、どこの誰の鞄だ!? バラの刺繍か? ゾフの物にしては女性趣味のような……」

ぶっきらぼうにハンクが尋ねると、リリーが、カバンに刻まれた刺繍を見て小さく息を呑んだ。


「その刺繍……マリアさんが貸してくれたハンカチと同じだわ」

リリーの声には微かな震えがあった。


ハンクの表情がこわばる。そのとき、荒い足音が近づき、ゾフが部屋に入ってきた。


「どうしたんじゃお主ら。三人そろってケガ人が騒ぐもんじゃない」

「ゾフいやな。ラットの奴が、変なカバンを拾って来たんだがな……」


ゾフは鞄に目をやり、刺繍に気づくと感慨深げに頷いた。


「ほう、クライン家の紋じゃ。惜しい人らじゃった……生きておれば、ジェラルドから高額な雨合羽など買わずに済んだろうに」


その声に呼応するように、ラットが低く一声鳴く。


ハンクは鞄の留め具を外し、慎重に中を探る。

革のにおいと湿った紙の匂いが立ち上り、油紙に包まれた封書が現れた。

封蝋は割れ、紙は雨に濡れて波打っている。


ハンクは封を裂き、紙を広げる。

にじんだ文字の中、最初に読み取れたのはリリーへの短い謝罪の言葉と、ジェラルド殺害について自らの関与を認めるマリアの筆跡だった。


「何が書いてあるの……?」


リリーが震える声で尋ねた。

ハンクはしばらく無言のまま手紙を見つめる。

告げるべきか迷いながら、紙を握る手に力が入る。

そんな彼の肩を、ゾフがそっと叩いた。


「……隠しても、リリーはきっとマリーの時のように詮索するじゃろうて。利口な子じゃよ。隠すことで彼女は余計に苦しむだけじゃ。大人が責任を持って話してやるべきなんじゃないか」


ハンクは深く息を吸い、リリーに向き直る。


「リリー。全部話すよ。マリアの手紙のこと、お前が気を失ってから起きたこと全てだ」


リリーは目を伏せ、静かに頷いた。

その小さな体に、確かな覚悟が宿っていた。


ハンクは声を落とし、淡々と手紙の要点を読み上げた。

ジェラルドの殺害、ヴィクターとの共謀、マリアの過ち。

声はときに震えながらも、事実を誠実に伝えていく。


ハンクが伝える事実をリリーは静かに聞いていた。

窓から入り込む風が包帯を巻かれた腕を揺らし、涙に濡れた瞳の奥に、それでも崩れない芯の強さが見えた。


やがて、遠くから馬の蹄音が響き、ジョナサンと数名の警官が診療所に現れる。

鞄と手紙は証拠として押収され、簡易な記録と事情聴取が行われた。

事件の顛末は、役所の手へと委ねられていく。


静けさの戻った診療所に、三人の呼吸だけが残る。


空にはまだ鉛色が残るが、その端がほんの少しだけ、明るくほころびを見せていた。

その一筋の光を見つめると、リリーはゆっくりと立ち上がり、ラットの頭をそっと撫でる。


「ラット、お腹空いたでしょう。パン、食べようか――」


その笑みに、かすかな影はある。けれど、それでも日常の輪郭が、たしかに戻ってきていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


もし少しでも内容が面白かった、続きが気になると感じていただけましたら、ブックマークや、画面下部の『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』に変えていただければと思います。


ブックマークや星の評価は本当に励みになります!


どんな小さな応援も感謝します、頂いた分だけ作品で返せるように引き続き努力していきます。


これからもよろしくお願いします。

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